タケホープの酔いどれ走遊記

酒好きなおっさんランナーの日記です。

津和野城 大手登城道を下りる 18年5月

2018年05月14日 | 城・城址

⇦津和野城大手登城道 入口まで630m

へ~、こんな道あったんだ。

登りに気が付いていました。

駐車場待ち合わせにして、一人で下ります。

 

杉が植林された道を下ります。

 

運搬途中の城壁用石群

手前の苔むした石も?

でしょう

 

こめつぶバッタ

そんなんは、おらんやろう

あっ、おったっ、ほんまやぁ

 

登り口に石垣が残っていました。

 

この辺は、かなり変わったんでしょうね。

 

下りる途中誰にも出会いませんでした。

変人しか使わないと思います。

 

自動車は、ここから無料駐車場に行きます。

太皷 皷の字のつくりは皮でしょう。

 

 

 

 

津和野の鷺舞は有名なんですよ。

津和野町伝統文化館は閉館中ですけど。

箱物行政の見本?

 

津和野太鼓 鼓の字のつくりは支でしょう。

どうも最近変わったみたいなんです。

何故か知らんけど、前回津和野に来たときは、太鼓の字だったんです。

 

リフトもあるんじゃ。

おっ、日本百名城じゃないですか

 

もうすぐ待ち合わせの太皷谷稲成神社の駐車場です。


津和野城跡(3)18年5月

2018年05月09日 | 城・城址

中世山城 津和野三本松城跡

 文永11年(1274)、弘安4年(1281)の元(蒙古)軍の北九州・北浦への来襲を受け、鎌倉幕府は西石見の海岸防備を吉見頼行に命じた。頼行は弘安5年(1282)家来とともに能登から木曽野(津和野町北西部)に地頭として入り、永仁3年(1295)この城山山脈に築城を始めた。

ふ~ん、吉見氏は能登から来たんだ

 以後吉見氏は14代300年間、随時増築補強を行い、城山山脈の諸所に曲輪・堀切・竪堀・横堀などを構築して堅固な中世山城(一本松城あるいは三本松城と呼ばれた)を築いた。

城山山脈なんて大袈裟な

 

 

 

 

 

 

 

東門跡

 ここは当城の東門、坂崎氏以後亀井氏の代には大手門となっていたところである。

ダラダラブログは続くよ ど~こまでも♪


津和野城跡(2)18年5月

2018年05月09日 | 城・城址

津和野城跡(1)はどうしたの?

それがね、酔っ払って投稿していたら投稿したつもりで写真を削除してしまったのよ~

それで、(1)は無しなのよ~

15年10月の写真と似ていると思うので、載せとくね。

津和野城跡(前・後編)

 

 

めいっこは、妹の身長を越えたそうです。

 

織部丸東方の中世山城の遺構

 

武士が嫌った花

 

なんだろう

 

工事中で出丸へは行けない。

 

本丸250m

 

 

津和野城絵図(明治7年)

 

 津和野城は標高362mの霊亀山(れいきさん)上にあり、山麓からの比高は約200mを測る典型的な山城である。築城は吉見頼行(よりゆき)・頼直(よりなお)が永仁3年(1295)から正中元年(1324)にかけて行ったと伝えられる。

 吉見氏が築城した中世山城は、関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601)に3万石の大名として入城した坂崎直盛(さかざきなおもり)によって、高石垣を有する近世城郭へと大改修された。

 元和3年(1617)に因幡国鹿野城(いなばのくにしかのじょう)より亀井政矩(かめいまさのり)が4万3千石の大名として入城後は、亀井氏11代の居城として明治維新まで続いた。


名古屋城 天守閣 18年3月

2018年03月14日 | 城・城址

名古屋城の生い立ち

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14年(1609)豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、清州から新城下への街まるごとの引越しを決定。この新たに造られた碁盤割の街が現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれています。

慶長15年(1610)名古屋城築城にあたって家康は、加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じました。これを天下普請といいます。天守や櫓の作事(建築工事)は小堀遠州・中井清正らに命じられ、慶長17年(1612)にほぼ完成しました。尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。

 

 

 

黄金水井戸 木枠

 

天守最上階より

 

 

 

 

金鯱

鯱(シャチ)は空想上の生き物で、水を呼ぶと言われることから火除けのまじないとされてきました。名古屋城の創建時の金鯱は、徳川家の権力・財力を誇るもので、貼られた金の量は慶長大判で1940枚といわれています。


名古屋城 本丸御殿 18年3月

2018年03月13日 | 城・城址

 名古屋城本丸御殿

名古屋城本丸御殿は、初代尾張藩主の住居・政庁として使用するため、慶長20年(1615)、徳川家康により建てられました。昭和5年には天守と共に国宝に指定され、名建築として知られていましたが、昭和20年の空襲により焼失しました。

平成21年(2009)から復元工事を開始し、平成25年5月29日に玄関と表書院、平成28年6月1日に対面所と下御膳所の公開が始まりました。

  

 

 

 

 


名古屋城 18年3月

2018年03月13日 | 城・城址

名古屋市役所

 

特別史跡 名古屋城

 

 

那古野城跡

 

 

 

 二之丸広場

 

 

清正公石曳きの像

 

 

 東南隅櫓(辰巳櫓)

本丸の南東隅にある屋根二重・内部三階の櫓。出窓には「石落し」が設けられています。かつては武具が納められていました。

 

表二之門

本丸南側にあり、鉄板張りとし用材は木割りが太く堅個に造られています。袖塀は土塀で鉄砲狭間を開いています。

 

 表二之門

 

 東南隅櫓

 

 

鹿が

 

本丸表一之門跡


辛垣城跡 18年1月

2018年02月04日 | 城・城址

 青梅丘陵の最高地点となる雷電山の近くに、青梅地方の中世の豪族・三田氏の辛垣城跡(からかいじょうせき)があります。

辛垣城跡登り口(急坂)

 

堀切?

 

堀切?

 

堀切?

 

堀切?

 

上の写真と同じ場所です。

 

辛垣山(からかいやま)

 

 

 

辛垣城跡 案内板

 

竪堀?

 

上の写真を下から

 

堀切?

 

巻き道合流地点

 

巻き道で戻ってみよう

 

赤い実

 

案内板

 

現在地の曲輪跡?

 

現在地の曲輪跡? 石垣は最近の物のようです。

 

現在地の曲輪跡?

 

曲輪2跡?

 

曲輪2跡?

 

竪堀?

 

上と同じ場所

 

始めの辛垣城跡登り口です。右が今来た巻き道です。

 

ここにも曲輪があったのでしょう。

 

巻き道を戻ります。さっきの竪堀?

 

赤い実のあった曲輪跡?


八王子城山 下山 17年12月

2018年01月08日 | 城・城址

東尾根コース新道で下山しました。

 

 

近づいてみました。

 

管理事務所にて

八王子城跡主要城郭周辺陰陽図

 

八王子城跡主要城郭周辺鳥瞰図

 

カラーのもあったのか。

 

こんな図柄もあったのか。

 

チューハイを飲みながら帰ろう。

 

御茶ノ水駅 聖橋

 

湯島聖堂

 

地下鉄丸ノ内線

 

聖橋と地下鉄丸ノ内線

 

中央線快速

ところでこれ何のカテゴリーだっけ?

さあ?

 

2016年6月26日 八王子城跡(3)

記事はこちら➝八王子城跡(3)