今日の天気は快晴のようです。最高気温も24度と…午後からは俳句教室がありますが、きっと気持ちのいい一日になるでしょう。
では、先日の吟行会のつづき…「男爵邸」のことについてもう少し詳しくご紹介しますね。
この男爵というのは、木梨精一郎のことで、氏は幕末明治期の政治家で明治維新の立役者の一人。長野県知事を務め貴族院議員、男爵。
木梨家は備後尾道の出、毛利氏と共に萩に移り住み、慶応3年(1867)にこの山口市宮野の地に別荘として建築されたのだと。当主の精一郎は、長州藩士、木梨彦右衛門の嫡男として生まれ、萩明倫館の出身で、軍人・政治家として、四境戦争や戊辰戦争で重要な貢献をされた人。特に、江戸侵攻においては東海道先鋒総督府参謀に、東北侵攻においては東征大総督参謀として活躍されているそうです。
初めて聞いたことなのですが、特筆すべきこととして、精一郎氏が官軍の江戸総攻撃に際し事前に英国公使パークスと会談し、江戸を火の海にさらすのを避けるべき事やナポレオンも命まではとらなかったなどの事例から、徳川家を存続させるように説得された事が江戸城無血開城につながったということ。
また、一部には、西郷隆盛と勝海舟の会談はなく、実際には木梨が勝に会ったという説もあるそうですよ。さて、どうなんでしょうね、本当のところは?
広い敷地内には、主屋、離れ、蔵、風呂場、倉庫、物置等7棟の建造物があり、離れは数寄屋造り。150年にもなる江戸時代の趣を残した建物がきれいに手入れされて残っているのに感動です。お伺いしたときも男爵の曾孫さんがお一人で庭の掃き掃除をされていましたので、〝こんなに広いお屋敷を一人で手入れされるのは大変でしょう〟と聞くと、まあいつものことで馴れていますからと淡々と…。ではお写真をと聞くと、邸内はいいが、自分は×…と断られました。(^▽^)
花の写真は、〝紅空木〟と〝えごの花〟で、どちらも夏の季語です。
庭の奥には石段があって赤煉瓦のアーチ造りの門はお墓に通じる道。鉄製の門扉があったけれど戦時に鉄材の供出をされたそうで残っていませんでした。そのアーチを潜って裏山に行くと、江戸末期以降に亡くなられた一族の墓があります。この堀と山に囲まれたこの一帯は、ひっそりと静まりかえって、まるで別世界のような趣を感じさせてくれました。
その後庭を案内して下さったのですが、ここでとってもビックリしたこと。ここには150年前から一度も涸れたことのないという湧水があって、今もそれを使って生活されているんですって。即ち水道がないということ…ほら、今時そんな暮しを思うと、まるで〝ポツンと一軒家〟のドラマ?みたいでしょう。傍には黄菖蒲が咲いて…
もう一つ…この写真の蛙。小指の爪ほどしかないんですよ。最初は蟋蟀かなんかと思って、こんな時期に?とビックリしたのですが、見ればそれが門を入る前からピョンピョンと、さらに庭中にいるわ、いるわ…ですよ。もう歩く度に踏みそうになって。去年於福の水神の滝へ行ったときの蛙みたい。でもあれは緑色だったけど…。異常繁殖しているみたいで、聞くと何という蛙か知らないが、この堀にお玉杓子がわんさかうまれて、それがこうやって庭や山に来ているのだと。ああ、ビックらこいた!つづきがまだありますので、それではまた…。
まだ、本調子ではないですが(;^_^A
いや~やられました。もともと腰は悪かったのです。
母の介護の時も、悪くして、気を付けてはいましたが。
歳ですね。無理できないです。本日もリハビリに行ってきました。
ブログ読みました。やぱり腰を痛めていたんですね。
よく〝言わんこっちゃない!〟と、こちらでは言うんですが、でもこれも気持ちは分る気がします。
私の母がいつもそうでしたから。農業というほどのものではないのですが、どんなにあちこちが痛くても時季がくればあれこれ植えないと…
でもそれが元気の源でしたよ。畑仕事をしなくなってから…ボケました。ハア、99歳でしたけど…(^▽^)
だから欲張らずに〝ボチボチ〟やれば大丈夫!
ガンバッテ下さいね。
色々のお騒がせ。
ゴメンナサイ。
連れ合いが、流石、安倍さんのお国だなんて。。。
(私じゃないよ、言ったのは。)
猫ちゃんの糖尿病はいかがですか?
家中、猫のおしっこシートを置き詰めていたのを、思い出しました。
お大事にして下さい。
確かに…安倍さんとは関係ないんですが…まあ誰でも呆れる話ですよね。
同県人として何とも言えませんよ。そんな大金を振り込む役所も、また振り込まれた大金を着服してカジノに入れあげる者も…恐ろしい!
こんなことがあるなんて…みんなオカシイのよ。コロナで狂ったかな?
テンちゃん…今大変なんですよ。私たちも見てるしかできなくて…カワイソウ!どうしたらいいのか…分らないんですよ。悲しいです!