去年は戦後米国の施政権下にあった沖縄が本土に復帰してから50周年ということで、岸田首相以下本土から多数の要人が参加して記念式典が行われたが、今年は言わば「裏年」で、ニュースになることさえなかった。
その一方で、中国の海洋進出と台湾有事がクローズアップされ、防衛力増強の掛け声のもと沖縄の米軍基地縮小問題は棚上げされた形だ。
ロシアが旧連邦国ウクライナの東部4州への侵略を始めた去年の2月以降は、南西諸島(宮古・石垣・与那国・奄美)の自衛隊基地(駐屯地)において中国を睨んだ防衛装備の高度化が進められている。
自衛隊基地(駐屯地)の設置に大賛成だった地元先島の島民たちも、ミサイルの配備にはさすがに気もそぞろになっている。
ミサイルの配備は政府の言う「反撃能力の確保」(少し前までは「敵基地攻撃能力」と言ったが、この文言では「専守防衛」を標榜する自衛隊の在り方を逸脱する懸念があるという理由で変えられた)は、向こうが先にミサイルを撃ってきたら反撃する能力を持つことだが、そもそもそれほどの攻撃能力があるから、向こうから狙われるのではないか。
そんな懸念が自衛隊の存在を是としてきた島民たちの間に生まれつつある。政府側は「反撃能力の確保」は防衛力強化の一環との認識だが、現実にそのような高度な武器が使われれば島への危害の大きさは計り知れない。そう島民が思うのもむべなるかナである。
戦後沖縄に米軍基地が置かれ、それが恒久化されたのは、1949年の中国共産党政府の樹立の翌年1月にイギリスが共産党政府を承認してしまったことに端緒がある。アメリカは戦時中に日本軍と戦った蒋介石の中華民国を支援していた関係で、共産党政権を受け容れることはせず、その代わり、沖縄の基地を共産党政権への防波堤にしたのだ。
その直後の1950年6月には金日成主導の朝鮮戦争がはじまり、国連(多国籍)軍が出動したが、一時は半島がほぼ占領される勢いだった。その後盛り返した米軍主導の国連軍が北を押し返し、今日に続く休戦宣言のまま北緯38度線が南北朝鮮の境界となった。
その朝鮮戦争に中国共産党政府自身は政府軍つまり人民解放軍は送らなかったが、「義勇兵」という名の軍隊を送っている。
その軍隊としてのレベルは大したものではなかったようだが、とにかく朝鮮戦争で中国共産党政府は国連軍(中心は米軍)への宣戦布告は出さずに済んでいる。
戦後の一大確執は米ソ間にあり、冷戦が始まった。その大きな確執を前にすると中国の存在感は微々たるものだった。ところが1971年に共産党政府が国連に加盟すると、国連安保理の常任理事国であった中華民国(台湾政府)は国連から脱退を余儀なくされた。そのポストに就いたのが中国共産党政府であった。
沖縄の本土復帰と中国共産党政府の国連加盟がわずか1年の差で行われたというわけだが、中国共産党政府の国連加盟と安全保障理事会の常任理事国就任は今日からすると時期尚早もいいところだったが、米英仏ソはそれを承認したのであった。
アメリカからすれば中国が国連という国際組織に参加すれば「竹のカーテン」と呼ばれていた中国内部の極秘情報がよく分かるようになる――というような期待を抱き、あまつさえ一党独裁の国から民主的な国家へ転換していくというような期待を持ったのだろう。
ところがあに計らんや、中国は「開放政策」(鄧小平)をスローガンとして先進国の投資と技術はどんどん取り入れたが、結局のところ「経済は経済、政治は政治」を頑なに演じ切り、経済力では2010年に日本を抜き、今や米国に追い付かんばかりの発展を遂げてしまった。
アメリカにしてみれば面白くない状況だ。せっかく52年前に貧困な共産国でありながら国連に加盟させ、常任理事国に据えてやり、その後はどんどん投資を行い、経済発展に弾みをつけてやったのに、何だって偉そうに・・・。
アメリカが世界の警察官よろしくベトナム・イラク・アフガニスタンなどへ軍事的コミットをしている間にせっせと経済力をつけまくり、すべての道はローマへをならった「一帯一路」政策を掲げて、世界中の国へ経済的コミットを深めている。
「台湾有事問題」の根底にあるのは、米中の覇権的な対立だろう。
万が一有事となったら、従来の日米安保の解釈なら、日本の自衛隊は日本の国土内だけの「専守防衛」で済んだのだが、安全保障法案によれば、米軍の指揮下に入ることになる。要するに米軍の先兵としてのハタラキをすることになる。
アメリカと中国との覇権的な対立に日本がいやおうなしに介入する、あるいはさせられる懸念が非常に強い。それも日米安保のしからしむるところだ。
そもそも二国間の軍事同盟は戦後の国連憲章では否定され、すべからく集団的な、同志国的な国家間の協議の上で解決を図るのが筋になっている。
日米安保はその点に非がある。前大統領のトランプは「アメリカは日本がやられたら助けに行くのに、アメリカがやられても日本は助けに来ない。こんな不平等な条約があるか!」と吼えていたが、たしかに正論だ。二国間の軍事同盟ならまさにそういうことだ。
だが、米中の対立に日本が加担することは、日本が中国を完全な敵にまわすことが前提である。日本にとって中国は100パーセントの敵だろうか?
日米安保に引きずられて、日本が中国と戦う可能性があるとすれば馬鹿げている。日米安保の存在意義そのものを今一度考えるべきだ。日本が日本らしい王道(恒久平和の道)を行くためにも。
その一方で、中国の海洋進出と台湾有事がクローズアップされ、防衛力増強の掛け声のもと沖縄の米軍基地縮小問題は棚上げされた形だ。
ロシアが旧連邦国ウクライナの東部4州への侵略を始めた去年の2月以降は、南西諸島(宮古・石垣・与那国・奄美)の自衛隊基地(駐屯地)において中国を睨んだ防衛装備の高度化が進められている。
自衛隊基地(駐屯地)の設置に大賛成だった地元先島の島民たちも、ミサイルの配備にはさすがに気もそぞろになっている。
ミサイルの配備は政府の言う「反撃能力の確保」(少し前までは「敵基地攻撃能力」と言ったが、この文言では「専守防衛」を標榜する自衛隊の在り方を逸脱する懸念があるという理由で変えられた)は、向こうが先にミサイルを撃ってきたら反撃する能力を持つことだが、そもそもそれほどの攻撃能力があるから、向こうから狙われるのではないか。
そんな懸念が自衛隊の存在を是としてきた島民たちの間に生まれつつある。政府側は「反撃能力の確保」は防衛力強化の一環との認識だが、現実にそのような高度な武器が使われれば島への危害の大きさは計り知れない。そう島民が思うのもむべなるかナである。
戦後沖縄に米軍基地が置かれ、それが恒久化されたのは、1949年の中国共産党政府の樹立の翌年1月にイギリスが共産党政府を承認してしまったことに端緒がある。アメリカは戦時中に日本軍と戦った蒋介石の中華民国を支援していた関係で、共産党政権を受け容れることはせず、その代わり、沖縄の基地を共産党政権への防波堤にしたのだ。
その直後の1950年6月には金日成主導の朝鮮戦争がはじまり、国連(多国籍)軍が出動したが、一時は半島がほぼ占領される勢いだった。その後盛り返した米軍主導の国連軍が北を押し返し、今日に続く休戦宣言のまま北緯38度線が南北朝鮮の境界となった。
その朝鮮戦争に中国共産党政府自身は政府軍つまり人民解放軍は送らなかったが、「義勇兵」という名の軍隊を送っている。
その軍隊としてのレベルは大したものではなかったようだが、とにかく朝鮮戦争で中国共産党政府は国連軍(中心は米軍)への宣戦布告は出さずに済んでいる。
戦後の一大確執は米ソ間にあり、冷戦が始まった。その大きな確執を前にすると中国の存在感は微々たるものだった。ところが1971年に共産党政府が国連に加盟すると、国連安保理の常任理事国であった中華民国(台湾政府)は国連から脱退を余儀なくされた。そのポストに就いたのが中国共産党政府であった。
沖縄の本土復帰と中国共産党政府の国連加盟がわずか1年の差で行われたというわけだが、中国共産党政府の国連加盟と安全保障理事会の常任理事国就任は今日からすると時期尚早もいいところだったが、米英仏ソはそれを承認したのであった。
アメリカからすれば中国が国連という国際組織に参加すれば「竹のカーテン」と呼ばれていた中国内部の極秘情報がよく分かるようになる――というような期待を抱き、あまつさえ一党独裁の国から民主的な国家へ転換していくというような期待を持ったのだろう。
ところがあに計らんや、中国は「開放政策」(鄧小平)をスローガンとして先進国の投資と技術はどんどん取り入れたが、結局のところ「経済は経済、政治は政治」を頑なに演じ切り、経済力では2010年に日本を抜き、今や米国に追い付かんばかりの発展を遂げてしまった。
アメリカにしてみれば面白くない状況だ。せっかく52年前に貧困な共産国でありながら国連に加盟させ、常任理事国に据えてやり、その後はどんどん投資を行い、経済発展に弾みをつけてやったのに、何だって偉そうに・・・。
アメリカが世界の警察官よろしくベトナム・イラク・アフガニスタンなどへ軍事的コミットをしている間にせっせと経済力をつけまくり、すべての道はローマへをならった「一帯一路」政策を掲げて、世界中の国へ経済的コミットを深めている。
「台湾有事問題」の根底にあるのは、米中の覇権的な対立だろう。
万が一有事となったら、従来の日米安保の解釈なら、日本の自衛隊は日本の国土内だけの「専守防衛」で済んだのだが、安全保障法案によれば、米軍の指揮下に入ることになる。要するに米軍の先兵としてのハタラキをすることになる。
アメリカと中国との覇権的な対立に日本がいやおうなしに介入する、あるいはさせられる懸念が非常に強い。それも日米安保のしからしむるところだ。
そもそも二国間の軍事同盟は戦後の国連憲章では否定され、すべからく集団的な、同志国的な国家間の協議の上で解決を図るのが筋になっている。
日米安保はその点に非がある。前大統領のトランプは「アメリカは日本がやられたら助けに行くのに、アメリカがやられても日本は助けに来ない。こんな不平等な条約があるか!」と吼えていたが、たしかに正論だ。二国間の軍事同盟ならまさにそういうことだ。
だが、米中の対立に日本が加担することは、日本が中国を完全な敵にまわすことが前提である。日本にとって中国は100パーセントの敵だろうか?
日米安保に引きずられて、日本が中国と戦う可能性があるとすれば馬鹿げている。日米安保の存在意義そのものを今一度考えるべきだ。日本が日本らしい王道(恒久平和の道)を行くためにも。
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