今日は久し振りに俳句の話題で~す!このところ義母の在宅介護で追いまくられていますけど、俳句教室や吟行会などは何とか欠かさずに実施できています。だから、忙しいのは十分承知の上なんですけど、10月になるとまた昨年行った宇部市の「子ども夢教室」が始まるんですよ。
〝この忙しい中に更に新たな仕事を引き受けるなよ!〟などと、主人から少しクレームがついたんですが、在宅介護が始まる前から承けていたものですから、今さら断るわけにもいかず…。ということで、私の受講している俳画とフラダンス、これがそれぞれ月に2回あるので、それを当分の間休会ということにして…どうにか了解してもらいました。
先日も、山陽小野田市の文化教養講座で〝俳句入門講座〟を実施しました。でもこれは年1回の講座でしたし、他にも以前から頼まれていた出張授業などがあったんです。それが一昨日でしたので、今回はその話でもしましょうか。
実施した学校は、実は嘗て私が勤めていた高校で、ナント退職以後初めて校内に入りました。今校舎は殆どが建替えられたり、昔の建物があったとしても改装されたりしていましたので、まるで全く知らない学校に来たみたい。生徒たちも眩しいこと…
以前お会いした国語のT先生に頼まれ、高校1年生の2クラスそれぞれに俳句の授業をしました。今までは、去年やった夢教室の小学生を除いては殆どが大人でしたから、やっぱり勝手が違いました。教壇に立つのも〝昔取った杵柄〟だからと、甘く考え何とかなるだろうと思っていましたけどね。
この高校が…ということなのかも知れませんが、先ず第一印象はなんとお行儀の良い生徒たちだことということ。昔の高校生は…なんていったらいけませんよね。昔は昔、今は今ですもの、比較してはいけません。でも、もう少し授業に乗ってきてくれるのかと期待していたのですが…大きな間違いでした。
〝俳句が好きな人?〟…シーン…、〝国語が好きな人?〟…しばらく間があいて、やっと1人、2人…遅れてもう1人…手を挙げてくれたのですが、それも女性徒だけ。ここは1クラス30人で男女半々でしたが…でも、大人しい!先生に聞くときっと緊張しているからでしょうと…。何だか独り相撲をしてきたみたいな感じで、これは私としては本当に予想外でした。
小学生の反応に比べると…まるで嵐と嵐の前の静けさ?アラッ、ちょっと違うかも。そうですね、嵐は永久に来ないという感じかな。でも、先生に聞くと日頃は賑やかなクラスなんだそうですから安心しました。要するに俳句に全く興味が無いということか、それとも私の話が少しも面白くなかったということでしょうか。悔しいけど…
でも、唯一目を輝かせながら興味津々に聞いて、メモまで取ってくれていたのが先生…これで救われました。有り難うございました。こんな生徒ばかりだったらどんなに…やっぱり国語科の先生たちに俳句の話をしてあげたいですね。私自身が実際に体験したことですもの。〝もっと早くから俳句をしておけば良かった!〟ということを、特に国語の先生には伝えたい!そうすれば必ず生徒たちにも伝わりますから。それもできれば小・中学校ぐらいからがいいですね。
今回の授業は私にとってはとても貴重な体験でした。今までの教養講座はある程度俳句に興味を持っている大人が来ますので。これからはこの生徒たちのように、全く興味の無い人たちにも、如何にして俳句に興味を持って貰えるかということを課題にしましょう。
〝開拓〟というのは、不毛の荒地などを開墾して畑にし、そこに種を撒いてそれを育てるということですから。そういう意味でも、夏井いつきさんのように私も〝俳句の種蒔き〟を、またガンバロウ!どうぞ応援よろしく…ねッ!
写真は、珍しくもありませんが、私の大好きな〝コスモス〟、仲秋の季語です。〈コスモスの揺れ返すとき色乱れ 稲畑汀子〉
コスモスの花言葉は、色によって違い、赤いのは「愛情」「調和」。白いのは「優美」で、ピンクが「純潔」だそうです。
ちわき先生の授業なんだから、きっと真摯に教えて下さるんでしょうね。私も高校生になりたいっ!!
私は、公園に集まるちびっ子小学生相手に「英語」を教えてるんですよ。
それも、興味を持った子だけですけど。
私のは「学校英語」ではないので、テストには関係ないですが、今は小学校から英語の授業があるようで、英語塾に通うちびっ子も多いらしいです。
歩きながら、あちこちを指して「あれを英語で言うと?」なんて尋ねると、正解だったり、答えられなかったり(;^_^A
「書かなくていいんだよ。君達もアカンボの時、日本語書かなかったでしょ」と言うと、ほっとした顔しますの。
言葉って自然と覚える物だと思うのですよ。娘は大阪産まれ大阪育ちですが、学生時代は「山口から来た子」と言われてたらしいです。私の山口弁が混ざっているらしい(;^_^A
何でも学習の原点には興味がないといけませんね…そして、それはやはり小さい時のが一番みたい。
mioさんが英語を教えているという小学生…ボーイフレンドの話、とても楽しそうですもの。
何でも聞こうとすること…これが興味・関心の表れですから。
でも自分たちが日常使っているもの、即ち日本語というものには、誰でもしゃべられるのが当り前ですから、きっと関心がないんでしょうね。
だからその日本語の面白さや俳句などの伝統的文芸の良さには気がつかないのです。でも何かの折に気がついてくれるのでは…と期待して、種まきをしているんですよ。
mioさんの山口弁…きっと純正だから強烈で脱けないんでしょう。私はあちらこちらのちゃんぽんで、一体どこの出身か…みんな分からないみたいですもの。
俳句は、自然との融合を感じさせてくれるような気がします。私は作るのは苦手ですが、心に響くような句に合うと、常に自己評価で御免なさい、再度読み返します。小学生のころから俳句に触れていればもう少しましだったかもしれない。ちわきさんの実母でしたら、パートナーの態度は?親戚で医師であっても婿殿は、私から見て従姉(いとこ)の実父母の世話は余りされていなかったよう。ということからすると、制約を受ける筋合いはないように思われます。あまり醜い争いはしない程度に、話し合いは難しい。
日本の俳句の世界、小学生から四季の自然に触れ合うこと大切だと思います。 K.M
おはようございます(*^-^*)
正直、もっと早く俳句を勉強しておけば
きっと楽しい20代30代を送れたのになと
思います(^-^;
これだけ日本人をやっていても
知らない季語や漢字はたくさんありますし、
珍しいものを見ると季語かな?と
確認する作業も楽しいです。
人と会話をしていて、言葉の語彙が
増えるのも俳句のお陰です。
何より、これから50代、60代と
認知症のリスクが出てくる年代を過ごすにあたり
俳句で右脳と左脳を働かせていれば
回避出来るのではないかなと思います(・∀・)ウン!!
575のリズムは日本人のDNAの中に
染み込んでいるものです。
私も微力ながら俳句の種まきを頑張ります(=゚ω゚)ノ
俳句に限らずどんな分野であれ、人の心から発せられるものには、それを創った人の〝こころ〟が籠もっています。それに触れた時人は己の心が共鳴するのです。その感動が、音を通じてであれば音楽、絵画であれば色を通じて図柄やモチーフに、俳句や短歌や詩などの言葉を介してであればそこに描かれる景や内容に…映画にしたって写真にしたって…創作というものは全てが自己表現だと、私は思っていますから。ただその手段・方法が違うだけではないでしょうか。
介護は、よく他人の面倒を看ている方が言われますが、私も実母に出来なかったことを義母に…という気持なんですよ。
時間的な制約の辛さだけで、精神的にはちっともいやではない…とうより却って心が満たされているという感じかしら。また、これからもいろいろとご助言などをよろしく…。
実は日本語の言葉の流れというのは万葉集の時代から五音と七音の組合わせだったんですよ。その繰り返しが長ければ長歌、短ければ短歌…そこから派生したのが俳諧連歌、そして、その俳諧連歌の発句が切りはなされて独立したのが俳句…
このように考えてみると、翡翠さんの言うように五七調や七五調が心地よく響くというのは、日本人のDNAに刻み込まれているものでしょうかね。
俳句の魅力に気が付いた人は殆どの人が言います。もっと早くに始めれば良かったと…
でも、翡翠さんはぐっと早いほうですよ。まだまだ若いんだから未来がずうっと広がっていますもの。頑張ってね!
一緒に俳句の種まきをしましょう。こうやってブログに書いたり、電子出版をして若い人に読んで貰ったりと、大いに活躍して下さい。応援していますからね。
遅まきながら 授業・お疲れさまでした。
けっこう、高校生も俳句を勉強されている方がいますけどね。
俳句の種 私も早くひろっておけば、良かった。
もう、この年になれば、何もかも覚えが悪くて大変です
少し危なくなってきてますしね(;^_^A
学校ではやはり先生が俳句をしておられるところが盛んになりますね。
高校なら俳句甲子園というのがありますので、それを目標に頑張る生徒が出てくるんです。
自分がやってると教えたくなりますもの。
だからそういう環境に巡り会うのも運かも。
今俳壇で活躍している俳人などは殆どがどこかで…例えば祖父母や父母とか恩師などと、近くに指導してくれる人がいたんですよね。
やっぱり何にしろ出会いではないでしょうか。