せっかく捕ったえさを逃がしあわてて捕るコサギ、大きかったのでしょうか?
洪水は確かに住居を襲えば、泥だらけとなり、家屋が崩壊し、インフラ再建に多額な費用を必要とする。しかし、急峻で、平野が少ない我が国における被害は、住まざるを得ないことによる人災を考慮されていない点を指摘したい。危険を承知で住むのであれば自己責任が問われて当然と思える。便利さが災害の発生の危険性を蔑ろにした建造物は、そもそも人災に他ならない。自然災害との発生を賭のような安易さで災害を広範囲に広げることはマスコミも問題視しないのであろうか。
自然災害か、人災かの境目は判りづらい。しかし、歴史が物語る災害の原因が自然の猛威であっても、自然をコントロールできないのであれば当然として受け入れ、災害が及ばない環境で生きることが人間の知恵といえよう。
シニカルな表現をすれば、危険を顧みず災害に遭えば、無謀といわれても仕方がないのでは無かろうか。例えば川の中洲に建物を建て、水害にあったとしても、被災者とされるが、果たしてそうなのか、台風による被害が教訓となり、当該者も行政も防備体制を作らなければ、改善の余地はない。度重なる被害のデメリットばかりが強調されていることに警鐘を鳴らしたい。とは申せ、家や家財道具を失った被災者の放置は行政の役割を考えれば何らかの手当をせざるを得ない。判別は悩ましい話でもある。(このシリーズ最終回です)