鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

家族と家庭

2024-01-15 19:55:31 | 日記

1月2日に起きた羽田空港の衝突事故について、SNSでは次のような発信があったという。

「札幌発のJAL機に乗っていた乗員・乗客はすべて無事だったが、貨物室に載せられていた2匹のペット(犬)は死んでしまった。客室にペットも載せられないか。助かったかもしれないのに・・・」

ペットマニアだとペットをみすみす殺してしまったような今回の事故への無念さを感じるらしい。

バカバカしい話である。

今度の事故では、AL機の客室乗務員が乗客を非常口へ誘導する際に「荷物はそのままにしてください。荷物はトランクから取り出さないでください」 と大声を上げて注意していたのに気付かなかったのだろうか。

一刻も猶予のならない極限状態での客室乗務員のこの叫びによって全乗客の命が救われたと言ってもよい。

こんな時にもし貨物室のペットを気にしてそちらに時間を取られていたら、どんな結果になったろうかと思うと冷や汗ものだ。

機内の頭上のトランク内の手荷物にどれだけ重要なものが入っていたか忖度することなく、人命こそが最優先と必死に訴え続けた当時の客室乗務員の行動は、結果としてすべての乗客367名をを無事に地上に降ろすことに成功した。

奇跡といっていいかもしれない。

これに対して「たった2匹のペットなのに、彼らには奇跡の恩恵はなかったのか?」という輩がいたら、あんたはアホかと軽蔑する。

いったい全体人間の命とペットの命とどっちが大切か言うまでもないことである。ペットを助けるより人間を助けるのが第一に決まっているではないか。

それに、海上保安庁機に乗っていて、これから新潟空港まで能登半島地震の救援物資を届けようという使命を果たそうとしながら、無念にも殉職した職員たちの命に対してペットの命云々という言い方は、彼らに済まないと思わないのだろうか。

ペットブームの昨今、どうもペットの扱いに疑問を感じる手合いが多い。

曰く「この子は家族の一員」、曰く「家族と同じだから旅行にはいつも一緒」云々。

家族とは血の通っている親子や祖父母のひとかたまりを指すから、血の通わない人は姻族は別にして家族ではない。まして犬や猫が人間の家族であることは逆立ちしてもない話だ。

ではペットとは人にとってどのような存在か。

「家庭の一員」ということだろう。けっして家族という血縁関係の一員ではない。

家庭とはペットを含め、そこで最低限の命を存続させる場所であり、人間に限って言えば、成長に応じて人間社会に出て行くための教育(しつけ)を施す最も大切な場所である。

ペットはと言うと、家庭は同じように最低限の命を存続させる場所なのだが、彼らにしつけは必要だが「ペット社会」というものは無いので、結局、生涯を「居候」で過ごす場所にすぎない。

同じ家庭の一員でも人とペットでは雲泥の差がある。

ペットを家族視するの主観的には構わないのだが、客観的に見れば家族でも何でもなく、ただの家庭の居候に過ぎないのだ。ペット礼賛もほどほどにしてもらいたい。

※我が家にも14歳の猫と13歳の犬がいるが、猫の方はほぼ「居候」。犬の方は来訪者への威嚇の遠吠えが役に立っている。ペットには違いないが、どちらかと言うと「使用人」感覚である。