昨日もよく晴れていて暑い一日でした。ただ湿度の高い分だけカラッとした感じがありませんので、やっぱり蒸し暑い!
午後からはF教室の俳句教室でしたが、最高気温は30度…でも風がありましたからまあまあ凌ぎやすかったかな…。
今回の兼題は〝蜥蜴〟(とかげ)で、三夏の季語です。しかし、これについてはまた次の機会にでも。今日は、先日の「阿弥陀寺」吟行の続きを書きましょうか。
この寺一帯は前日からの雨が上がった後のしっとりした緑一色。まさに「青梅雨」の中にすっぽり包まれた仁王門を過ぎると、すぐに「湯屋・石風呂」があります。
まず「石風呂」は、源平合戦で焼失した東大寺の大仏殿を再建するため、材木供給地となった周防国(山口県)に入った重源(ちょうげん)上人が東大寺用材の伐りだしに従事する人のための病気治療や疲労回復に設けたものと伝えられています。現在使用されているものは昭和に建造されたものですが、石風呂の伝統は800年前の鎌倉時代から続くもので、現代のサウナのようなもの。当時は石風呂に念仏を唱えながら入るとケガや病気が治るとされ、 今も毎月第1日曜日の体験会では入浴可能。地元の人を中心に多くの人でにぎわっているそうですよ。
薪で石室を熱し、消火後に灰を取り出し、中に薬草を敷き詰めた上に筵を敷いているので、室内では煤けた香と薬草の匂いが立ちこめ、横になると全身が温かく包まれて、湿度も低いので息苦しくなく、長時間入ることができるようです。私も一度この石風呂を焚いたすぐ後に覗かせてもらったことがありますが、ムーッとした薬草の香と焦げたような匂いが今でも思い出されます。
・料金: 300円(薪代)・日時: 第1日曜 12:00~19:00 ※タオル、着替え、汚れてもいい服(綿製品が最適)、水分を用意のこと。
次は石風呂の横に建てられている「湯屋」。これも重源上人により阿弥陀寺が建立された際に、建てられたといわれる施浴施設です。桁行10.53m、梁間4.5mで、桟瓦葺平屋建の覆屋をもつ。建坪47.38㎡、焚口・鉄湯釜・湯船(石材)・洗い場(石畳)・脱衣場からなり、湯釜と湯船を別々に設けた「取り湯」という施浴方法で、鎌倉時代以降の古い様式を伝えるものですから、国指定重要有形民族文化財となっています。現在でも7月の開山忌には湯を立てて入浴を行っているんだとか。
もう一つ、昔重源が作った時のままの石風呂、その入口だと思われるものが残っていました。以前説明を聞いたことがあるのですが、何も書かれたものがなく詳しいことは解りませんでした。しかし、何となくいにしえの雰囲気が漂い、歴史の重みが感じられました。
ちなみに、山口県にはこの他に、重源由来の石風呂があと2基保存されています。「野谷の石風呂」と「岸見の石風呂」。
本樹は雌樹で、果肉の薄いいわゆる石桃と呼ばれる実を6月につけます。林の中に位置するため、日光不足により樹勢がやや衰退していますが、樹齢300年以上と推定される姿には老巨寿の風格が感じられますよ。
メッセージの、やりとりの事ですが
調べてみてるのですが、どうやってやったのか
わからなくなって・・・(^^;
やっぱり、gooのスタッフに聞いて見て下さいね<(_ _)>
最近コロナ禍で、外へ出ての吟行をしばらくやっていなく、休みであったり、限られた室内で「兼題」を出してこれを投句することが、句会の例会になっています。
そこで教えてください、
「俳句」は、景色を詠みとる、如何に風景を素直に表裏から5・7・5に表すか・・・・・とのこと。
よく、ちわきの俳句教室では吟行の記事を見かけます。
俳句は「吟行」→座学・・・が、筋道と思われるが???、その辺を伺いたい。
松尾芭蕉の東北紀行及び俳諧で、紀行作品の代表的「奥の細道」を中学時代教わった。
、
今月末まではちょっと忙しくて、余裕がありませんので,暇になったら調べてみますので…
だんだんと心が落ち着かないでしょうが、大丈夫ですよ¡
ストレスを溜めないように…頑張って下さいね。
コメント有り難うございました。
縄文人さんの仰るとおり、俳句は座の文学です。その座を持つためには句が必要…じゃあどんな句を、ということで、兼題が設けられたり、席題で詠んだり、または、吟行をして同じものを見て詠むことにすれば座が盛り上がったりするからです。
特に吟行では、皆同じものを見ていますから、自分の視点と他人の視点を比べてどうなのかということがよく分るでしょう。
同じだったら類想句に、違っていても誰からも関心を持たれなければそれもダメ…ということ。
また、即座に詠むためには素早く拾った句材の焦点を決めてどう切り取るかが大切です。
俳句は先ず句材の良し悪しが大きく物を言いますね。次が表現の仕方でしょうか。
例えば誰でも食べ飽きた物より新鮮で珍しい物の方がいいでしょう。更にその次は料理方法がいいと食べたくなると…そう考えればお分かりでしょうか。
そのためには吟行が一番良い方法なのですよ。とても勉強になります。
その時は初心者ばかりで行くよりベテランがいたり、指導者がいる方が良いですね。
ワクチンは済みましたか?とにかく頑張って下さいね。
今はコロナ禍で吟行に行ったり、句会をしたりが出来にくいですから、通信(インターネット)やファックスなどでもやる方がいいと思います。
小生は座の文学と言うから、座って眺めるのかなと思っていたが、どうも浅学だな
いや何事も感覚で決めるからかな。お笑いだな
京都などの庭は座って見るように設計されているので、座った座って眺めるのかなと思っていたわ
だから、座して何とかとか、何故座るのか意味合いが良く分からなかった
日本家屋や古典芸能は座ってやる。小生は正座が出来ない。しびれをきたすんだな
一座の座か。一緒に群れのようなんだな
それで兼題とか吟行も理解できた
同じ風景、光景を見ても人それぞれだな
参考になりました
ありがとうございました
俳句は俳諧の発句が独立して広まったたものですよね。
俳諧は正式には俳諧連歌のことですから、基本は連歌にあります。
連歌ということなら二人以上いないと詠めませんもの。
一人で詠んでいた和歌が,何人かで五七五、七七…と繋いでいって詠んでいくのですが、それが始まりなら人が集まらないと面白くないのです。
私も俳諧連歌をしたわけではありませんので、詳しくはないのですが…
大学時代の友人達が3人で歌仙を巻いたとかいって遊んでいたのでちょっと教えて貰いました。が、結構約束事があったりして…
というわけで俳句はその流れを汲んでいますから、一人で詠んだのでは面白くはないし、また、独り善がりの自己満足で終ってしまいますからね。
鑑賞者がいて初めて評価というものも生まれてきますし、上達もします。
そういう意味で「坐」が必要…その座で時間を掛けずにすぐできる文芸が連歌…さらに滑稽を求めて始まったのが俳諧連歌…まあ、そういうところからの〝座の文学〟ですね。
小説などはそういうことは絶対出来ないでしょうから…
ちょっと難しい話になりました。これって〝釈迦に説法〟でしたかしら…(^0^)
風の盆さんにお礼言われるなんて…