今年も終戦記念日がやって来た。
武道館では各県遺族代表が参加して行われるはずだったが、台風7号が紀伊半島に接近し上陸しそうだということで進路に当たる10府県の代表者が来られなかったという。
台風7号は現実に当日の午前5時頃に、紀伊半島和歌山県の潮岬あたりに上陸し、そのままほぼ一直線で和歌山市付近を通過し、淡路島の北端をかすめて兵庫県に再上陸し、県内を北北西に進み日本海に抜けた。
先の6号台風は沖縄付近でくるりとUターンして東行し、奄美を抜けてまた北西に大きく向きを変えたが、あれもこれまでにない不可解な動きだったが、7号台風は対照的に太平洋側から列島のど真ん中を南から北へまっ直ぐ貫くという、こちらはこちらで唖然とするような直球路線だった。
終戦記念日の戦没者追悼式典は正午に開催されたから、台風7号は紀伊半島に上陸してそのまま北北西に進み和歌山市に差し掛かるころだったわけだ。
ほとんどの台風はこの時期には沖縄から奄美群島を通り、南九州から北部九州への進路を取るのだが、7号台風は異例中の異例な進み方をした。ために大阪や名古屋の国際空港や新幹線を利用しようとしていた旅行客や帰省客が足止めを食らい予定が大きく狂ったようだ。
譲位後の新天皇ご夫妻が全国戦没者の追悼碑の前で「お言葉」を読み上げるのはこれで5回目だが、もうお馴染みの光景となった。
今年は残念ながら10の府県からの参加者が台風7号のために来られなくなったうえ、戦没者の父母に当たる人たちの参列が無かったそうだ。時の流れというのだろう。致し方ないことである。
亡くなった310万という多くの御霊にロシアによるウクライナ戦争がどう映っているだろうか。
「大義亡き戦争は止めよ」と言うだろうか。おそらくそうだろうと思う。
今時ロシアのプーチンの言う「東部4州に住むロシア人迫害阻止」つまり「居留民保護」という大義は通用しないはずだ。彼らは自由意志によってそこに住んでいるはずで、強制的に住まわせられているのではないからだ。
先の大戦における日本の「大義」は何といっても「ヨーロッパ列強からのアジアの解放」であった。もちろん拙速だったり、功名合戦だったりしたきらいはあるが、日本軍民の「天皇の軍隊(皇軍)」としての規律と誇りは全軍に貫かれていた。
南京でシンガポールで日本軍は「悪辣の限りを尽くした」などと言われているが、日本軍の「天皇の軍隊としての規律」はしっかり保たれていたのだ。
それに比べると終戦後に満州に侵入して来た旧ソ連兵の悪逆非道は話にならない。婦女暴行は勝者当然の権利だったそうだからたまったものではない。
今度の戦争ではウクライナの婦女子に対しての暴行はワグネルという民間軍事会社の社員が行ったのだからロシア政府は関係ない、と、しらを切るつもりなのだろうか。
アメリカもベトナム戦争ではそれに近い非道を行った。アメリカはベトナム戦争の勝利者ではないのだから、本来なら、べとちゃドクちゃんの件を含めてきちんと戦時損害賠償をしなければならなかった。
どっちもどっちだが、戦争は2度と起こしてはならない。
日米安保があることによって米国の対中敵視政策に加担し、かりそめにも日本がアメリカの対中戦争の「盾」になってはならない。
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