kamekutobu

ザスパクサツ群馬の応援、スローライフ、終活日誌、趣味、旅行

『一生』

2021-03-18 22:23:53 | 終活
寓話「蟻と螽斯(キリギリス)」
蟻は一年中働き詰めで冬越しの備蓄をする。
螽斯はその日暮らしで遊び暮らす。冬は食べ物に困り、蟻に助けを求める。
御伽話のハッピーエンドなら、蟻は助けるのでしょう。
教育的には、良い子の皆は地道に努力をしましょうみたいなオチにしたいのでしょう。

でも、そうなんだろうか。
新解釈をYouTubeで見た。

蟻は働き詰めで一生を終え、遊びもしないで、楽しいのか。悔いのない一生なのか。
螽斯のように、遊べる時に遊んでおいた方が後悔がない。
面白い解釈である。
的を得ている。

今の自分の生き方がそれに近いのだから・・・分かる。
刹那主義、
明日は明日の風が吹かないかもしれない。

しかし、一旦、間を置いて考えて見た。
物語には何かすっぽりと抜け落ちている。

遊ぶ=嬉しい
そりゃそうだ。

では、
働く=苦労
だろうか。

苦しくても目的のある働き=働き甲斐
はある。

寓話の蟻は働き蟻
せっせと餌を集め、巣に運ぶ。
これを女王蟻が食べ、子孫を産む。
働き蟻は卵、幼生体の世話もする。
忙しい。遊ぶ暇はないだろう。

与えられた天性を全うし、生を終える。

働き詰めの蟻の一生も悪くない気がする。

足が攣った

2020-12-09 08:05:46 | 終活
今朝は曇り。寒い。

いつもの服装で散歩に出掛けました。

あまりに寒いので、軽くジョギング。
20mも行かないうちに右足、太腿が痛くなった。
立ち止まった。

そう言えば、走らないまでも、早歩きすると同じような症状が出る。

ゆっくり歩き始める。
痛みは次第に遠のき、今、自宅に帰ったが格別の違和感はない。

走る。早く歩くは、筋肉に酸素をいつもより、多く供給しなければなりません。
つまり、酸素不足になったのではないか。
血液の流れに障害がでているのかも。
血管内部が詰まっている。
動脈瘤の疑いがありそうです。

嫌だな〜

そうそう、
今朝の散歩は寒かった。
結局、フードを外せなかった。マスクもしたままでした。

2020-12-09 06:15:12 | 終活
「絵」の話です。

◯溝口 敬ゐ さんの 「はつ菊」(ペン画)
グループ展で人魚姫シリーズの原画と版画を見ました。その繊細さ・緻密さに魅了されました。
原画は既に販売予約済み。やむなく、版画を購入しました。
その後、グループ展の会場で堀口さんとお話しする機会がありました。
頂いた「名刺」があまりにも素敵なので、「額装」して飾りました。
一枚のペン画の製作は気の遠くなるような時間が必要のようです。
無理を承知の上で、画廊を通して、「原画」を購入したいと伝えました。
何と「名刺」の原画をお譲り頂きました。

僥倖

多くの方に見てもらいたい、
暫く画廊に展示して貰いました。

◯原 誠二 画伯の 「水景図・待ち受ける世界」(日本画)
個展開催中、ポツリポツリと世間話をしました。アクリルボックスに収められた小粋な作品を購入する予定でしたが、個展開催直後に売れてしまいました。
早く、購入しておけば良かったは後の祭り。縁がなかったのです。
なぜ、即断しなかったのか。
個展の案内葉書にあった「水景図・待ち受ける世界」が頭から離れませんでした。
これだけの作品、欲しいと思う人は大勢いる筈です。
個展の最終日は自分の目の手術日と重なっていました。手術は無事終了。
家に戻る途中に個展会場に寄りました。
待っていてくれました。

熟考

コロナ禍で来場できなかった人も多かったでしょう。
暫く画廊に展示して貰いました。

◯井上 護 画伯の 「白い肌の女」(油彩)
井上画伯の絵は6枚持っています。
東欧の風景画(水彩)をオークションで落札したのがキッカケになり、東欧の風景画(油彩)を4枚購入し、居間の壁四面に掛けています。花(油彩)も購入しました。
これで一段落にするつもりでした。
井上画伯は元々、人物画、特に裸婦を描くことで有名なことは知っていました。
自分には縁はないと思っていました。

オークション出品予定品を見た瞬間、後先を考えずに購入を決めました。

即断

即日、持ち帰り、あるべき場に収めました。

限りある出会い
一期一会
後悔はしたくありません。

でも、だから、

2020-11-10 03:13:17 | 終活
正月はめでたくもありめでたくもなし
喜びも中位なりおらが春

今年も残すとこ、2ヶ月を切りました。
走馬燈がごとし・・・・
あっという間に過ぎていく。

振り返れば、「あ〜すれば良かった、こうすれば良かった」という繰り返しの人生だったけれど、
多分、そう思うのは自分だけじゃない。
ほとんどの人がそう思っているんじゃないでしょうか。

でも、
生きなければならなかった。
自分一人の問題じゃなかったこともあった。
枷(世間体)にハマって生きざるを得なかった。
生き長らえて来られた。
極々普通の人生なんでしょう。

でも、
歳を取るとその枷は弱まっている。
肩肘を張って生きる必要性が減っている。

だから、
「できるのにしなかった」、「失敗が怖くてしなかった」
は絶対、出来るだけ、なるべく・・・しないようにしたいな〜 (ディクレッシェンド)
と言う気持ちになりました。

だから、
「急に我が儘になった」
周囲からみれば、ボケたかと思われるかもしれない。
そう言う事実も否定はしない。

だから、
「老い」、「終活」に真面目に向かい合う必要はありません。
いずれ、向こうから間違いなく「向い」に来るのですから
それまで日々を足掻き続ける
ケ・セラ・セラ 

だから、
二言目には「終活」『終活』・・・
先に言ったもの勝ち、
「免罪符」にしている狡い爺です。

ブログの良いところ

2020-10-22 06:06:16 | 終活
ユーチューブ、フェースブック、SNS、ツイッター
自己表現の場は色々あります。
簡便なものもあれば、そうでないものも・・・・・

ブログは即時性には欠けます。
動画なら一目瞭然でも、ブログは一応文に纏めなければなりません。面倒です。
その一方、取り敢えず、書き込んで置いて、後で見直すことができます。

自分はメモ程度から始める。
後で推考(と言う大袈裟なものじゃないけれど)して、整理し直すことが多い。
思考は、声に出して、文にして、つまり出力したパーツも再構成する作業でもあるのです。
主張したいこともその説明順序を変えると全く違ったものになる。
いや、それが返って、そう言う見方もあるかもしれないと、自分の思考にフィードバックされる。
言葉遊びではあるけれど
自分の内でモヤモヤとしていたものが姿を現すこともある。

「言霊」って聞いたことがありますか。
つい口に出したものが一人歩きしてしまう現象です。

自分からみて、ブログは良い?時間潰しになっているようです。

ユーチューブは不要な画像も晒しかねない。
自分の恥なら良い。
他者の人権に関わるようなことは気をつけねばならないでしょう。

ブログは再構成が利く。
当たり障りのない毒にも薬にもならない内容
書き直しを前提に気軽に書き連ねています。

何故、ブログするの?

2020-10-21 06:15:48 | 終活
別にフェースブックでも、SNSでも良いんです。

目的は自己顕示欲。自己肯定欲とも
それだけです。
実も蓋もない話。

誰かのために役立てば良いなんと言う大それたことはありません。
あればあるで嬉しいけれど、生憎そんな内容を持ち合わせていません。

そして、今は
終活の一環かな〜

書く、表現すると言うのは頭の体操になる?

ボケ防止にはならなくとも、
ボケ進行の緩和になるかも・・・・

このところ、睡眠時間が一定しないのはイエロー信号!
徘徊は家の中に留まっているけれど、危ない、危ない

衣食足りて礼節を知る

2020-10-21 05:25:57 | 終活
「衣食住足りて礼節を知る」ではありません。
「住」が入っていません。
語源を調べたら、中国「管子」牧民の言葉でした。
移動民族なので住は省略された?

充ち足りれば、心に余裕が生まれる。

次に求めるのは「権力」だそうです。
支配欲なのでしょうか。

なるほど・・・・・

人間は実に欲深な動物だと思います。

閻魔様の前でも白を切る予感。
お釈迦様のお膝下には行けそうもありません。