昨日2日は、もう皆さまご存じのように朝から一日中gooブログがアクセスできず、本当にあくせく…しました。(笑)だって私が珍しく真面目に書こうかなと思って、せっかくやる気になっていましたのに…。
というわけで、今日のことは明日に回して、昨日書こうと思ったことを書きますね。
実は今年は元旦からとても幸先の良いことがあったんです。義弟・義母と亡くなり、喪中が続いていましたので、このところ元旦はどこへも行かず、また誰も来ないという静かでのんびりとしたお正月でした。ところが、今年はナント〝幸〟が飛び込んできたんです。以前俳句教室に通っていて、東京やいろいろなところへも一緒に旅をしたMさんが、手作りのシホンケーキとレモングラス茶を持って訪ねて来てくれたんですよ。嬉しかったですね。私が〝今年は春から縁起がいいわあ~~〟と言ったら、〝そりゃ、私の名前には幸が付いていますもの!〟と、大笑い。ああ、こんなにいい天気に愉しい話ができて、おまけに美味しいものが食べられるなんて…ナント幸せなことでしょう。これで、今年は何でもうまくいきそうな気がしました。ありがとうございました。
南縁の日に迎へたる賀客かな 室積徂春
この句のように、この日は余りにもポカポカして気持ちよかったので、〈南縁〉ではありませんでしたが庭のテラスでお茶を飲んで話したんですよ。
さて2日はというと、元旦と同じようにこの日もとてもいい天気で、風もなくポカポカしていましたので、今度は〝初詣〟へ主人と出かけることにしました。でも、一番近い産土神の琴崎八幡宮へは、きっとまだ人が多くて延々と並ばないといけないだろうと思って、他のところへ行くことに。
そこで行ったのが「南方八幡宮」。ここは奈良時代の天平勝宝三年(751)、厚東氏四代の白松太夫武綱公が、豊前国宇佐八幡宮の御分霊を迎え、古尾(現在の東岐波区古尾)の地に社を建て、吉敷郡賀保荘の鎮守としたことに始まります。古尾八幡宮を氏神様として信仰していたのは、宇部市西岐波から山口市佐山と広範囲で不便だったため、1233年(天福元年)、宇部市西岐波・東岐波は南方八幡宮、山口市阿知須・佐山は北方八幡宮に分社したんです。
広々と大石段や初詣 池内たけし
そこで、南方へ行ったんなら「北方八幡宮」へもと、参拝に行きました。
ところで、上の写真にもあるように、御手洗の水はなぜ龍の口から出るのか知っていますか?それは龍神が昔から水を司る神として崇められてきたからなんですよ。 水は全ての命の源、命を繋ぐ尊いものと云われ、穢れや邪気を祓うものです。 この水が「龍の口から出ている水」とすることで「神聖な水」という意味を含んでいます。 その神聖な水を出すこのような龍は「吐水龍」と呼ばれています。
御手洗(みたらし)の杓の柄青し初詣 杉田久女
この句のように新年には御手洗の柄杓やその置き場などは新しい竹でやり替えるので青々しているのですが、コロナが流行してからは少し変わってきて、花などを浮かべるようになりましたね。
せっかくだからと最後にもう一つ、「出雲大社宇部教会」にもお参りし、これで「三社参り」ということにしました。ここに出雲大社が創建されたのは、1928年(昭和3年)のことで、かつては厚狭郡楠木町吉部にあった神社を、渡辺祐策氏が宇部市内に神社を遷してほしいとお願いをされたことが始まりなのだそうです。
また、西日本各地の風習としてある三社参りは、正月の初詣として、三つの神社に詣でることを指します。特に福岡県を中心として九州地方・中国地方の一部で根付いた風習で、私の実家ではそれが当たり前になっていましたね。
ついでに、普通神社では二礼二拍手一礼という参拝が一般的ですが、出雲大社では二礼(二回おじぎ)四拍手(四回手を打つ)、最後にもう一度おじぎをしますので、ここでも同じようにします。
このように今年はお天気も良くて、悲惨なニュースもなく穏やかに年が明けましたから、どこの神社でもこのような平安無事な日がこれからもずっと続きますようにと…こころからお祈りしました。
ちなみにお神籤を引いたら、ナント〝大吉〟でした。〝辛い思いも祈れば神の、強い力で生き返る。七転び八起きという。……〟とは神の教えです。星野立子の〈よきみくじ四つに畳んで単(ひとへ)帯〉というのがありましたが、私はポケットに入れて持ち帰りました。しかし、念のために申しますが…この句は残念ながら〝初神籤〟ではなく、〝単帯〟が季語の夏の句なんですからね。