広島への原爆投下から78周年の今年は、5月に広島出身の岸田総理のホストの下でG7が開催され、G7各国首脳とウクライナのゼレンスキ―大統領が原爆資料館を訪れたことで話題になった。
ここで岸田総理が自分が音頭を取って核廃絶に向けての工程表でも発表すれば、被爆地広島出身の政治家としての面目が立とうものを、相変わらず「アメリカの核の傘(抑止力)」を認め、それに依拠する姿勢を変えないものだから、世評はすこぶる悪い。
国際的にもこの日本の立場は理解不能に近く、極端な見方では「核の傘は日米同盟を前提にしているのだが、日米同盟をやめたら今度は日本が核兵器を開発し、広島・長崎の仇を取るに違いないから、アメリカが日本に核兵器を持たせないようにしているのだ」というような国際感覚もあるくらいだ。
日本が仇討ちなんてすることは金輪際あり得ないし、仮に日米同盟が廃棄されても日本が核兵器を持つことは国民感情が許さない(国際的にも否定される)。
松井広島市長に続いて壇上に立った湯崎広島県知事は、日本が核廃絶に向けて積極的に取り組むことが何としても肝心なことであり、被爆死亡者への慰霊の最たるものということを明確に述べていた。
原爆投下について一般アメリカ人の認識の大きな部分は「原爆投下によって終戦を早め、無用な戦闘による戦死者を皆無にした良策だった」というものだが、米兵の間では例の「リメンバー・パールハーバー」の掛け声の下、一種の「仕返し」感が支配していた。
パールハーバーの仕返しはその後の戦闘で十分に満足させられている。ガダルカナル以降の兵隊同士の戦闘による戦死者は国際法上合法で、その線での日本軍への「仕返し」は済んでいたはずだ。
ところがその後の沖縄本島上陸の際の沖縄住民に対する攻撃から始まる日本本土の一般市民に対する「無差別爆殺」は戦時国際法では許されないものであった。まして広島・長崎への原爆投下においておや。
ここまでひどい一般市民への爆弾投下は、「仕返し」を通り越してアメリカ側の有色人種への差別感情抜きには考えられない。
人種のるつぼと言われるアメリカだが、各人種の「主権」が守られるようになったのは、ベトナム戦争終結の1975年以降のたかだか50年に過ぎない。
「たかだか50年に過ぎない」からと言ってそれ以前の人種差別への「仕返し」は許されるかというと、そういうことにはならない。ベトナム人がそうだし、日本人もそんな怨念はとっくになくなっている。
今のところ対抗手段の核兵器を持ってアメリカを叩いてやろうと考えているのは北朝鮮の親分以外にない。