今朝は…雨が降る?それとも上がるかもと、五分五分のところでラジオ体操へ行くのを止めました。すると10分も過ぎた頃、空が真っ暗になってザーッと大雨…。行かなくて正解でした。
昨日の朝も6時頃はまだ夕べの雨がちょっと残っていて、空を見ればまた降り出しそう…。ラジオ体操どうしよう?と思ったんです
ところが、思い出しました。ああ、そうだった!25日からはまた今までの8時20分に戻るんだったっけ。ということはこの日から2学期が始まったということ。それで、一昨日は〝打ち上げ〟といって、体操が終ったあとにビンゴゲームをして、大人も子どもも商品をたくさん貰って帰ったんですよ。おまけに手作りの水ようかんとターターアンダギーも。いくつになってもみんな子どもです…( ^_^)
お世話をされた会長さんご夫婦、ありがとうございました。
さて、今月の教室も一昨日が最後で、次は9月までしばらく息抜きができるかなと思っていると…、先ほど、電話が掛かってきました。公的施設での講座や部屋の貸出しが、今日から9月12日まで禁止になったと。またまた新型コロナウイルスの感染拡大を受け、新たに8道県が緊急事態宣言に追加され、まん延防止等重点措置も4県増やすと、政府の対策本部で決定されたからなんです。山口県はそのどれにも該当はしていないのですが、そのうれし~い波及効果(?)の現れなんですね。
だとすると、該当する教室はどこも閉鎖されますので、未だのところもそのうち言ってくることでしょう。もうこれで何度目でしょうか。つくづくイヤになってしまいます。また通信でするしか仕方がないのかも。
さて、一昨日の教室の兼題は「桐一葉(きりひとは)」でした。この季語は、中国前漢の『淮南子(えなんじ)』の「一葉(いちよう)落つるを見て歳のまさに暮れんとするを知る」より生まれたものですが、俳句では「一葉」や「一葉落つ」でも、また読みも「いちよう」「ひとは」どちらでもよくて、桐や梧桐(あおぎり)の落葉をさします。同じ季語で言い方の違うときは、どの言い方がいいかの選択を、その句のリズムや韻の響きなどで考えたらいいでしょう。
写真は、上が梧桐で下のが桐の木です。撮っていませんでしたのでお借りしました、スミマセン!
秋の初め、大きな桐(梧桐)の葉が風もなくばさりと音を立てて落ちる。その音で秋の到来を感じ取るというのは、あの有名な藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(『古今集』)に通ずる、和歌の時代からの日本人の繊細さでしょうか。
この季語で有名な句はといったら…皆さま当然ご存じでしょう。
桐一葉日当りながら落ちにけり 高浜虚子
なおこの「桐一葉」には、「一葉(いちよう)落ちて天下の秋を知る」という故事から、季節の到来だけではなく、〝わずかな現象を見て、その大勢を予知する〟ということわざの意味が匂ったりしますので、気をつけて用いる必要があります。しかし、俳句では概ね季節の到来を重要視しますので、桐の落葉の音に秋を感じるという趣で詠みたいもの。前述の敏行の〝秋〟には視覚的なものが何もないのですが、この〝桐一葉〟には、虚子の句のように音と同時にものがしっかり見えてくるというところが違います。ということは、秋の到来を目と耳で実感している場面ということなんですね。
もう一つ、私の好きな句…
夕暮れやひざをいだけば又一葉(またひとは)
これは小林一茶の『享和句帖』に収録されたもので、享和3年(1803)頃の作。季語は「一葉」。この頃の一茶は、俳諧師としてやっと認められ、〝一茶調〟と呼ばれる俳風が確立していった前途洋々の時期だったんでしょうが…。しかし、享和元年(1801)、精神面・生活面での拠り所だった父親を亡くし、その後は義母・弟との足かけ13年にも及ぶ骨肉の遺産争いを続けることになります。そんな一茶の苦悩の姿が〈ひざをいだけば〉でしっかりと見えてきますね。更に〈又〉を入れることによって、桐の一葉がぱらりと、またぱらりと…。そうだとするとこの〈一葉〉は秋の到来を感じるという抒情性だけのものではなく、人生の悲哀を感じさせるようなもの…。それを更に掻き立てるのが〈夕暮れ〉ということで…もう何の説明もいらないでしょう。
この哀感というものは、今のコロナ禍に置かれている私たち現代人の閉塞感にも…いや、この一茶の感覚は遙かな時代を超えて、今後人間が生きていく限りの普遍的な感情なんですよね。
写真は、通院している整形外科の部屋に貼ってあった手ぬぐいです。先日、フォローしているfukasaka200様のブログにもこの長寿の心得が載せてありましたが、文句がちょっとずつ違っていたような…。調べてみるとこれに類したものがAmazonには山ほどありましたが、きっと売れるからでしょうね。
長寿の心得
還暦… 六十歳でお迎えの来た時は 只今留守と云へ
古稀…七十歳でお迎えの来た時は まだまだ早いと云へ
喜寿…七十七歳でお迎えの来た時は せくな老楽これからよと云へ
傘寿…八十歳でお迎えの来た時は なんのまだまだ役に立つと云へ
米寿…八十八歳でお迎えの来た時は もう少しお米を食べてからと云へ
卒寿…九十歳でお迎えの来た時は そう急がずともよいと云へ
白寿…九十九歳でお迎えの来た時は 頃を見てこちらからボツボツ行くと云へ
〝気はながく、心はまるく、口をつつしめば、命ながらえ〟