グレタ・トーンベリというスエーデンの16歳の少女が国連で発表した内容が、若い世代を中心に支持を集めている。
地球温暖化への危機感を持ち、「自分の未来をなくさないで欲しい。科学に基き、大人たちはこれ以上の温暖化をすぐにでも止めるべきだ」という内容だが、話の初めにこう言ったのが印象的だった。
「私はここにいるべきではない。海の向こうの学校に帰るべきだ。」
最初この記事を見た時、ーーわざわざ来たかったであろう国連で、なぜそれを否定するようなことを言うのか、しかも真っ先にーーと首をかしげたが、ああ、これはトランプ大統領に対する怒りなのだと納得した。
発表の始まる少し前に、トランプ大統領が彼女のすぐそばを歩いて行ったのだが、それを見ていた彼女の表情はまさに「夜叉の如く」であった。
何しろアメリカの環境問題に対する取り組みの後退は目を見張るものなのだ。
1992年に日本の京都で開催された地球温暖化に対処するための国際会議で制定された「京都議定書」を5年後には反古にしたのがアメリカならば、さらに進んだ「パリ協定」は批准署名さえしなかったのもアメリカなのだ。
そういう事実を目の当たりに見ているグレタの怒りはもっともだろう。
トランプは「地球温暖化阻止などと言っている輩は金もうけのためだ」と一蹴しているのだから、「蛙の面に小便」のたぐいだ。
もっとも最先端技術応用の事業が集積したカリフォルニア、ロサンゼルスなどでは地球温暖化による高温・乾燥で山火事が多発しているから、「山火事にに小便」か。
この「グレタ宣言」より27年前のちょうど京都議定書が締結された同じ年に、ブラジルで開かれた環境サミットで、わざわざカナダから意見を述べに来た12歳の少女セヴァン・スズキ(父親が日系三世)も、同じような危機感あふれる表明を行っている。
あの頃は「フロンガスによるオゾンホール」の大問題が話題になっており、当時、新聞でもテレビでも「烏の鳴かぬ日はあってもオゾンホールが話題にならない日はなかった」状況であった。
あの問題では温暖化というよりもオゾンホールの拡大で「有害な紫外線」が地上に大量に降り注ぐことが、より危惧されていた。
しかしその後、フロンガス等の有害ガスの規制が法制化されたことで一件落着になったのか、フロン等のことはマスコミから消えている(事実オゾンホールの拡大は止まり減少に転じているらしい)。
その代わり紫外線が皮膚がんを誘発するという点だけが強調されて、化粧品やUV1製品の洪水現象は相変わらずである。
二人のどちらの意見も「極く若い少女が未来を憂える」点で共通で、やはり将来家庭を持ち子供を産み育てる重要な役割を持った女性の切実な心配が彼女らを通して表明されたとみてよい。
セヴァンは「会場にいる人々はみな、父であり母であり、子供も兄弟もいる。そして皆さんも子供だった時があったのだから、自分たち子どもを子ども扱いにしてはいけない」と明確に述べていた。
グレタの場合はもっと強烈で「子ども気ない言葉」を会場に浴びせかけていたが、27年前から一向に温暖化への対策が進んでいない各国指導者たちへの苛立ち(叱咤激励)と捉えるべきだろう。
トランプをはじめいかなる指導者と言えども、またどんな人間でも、母なくしてはこの世に生まれて来ず、幼少期の養育も母なしにしては成し得ない。
その母が安心して暮らせるのが現在・未来にかかわらず人類に課せられた最大の責務だろう。少女たちの怒りは「母なる大地(母胎)の怒り」そのものではないか。
地球温暖化への危機感を持ち、「自分の未来をなくさないで欲しい。科学に基き、大人たちはこれ以上の温暖化をすぐにでも止めるべきだ」という内容だが、話の初めにこう言ったのが印象的だった。
「私はここにいるべきではない。海の向こうの学校に帰るべきだ。」
最初この記事を見た時、ーーわざわざ来たかったであろう国連で、なぜそれを否定するようなことを言うのか、しかも真っ先にーーと首をかしげたが、ああ、これはトランプ大統領に対する怒りなのだと納得した。
発表の始まる少し前に、トランプ大統領が彼女のすぐそばを歩いて行ったのだが、それを見ていた彼女の表情はまさに「夜叉の如く」であった。
何しろアメリカの環境問題に対する取り組みの後退は目を見張るものなのだ。
1992年に日本の京都で開催された地球温暖化に対処するための国際会議で制定された「京都議定書」を5年後には反古にしたのがアメリカならば、さらに進んだ「パリ協定」は批准署名さえしなかったのもアメリカなのだ。
そういう事実を目の当たりに見ているグレタの怒りはもっともだろう。
トランプは「地球温暖化阻止などと言っている輩は金もうけのためだ」と一蹴しているのだから、「蛙の面に小便」のたぐいだ。
もっとも最先端技術応用の事業が集積したカリフォルニア、ロサンゼルスなどでは地球温暖化による高温・乾燥で山火事が多発しているから、「山火事にに小便」か。
この「グレタ宣言」より27年前のちょうど京都議定書が締結された同じ年に、ブラジルで開かれた環境サミットで、わざわざカナダから意見を述べに来た12歳の少女セヴァン・スズキ(父親が日系三世)も、同じような危機感あふれる表明を行っている。
あの頃は「フロンガスによるオゾンホール」の大問題が話題になっており、当時、新聞でもテレビでも「烏の鳴かぬ日はあってもオゾンホールが話題にならない日はなかった」状況であった。
あの問題では温暖化というよりもオゾンホールの拡大で「有害な紫外線」が地上に大量に降り注ぐことが、より危惧されていた。
しかしその後、フロンガス等の有害ガスの規制が法制化されたことで一件落着になったのか、フロン等のことはマスコミから消えている(事実オゾンホールの拡大は止まり減少に転じているらしい)。
その代わり紫外線が皮膚がんを誘発するという点だけが強調されて、化粧品やUV1製品の洪水現象は相変わらずである。
二人のどちらの意見も「極く若い少女が未来を憂える」点で共通で、やはり将来家庭を持ち子供を産み育てる重要な役割を持った女性の切実な心配が彼女らを通して表明されたとみてよい。
セヴァンは「会場にいる人々はみな、父であり母であり、子供も兄弟もいる。そして皆さんも子供だった時があったのだから、自分たち子どもを子ども扱いにしてはいけない」と明確に述べていた。
グレタの場合はもっと強烈で「子ども気ない言葉」を会場に浴びせかけていたが、27年前から一向に温暖化への対策が進んでいない各国指導者たちへの苛立ち(叱咤激励)と捉えるべきだろう。
トランプをはじめいかなる指導者と言えども、またどんな人間でも、母なくしてはこの世に生まれて来ず、幼少期の養育も母なしにしては成し得ない。
その母が安心して暮らせるのが現在・未来にかかわらず人類に課せられた最大の責務だろう。少女たちの怒りは「母なる大地(母胎)の怒り」そのものではないか。