鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

18年目の庭

2021-11-04 09:16:59 | 日記
このところ穏やかな過ごしやすい気候が続いている。

10月の半ば近くまで続いた夏日が、今は嘘のようだ。

鹿屋、大隅ではそうでもなかったが、鹿児島市では10月のちょうど15日まで、10月としては過去に例のない夏日が連続し、記録を更新したそうだ。

こちらは鹿児島市より最低気温も最高気温も常に2度前後は低いので、そういうことはまずない。

特に感じるのが最低気温だ。こちらでは10月の半ば過ぎに最低気温6℃の日があった。というのは鹿屋市は内陸型に属するので、最低気温が想定外に低くなることがある。

冬は結構寒い。霜の降りるのも、平年で12月10日くらいから、明けて2月半ばまで、20回ほどは降る。氷結も同じで、車は庭に青空駐車させてあるので、冬になると朝出かける前にぬるい湯をぶっかけてフロントガラスの氷を解かすことになる。

明らかに霜が降りそうな場合、前の晩にフロントガラスを不用になった毛布などで覆えばいいのだが、忘れてしまうことが多い。

これまでの最低気温は一昨年の1月下旬に記録した-8℃だった。

さて、夏日がいつまでも続くと、家庭菜園用に蒔いた野菜などの芽出し後の管理が大変である。

芽が出るには結構な高温(といっても20℃から25℃)が必要なので、9月に入ったら種まきの準備に追われる。あまり遅いと気温が下がり過ぎて芽出しが不十分になるからだ。

中旬までに蒔いた野菜が芽を出し本葉が数枚出たら一安心なのだが、今年は10月になっても夏日模様で、今度は暑すぎて定植した苗に高温障害が出始め、サニーレタスなどは定植したうちの3割は活着せずに枯れてしまった。

水かけも一日に2回やることがあり、結構な労働だ。

それでも10月中旬以降は、気温が急激に下がり、20日頃からは朝の最低気温が10℃から15℃、日中も20℃前後と、暑からず寒からず、人間様同様、畑の野菜たちにとってもしのぎやすい(成長しやすい)気候になって、ひと息ついている(今このブログを書いている10時現在の気温は16℃と、パソコンの画面の下に表示されている)。


2003年4月にここに家を建てて18年になるが、その年の秋から庭造りと野菜作りを始めたから、今年でまる18年目の庭の様子である。

東から西を写しているが、手前にはブロッコリーと白菜・大根、真ん中にサニーレタスと遅まきの白菜やイチゴが見えている。
そのほかに春菊と高菜がひと畝ずつと、定番の九条小ネギ。それから今年初めて植えてみた赤玉玉ねぎのひと畝がある。

サニーレタスと春菊は虫害にめっぽう強いようで、他の野菜の葉には虫食いの跡がたくさん見えるのに、この2種に限ってはまっさらだ。どちらも苦味を持っているから、多分その成分が虫を寄せ付けないのだろう。大根の葉もほとんど虫食いがない。こちらは苦味ではなく辛味が忌避剤なのに違いない。

菜園にはここ5年ほど、毎年軽トラックで3台分くらいの腐葉土を投入しており、そのおかげか根張りが多くなり、葉の色や伸びがよくなって結果として成り具合もいい。好循環だ。

好循環と言えば、ここに来てから出すゴミのうち、台所から出る生ゴミを市のごみステーションに出したことはなく、すべて庭にコンポスト用の穴を掘って埋めて来たことが自慢と言えば自慢だ。SDGsへのささやかな取り組みでもあるだろう。

周囲に立つ木々も18年前からのもあれば2、3年前に植えたのもあって様々だが、自分の背丈をはるかに超える3メートル前後まで成長した樹木は、ざっと数えただけで15本、隣家との境に植えた垣根用のまで入れれば40本近い。

一番ののっぽは合歓(ねむ)の木で、15年ほど経つが、樹高5メートル、樹径8メートルにもなっている。夏は日差しを遮り、葉を落としてからは日をよく通してくれる我が家のシンボルツリーだ。

この樹木たちが生える前、ここは宅地分譲地でもちろん更地であり、一面に白砂ならぬシラス火山灰が厚さ10センチくらいで一面に敷かれていた。(※宅地の分譲地にシラスが敷かれているのはこちらではごく普通の風景である。)

言わばミニミニ砂漠だった。そこに畑土を入れ、たい肥を入れして、少しずつ耕し、今日という日になった。空から見れば砂漠の緑化のようにも見えるはずである。

いまイギリスでCOP26という地球温暖化防止のための二酸化炭素削減について協議が行われているが、なぜもっと「緑化」(森林再生かつ養成)について話し合おうとしないのか。

長期的に見れば、緑化に勝る二酸化炭素削減効果はなく、人間居住環境維持にも最適なのだ。岸田首相もその点を独自に提案すべきではないか。

近頃、はまってしまったテレビ番組に「ぽつんとそこに一軒家」というのがあるが、オープニングで山中にポツンとある一軒家を空撮していく場面がある。あれを見ると日本は森林大国だなあとつくづく思うのだ。

森林の維持と再生こそが究極の二酸化炭素削減であり、人間の未来永劫にわたる生存を保障してくれるものではないか――日本はもっとそのことを訴えていく必要があるだろう。

ちなみに、大戦後のマッカーサー占領政策の中に「天皇制を賛美し支えてきた神道を国家管理から解放し、伊勢神宮はその頂点であるから廃絶するべし」(神道指令)というのがあり、神道界は青ざめたのだが、「伊勢神宮は見ての通り森林に囲まれており、もともとは天皇崇拝なのではなく自然崇拝なのである」と反論して乗り切ったという経緯がある。

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