この夏は二日間にわたってJR日南線を利用して旅をした。
日南線は鹿児島県志布志市から宮崎市まで、約90キロを走るローカル線である。
大隅半島の東海岸「志布志湾」に臨み、志布志線・大隅線そして日南線の三つの路線が交わる交通の要衝だった志布志駅だが、今は日南線だけのホームがただ一つ、駅員のいない無人駅になってしまった。
かっては保線区や車掌区などを擁し、国鉄職員が200名規模でいたというが、昭和62年3月に大隅線・志布志線が廃止になり、それ以降は国鉄民営化の開始とともにまさに潮が引くようにさびれていった。
日南線だけは廃止されたら地元民(通学生や高齢者)が困窮するとの「特殊事情」で何とか生き延びた。
今は日に7.8本の朝・夕路線で運行されており、通学生以外の利用頻度はごく少ないが、あればあったで重宝な足となっている。
宮崎県内では鹿児島県の吉松駅と都城駅を結ぶ「吉都線」(61キロ)とともにいわゆる「赤字ローカル線」の双璧だが、廃止するという声は聞こえてこない。
これら延命措置の取られた赤字路線よりはるかに営業成績の良かった大隅線(志布志~国分間98キロ)と志布志線(志布志~西都城間37キロ)が国鉄民営化とともにさっさと廃止されたのは、あきらかに勇み足だったと思う。
残っていれば、志布志線・大隅線・日南線を結んで宮崎から大隅半島への周遊ルートが確保され、それなりに全国からの集客もあったかと思うと残念でならない。
愚痴っぽい前置きはこのくらいにして、今残っている日南線が結ぶ「日向神話ルート」を紹介しよう。
日向神話というのは別名「天孫降臨神話」で、高天原から高千穂の峰に降臨した「ニニギノミコト」から始まって次代の「ホホデミノミコト」(山幸彦)、次の「ウガヤフキアエズノミコト」、そして大和への東征を果たした「神武天皇」までの4代が南九州を故地としており、それぞれを祭る神社がある。
ニニギノミコトは鹿児島県霧島市の霧島神宮に主祭神として祀られており、これだけは日南線を離れるが、あとの3代についてはすべて日南線の路線の範疇に祭る神社があるのだ。奇観と言っていいだろう。
北の方から見ていくと、日南線の北の終点は南宮崎駅だが、実際には志布志駅から南宮崎駅を通り過ぎて佐土原駅までの直通があり、南宮崎駅から二つ目に「宮崎神宮駅」がある。そこにはもちろん宮崎神宮がある。駅から西に約600mほどで広い境内の一角に着く。
宮崎神宮が祭るのは「神武天皇」(相殿にウガヤフキアエズ・タマヨリヒメ)。地元では宮崎神宮というより「神武さま」と呼ばれている旧官幣大社だ。
官幣大社は明治以降の「神祇官制度」によるもので、戦後は無くなった名称である。このお宮には元宮があったといわれ、それを「皇宮神社」といい、祭神は宮崎神宮と同じ神武天皇だが、相殿がタギシミミとカムヌマカワミミと一般には聞きなれない祭神だ。
タギシミミは神武天皇の南九州時代の長子(母はアヒラツヒメ)。他方のカムヌマカワミミは大和平定後に娶ったイスケヨリヒメとの間の三番目の皇子で、二代目を争ったときタギシミミを殺害している。
元宮(皇宮神社)がこのライバル同士を両方とも祭っている理由は分からないが、タギシミミは大和東征に付いていかなければ当然こちら(南九州)で王位に就いていた人であるから祭られても不思議ではないが、カムヌマカワミミはタギシミミの異母兄弟でのちに皇位に就いて綏靖天皇になり、大和に御廟(畝傍山の北)があって祭られているのだから、わざわざ南九州の地に祭る必要はないはずである。
私見としては、元宮は本来「タギシミミ」のみを祭っていたのではないかと見るのだが、この点については日南駅の東に鎮座する「吾田神社」のところで再考する。
さて次は志布志方面へ戻る途中の「青島神社」。ジャイアンツがキャンプに来ると必ずここに参拝することでも有名だが、なにしろ亜熱帯の陸繋島の中にある世にも珍しい神社。陸繋島の左右に見られる「鬼の洗濯板」はまるで自然の作り出す神業のようだ。
青島神社に祭られるのは天孫二代目の「ヒコホホデミノミコト」(山幸彦)。相殿には失くした釣り針を求めて海中に入った先の竜宮で見初めたトヨタマヒメ。このヒメは三代目のウガヤフキアエズを生んだ。
青島は神社の入り口の朱塗りの門殿に額が掲げてあるのを見ると「鴨就く島」とあり、これは「鴨着く島」の転訛だろう。もっとも「鴨着く島」の方は「かもどくしま」と読むのが正式で、「鴨が大陸や朝鮮半島から遠路波路を越えて届(とど)く島」のことで「鴨とどく島」の「と」が脱落して「鴨どく島」となっている。(パソコンへの入力で「かもどくしま」とやると「鴨毒島」と怪しげな漢字になるので、入力上は「かもつくしま」の方がよいが・・・)
何にしても青島は神社由来ではホホデミノミコトがトヨタマヒメとの別れの際に詠んだという「沖つ鳥 鴨着く島に わが率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに」にある「鴨着く島」だという舞台設定を採用している。そう言われればなるほど「鴨着く島」なのだろう。(神話の旅①終わり)
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