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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

輪廻転生

2014年08月18日 00時00分01秒 | 紹介

 輪廻は仏教で、生物が生まれては死に、また多の世界に生まれ迷うことを、何時までも繰り返すことで、流転する意味であるが、死生観を如実に表す言葉で、人に生まれ変われるかは生きている内の功徳によるとされる。我が国の人口の減少は生誕する子供が少ないことによって起こり、医療環境の改善による、子供の死亡率が下がり、高齢者の長寿が続けば、トータルの人口は変化せず、極端な減少を避けることが出来、人口の減少は食い止めることが出来る。ただし、生誕数が落ちれば、落ちるほど、円錐形の人口分布は望みがたく、逆円錐形を呈することになり、活力が失われるのは明白である。輪廻転生の世界には、人口が急減したり、急増することがベースになっているわけではなく、全体量としては一定であっても、そこには生死の現象が組み込まれている。

 生まれてくる者と死んでいく者との均衡が基本的に再現されるのであるが、そこには自然のリズムも必要で、強制的な人工調節機能までも考慮されていないと思える。科学の進歩は、既に神の領域まで凌駕しているように思えるが、輪廻の意味を根本的に変えるような学説に遭遇した。生物学者の福岡 伸一氏の学説である。

 自分は兼ねてから、輪廻を平面的な単一な曲線を考えていたが、実は、もっと複雑であり、福岡氏の考えでは、同心円上に閉じているのではなく、一見同じことが繰り返されているようでいて、二度と同じことは起こらず、流れは常に外に開いている。というものである。実際に仏教で言う輪廻の図解は見たことが無く自分の想像でしかないが、閉じているから再生の可能性を論じることが出来るのであるが、開いた世界であるととらえどころが無くなり、再現が不可能と成るであろう。また、どのようにして同一性を知見し、証明できるのか不可能な世界に飛び出すことになって、輪廻の意味が根本から揺らいでくる。

 輪廻の空間域が拡がることは生物への再現可能性の確率を低下せしめ、無限の世界へ突入する。肉体の消滅後に拡散する物質の再生は、質量は不滅であっても、意識を持った継続ではあり得ず、一方、魂という質量がない精神世界の存在を証明できないため、追跡不可能であり、迷宮にはいることになる。

 

福岡氏は輪廻を言っているわけではない。生命の営みに対し、連続する渦と表現していて、その渦も螺旋ではなく、途切れることが無く次の渦に受け止められ、内側に収斂する。かくして、遠心力は求心力に連続的に展開していく。このことを生命の連続性といっているが、渦というとらえ方には賛同したい。