10月1日だったか、日本学術会議の新会員105名のうち6名が任命権者である菅首相に拒否されたということで物議を醸している。
日本学術会議は1949年に「日本に科学をもっと浸透させなければ、戦前に逆戻りする」という趣旨のもと、理工学のみならず、社会文化系の科学者を糾合して発足した。
おそらくGHQの差し金もあったと思うが、この年に湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞しているので、差し金云々はさて置き、その設立は国民の間で純粋に好ましいものととられたに違いない。
菅首相は発表当初、さしたる理由も示さず、唐突の感を免れなかった。
しかし昨日はようやく会見に出て、タイトルにあるように「総合的・俯瞰的な活動を確保するため(の選任拒否)」だった――と何だかよく分からない表現で切り捨てた。
会見場の記者が「学問の自由に対する憲法違反では?」と質問すると、「それはない」と即答した。
確かに「これこれの学問を禁ずる」というのであれば間違いなく学問の自由への圧力になり、憲法違反になるが、会員の自由な研究を封じるわけではないので、この質問はお門違いだ。
次に「安全保障関連法案などに反対したから(任命しなかったの)か?」と訊くと、これも即座に「そういうことは全くありません」と今度は「全く」という強調語を使い、きっと口を結んだ。
その間髪を入れない回答の速さと、「全く」という言葉を聞いた時、私は菅首相の腹の内は「その通り!」なんだと、裏読みしてしまった。
と言うのも、先月の2日と記憶しているが、いつもの官房長官としての会見で、記者から「官房長官は総裁選に出ないのですか?」と訊かれて、即座に間髪を入れず「全く考えておりません」と応じていたのだが、その時と全く同じ答え方と雰囲気だったのである。
あの時点ではすでに二階幹事長から「安倍さんのあとは菅官房長官で」と打診があり、内定していたようなのだ。人間は胸の内の秘め事を余りに図星に指摘されると、動揺を隠すために強くきっぱりと否定したがるものだ。海千山千の政界ではなおのことだろう。
5年前にさかのぼるが、安倍首相の唐突な「安全保障関連法案」提出で揺れに揺れた国会周辺での反対運動。そして街頭演説で「安倍、辞めろ!」という反対派のシュプレヒコールが巻き起こると、安倍首相は「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」と色を成して叫んでいたのを思い出す。
この安全保障関連法案などの反対派に大きく影響を与えていたのが、今度任命拒否されたうちのほとんどであった。
安倍さんの忠実な後継者である菅さんはそんな状況を目の当たりにしており、それが今度の任命拒否につながったのだろう。報復人事と言ってよい。
それともう一つが、3年前に日本学術会議が「防衛力の研究に携わるのは、学術会議の本旨に反する」として政府の要請(予算分配)を拒否したことだろうか。
この要請拒否を主導した中に今度の任命拒否対象者がいたのかもしれない。菅さんにとって政府の言うことを聞かない奴がいては、「総合的・俯瞰的な活動」が確保できないから入れないでおこう—―と、こうなったわけか。
1983年に中曽根内閣の時の政府側の答弁では、「日本学術会議の推薦に挙がって来た新しい会員はそのまま(メクラ判で)承認している」だったが、菅首相にとってはそれすらも「悪しき前例主義」なのだろう。
自分としては日本が加盟している国際連合の憲章に於いて、国連設立の本義である「国際紛争は加盟国全体による集団的自衛権に基き、安全保障理事会が中心となって平和裏に解決する」に違反している二国間軍事同盟たる「日米安全保障条約」とその補完である「日米地位協定」も「悪しき前例」として見直して欲しいものだ。
それにしても「総合的」は分かるが、「俯瞰的(な活動)」とは何ぞや?
「大局的に」ということなのか。「世界の動きを大局的に見て物を言え」ということなのか。
では、大局的に国際連合(国連)の設立意義を見てみると、国連はそれまで存在した国際連盟と同様、「二国間の軍事同盟によらず、集団的自衛権(多国間軍事協力)によって紛争を解決する」ものであり、二国間同盟を結んだままの集団的軍事協力はあり得ないのである。≺/span>
日本学術会議は1949年に「日本に科学をもっと浸透させなければ、戦前に逆戻りする」という趣旨のもと、理工学のみならず、社会文化系の科学者を糾合して発足した。
おそらくGHQの差し金もあったと思うが、この年に湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞しているので、差し金云々はさて置き、その設立は国民の間で純粋に好ましいものととられたに違いない。
菅首相は発表当初、さしたる理由も示さず、唐突の感を免れなかった。
しかし昨日はようやく会見に出て、タイトルにあるように「総合的・俯瞰的な活動を確保するため(の選任拒否)」だった――と何だかよく分からない表現で切り捨てた。
会見場の記者が「学問の自由に対する憲法違反では?」と質問すると、「それはない」と即答した。
確かに「これこれの学問を禁ずる」というのであれば間違いなく学問の自由への圧力になり、憲法違反になるが、会員の自由な研究を封じるわけではないので、この質問はお門違いだ。
次に「安全保障関連法案などに反対したから(任命しなかったの)か?」と訊くと、これも即座に「そういうことは全くありません」と今度は「全く」という強調語を使い、きっと口を結んだ。
その間髪を入れない回答の速さと、「全く」という言葉を聞いた時、私は菅首相の腹の内は「その通り!」なんだと、裏読みしてしまった。
と言うのも、先月の2日と記憶しているが、いつもの官房長官としての会見で、記者から「官房長官は総裁選に出ないのですか?」と訊かれて、即座に間髪を入れず「全く考えておりません」と応じていたのだが、その時と全く同じ答え方と雰囲気だったのである。
あの時点ではすでに二階幹事長から「安倍さんのあとは菅官房長官で」と打診があり、内定していたようなのだ。人間は胸の内の秘め事を余りに図星に指摘されると、動揺を隠すために強くきっぱりと否定したがるものだ。海千山千の政界ではなおのことだろう。
5年前にさかのぼるが、安倍首相の唐突な「安全保障関連法案」提出で揺れに揺れた国会周辺での反対運動。そして街頭演説で「安倍、辞めろ!」という反対派のシュプレヒコールが巻き起こると、安倍首相は「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」と色を成して叫んでいたのを思い出す。
この安全保障関連法案などの反対派に大きく影響を与えていたのが、今度任命拒否されたうちのほとんどであった。
安倍さんの忠実な後継者である菅さんはそんな状況を目の当たりにしており、それが今度の任命拒否につながったのだろう。報復人事と言ってよい。
それともう一つが、3年前に日本学術会議が「防衛力の研究に携わるのは、学術会議の本旨に反する」として政府の要請(予算分配)を拒否したことだろうか。
この要請拒否を主導した中に今度の任命拒否対象者がいたのかもしれない。菅さんにとって政府の言うことを聞かない奴がいては、「総合的・俯瞰的な活動」が確保できないから入れないでおこう—―と、こうなったわけか。
1983年に中曽根内閣の時の政府側の答弁では、「日本学術会議の推薦に挙がって来た新しい会員はそのまま(メクラ判で)承認している」だったが、菅首相にとってはそれすらも「悪しき前例主義」なのだろう。
自分としては日本が加盟している国際連合の憲章に於いて、国連設立の本義である「国際紛争は加盟国全体による集団的自衛権に基き、安全保障理事会が中心となって平和裏に解決する」に違反している二国間軍事同盟たる「日米安全保障条約」とその補完である「日米地位協定」も「悪しき前例」として見直して欲しいものだ。
それにしても「総合的」は分かるが、「俯瞰的(な活動)」とは何ぞや?
「大局的に」ということなのか。「世界の動きを大局的に見て物を言え」ということなのか。
では、大局的に国際連合(国連)の設立意義を見てみると、国連はそれまで存在した国際連盟と同様、「二国間の軍事同盟によらず、集団的自衛権(多国間軍事協力)によって紛争を解決する」ものであり、二国間同盟を結んだままの集団的軍事協力はあり得ないのである。≺/span>