鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

旧国鉄・志布志駅

2020-10-13 14:16:23 | おおすみの風景
志布志市文化会館で「よみがえる志布志線・大隅線の歴史」展が開かれているというので行ってみた。

旧国鉄・志布志駅は、かつて大隅半島の鉄道の一大拠点だった。

国鉄志布志線・日南線・大隅線の3線が交わる要衝で、ここから鹿屋駅を経由して大隅半島周りで日豊線・国分駅につながり、北に向かえば岩川駅・末吉駅経由で西都城駅へ、東に宮崎県串間駅方面へは風光明媚な日南海岸を右手に見ながら南宮崎駅に至る。

文化会館に問い合わせて主催者の一人、旧国鉄職員で現在は志布志市SL保存会会長のM氏にお会いすることができた。

ちょうど今日は、保存会活動の中心活動である鉄道公園に保存してあるSL「C58 112 」機関車の清掃作業日だったので、蒸気機関車を間近に見ながら話を聞くことができて、運がよかった。
この蒸気機関車「C58 112」号はM氏と同じ昭和14年生まれということで、愛着一入だそうだ。しかし昭和50年に全国の蒸気機関車はすべて現役を引退した。
 M氏はその頃から保存会活動を始めたようで、昭和62年3月に志布志線・大隅線が国鉄民営化の流れの中で廃線になると、これが志布志町に寄贈された機会に鉄道公園への保存を働きかけ、実現した後、保存会でもう30年以上清掃活動を続けている。

鉄道公園のある場所は旧国鉄時代の機関区に当たるヤードで、機関区の二階建ての比較的大きな建物と転車台や機関車車庫などが、錯綜する線路群の中にあったそうである。(※機関区・保線区・車掌区の三区を持っているのは大隅半島部では志布志駅だけで、最大500名の職員を抱えていたというから、町としては一大産業だった。)

鉄道公園から東200~300m先に、現在のJR志布志駅があるが、今の駅は保線区と車掌区、それから当時のプラットホーム群を過ぎた先に当たるそうで、かつての利用者から見た旧志布志駅は現在の駅前から延びる直線道路の上にあったことになる。

昭和62年頃まで当地にいて鉄道を利用し、その後就職や進学で志布志を離れ、久々に帰って来た志布志人にとっては、まさに「隔世の感」だったろう。現在のJR志布志駅。かつての駅入り口は北向きだったのだが、今は西向きになっている。唯一残された日南線はここから真東に走って行く。
 今は無人駅なので、ワンマン路線バスのように乗り込んだ車内の自動切符を受け取り、降りる時に運転席の近くに据え付けられた料金箱に、車内に表示された金額を切符とともに入れてゆく。

大隅半島部に残された唯一の鉄道が日南線(志布志~南宮崎)で、無人駅とはいえ駅舎の一角が志布志市総合観光案内所(観光課)になっているから職員らしき人たちがかなりいたので聞いてみると、朝夕定期的に利用している学生(高校生)はたった一人ということであった。

たしかに日南線沿いの高校と言えば串間高校か日南(飫肥)高校で、宮崎県立だから鹿児島県からは無理で、ただ日南に私立日章学園というのがあることはある。たった一人でというのは寂しいが、おそらく日章学園の有名な野球部か何かを目指したのだろう。


「線路があればこの機関車を動かすことができますか?」という問いに、M氏は、「それは無理でしょう。手入れしていたとはいっても外観だけで、中身(部品)までしていないから・・・」とやや寂しそうだった。

それでも頂いた資料の中にあったように、――SLは「昭和の文化遺産」としていつまでも残しておきたいし、鉄道が志布志にとってどんな役割を果たしていたかに関心を持ってもらいたい—―という気持ちでこれからも保存活動を続けるようである。

25名ほどの保存会のメンバーはM氏の80歳をはじめみな高齢者に属しているが、この活動はやりがい(きれいにする、みんなでやる、無理がない、達成感がある)という点ではピカいちではないか。いつまでも続けて欲しいものだ。