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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

研究管理職の自殺

2014年08月09日 00時00分01秒 | 提言

 最悪の結果となった理化学研究所センター副所長の自殺が明らかとなり、分野は全く異なるが、研究員として自らも経験したものにとっては大変なショックである。亡くなられた方へはご冥福を祈るばかりであり、哀悼の誠を捧げたい。通常では考えられない自殺という選択に追い込まれた理由を探求する立場にはなく、この件に関してコメントすることは避けたい。

 ここでは、一般的な組織と自殺との関係について感じたことを申し上げたい。公的機関若しくは民間企業に所属する者にとって、悪事に手を染めることがなければ、職務における責任の軽重はあっても組織の一員であり、業務上の過失があったとしても、自らが命を絶ってしまうことはあり得ないことである。

 その意味では組織によって守られているわけである。組織規定が持つ遵守規定違反等で、組織にとって必要がないことが明白となれば、退職や辞職を余儀なくされる場合があるが、沙汰に至るまでには相当の期間、事情把握のため、上部機関を入れた調査や場合によっては究明のために外部機関を入れた、綿密な検討が成されるのが普通である。

 立場保全・真相究明のために、弁護士を付けることも、弁明の機会も可能である。一旦採用された職員は、簡単に首を切られないよう、職員組合を含めて、幾重もの保護規定がある。裏を返せば、我が国の就職の厳しさはアルバイトや非正規雇用を除く正社員であれば、定年までの間、組織と一連託生の運命を持つため、採用に慎重と成らざるを得ないのである。

 家庭の事情や一身上の都合によって、自らの判断で辞職願いを提出し、採択された場合以外は組織の都合によって首は切れないのである。また、企業の倒産による解雇など、企業が存続できない正当な理由がなければ、不当解雇となる。

 つまり、言わんとするところは、組織の一員となれば、自殺へ追い込まれることはあらゆるケースにおいても、想定されているわけではないし、当然であるが責任の取り方の選択肢にも入っていない。ましてや、職場内での自殺となれば狂気の沙汰としか断じ得ないのである。組織人として採用された者が、自らの命を絶つことの意味は卑怯者の誹りは免れず、決して同情などされぬ罪なことだと考えるが、如何であろうか。事実は事実として受け止めなければならないが、決して納得できるものではないことは確かなことである。