鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

養生シート

2014年08月24日 00時00分01秒 | 紹介

 一年ぶりに各部屋の燻蒸を始めた。燻蒸剤は缶に入っていて、部屋の広さにより揃えることが出来る。以前は発火タイプのものであったが、最近は少量の水道水に薬剤を触れさせて発煙するタイプである。発火タイプに比べ、火災の発生を無くしているので安全である。

 発煙する前には、各部屋に取り付けてある火災報知器を外すことから始める。次ぎに部屋の片づけである。移動できるものは出来るだけ他の部屋等へ移動する。しかし燻蒸したいものは移動してしまえば意味がない。移動不可能なものは養生シートを使う。ホームセンター等で販売されているが、購入しなくてもよい。

 我が家では、使わなくなった敷布を利用している。これが意外と役に立つ。他の作業をするときに床や畳の上に広げて使用している。床を傷つけないように大型のソファーや机などと床との間にシートを敷いて敷布の端を持って滑らせると、少ない力で移動することが出来る。薄さが気になる方は古い毛布がよい。

 小物で燻蒸剤がかかるのを防ぐには、ポリエチレンシートに養生用の紙テープが着いてロール状にしたものがある。紙テープの粘着力が小さいため、何にでも貼れ、剥がすのも簡単である。ホームセンターで販売しているので購入しておくと良い。

 家具類等の移動が終われば、燻蒸剤が洩れないように窓を閉める。後は燻蒸剤を発煙させ、2~3時間放置し、部屋の空気が透明になれば燻蒸作業終了である。マスク等をして部屋に入り、窓を開ける。床や燻蒸剤がかかった所を掃除機で吸い取り、水拭きする。移動した家具類や火災報知器を元に戻し終了する。

 さて燻蒸効果であるが、はっきり言ってよく分からない。燻蒸作業する前にどれだけダニ類がいるのかが見えず、燻蒸作業が終わった後ダニ類の死骸等を確認できないからである。女房とも話すのであるが、効果を信じ、使うしかないねと言うところである。


兄弟の再会

2014年08月23日 00時00分01秒 | 紹介

 室内が35度を超す真夏である。湿度も高く、風もほとんど無いため、空調を入れたが、火照った身体は容易に元に戻らない。数日前から携帯に兄弟から連絡が入り、叔母の家に集合することにしていたが、従兄弟夫婦の都合により中止となっていた。暫く会わなかった兄弟は都内近辺に在住しているが、何かないと集まるのは難しい。男兄弟3人であり、総て65歳を超えている。元気で過ごしていればそれだけでよいのであるが、日常の出来事など話す機会はほとんど無い。

 弟からの提案で、新宿で兄弟3人が集まることになった。自分は数日前の叔母のところで集まることが中止となったことが気がかりであり、本音を知りたかったので、二つ返事で了解した。先日ブログで紹介した祖母の自叙伝を持参した。兄も弟も今まで見たことが無く、大いに話題とすることが出来た。祖母や周りの親族のことを知らないことが分かり、これも意外であった。幼い頃は遠い親戚でも行き来があったが、両親の死後は叔父、伯母、従兄弟達とも次第に疎遠となっていく。

 これが普通であるとすれば、どこの家庭でも同じような状況があるのであろうか。戦後は食糧難であった。親戚を回るにしても、現在に比べ、交通は不便であり、学業も去ることながら、誰でも忙しかったと思う。しかし、皆、面倒見は良かった。定年後の年金生活となれば、時間に追われることもなく、毎日暇をもてあそんでいるが、次第に疎遠となった親族との関係を見直す時間的な余裕が出来たからかも知れない。

 酒が入ると兄弟同士の絆はますます深まるもので、率直な気持ちとなり、過去に抱いた良いことも悪いことも話題が尽きなかった。これからも定期的に集まり、会食でもしようと言うことで別れた。顔を見れば年齢相応であるが、若返ったように感じたのは自分一人ではなかったようである。過去を振り返り、不思議と良いことばかりが話題となり、父を早い時期に亡くし、兄弟三人もそれぞれ人には言えぬ苦労をした。貧しかったときのことは、心まで貧しかったのではなく、苦労や貧しさあっての幸せに気が付いた。


豪雨災害

2014年08月22日 00時00分01秒 | 提言

 広島県広島市北部をおそった豪雨による災害は、新興住宅地が抱える問題を露呈した。死者が40名近くて出ていて、行方不明者もいる。救助にあたる市町村職員、自衛隊員、消防署員等、二次災害に巻き込まれることなく、活動することを願っているが、命を落とされた方・ご親族におかれては、悔やまれてならないであろう。心より哀悼の誠を捧げたい。また災害にあったご家族に対しても、早期の復旧を望みたい。

 報道は被害状況を映像と共に流している。ここに来て原因究明の解説が行われており、口を揃えて言うのは、情報を収集して、危険を察知したら早めの避難を行うこと、原因は大量の豪雨によってもたらされた自然災害で、崖崩れ、表層崩壊による、土石流が発生した。行き場を失った土砂・泥流が民家をおそったとのことである。ここにも想定外の豪雨の影響が無視できないとされている。また、調査後に原因が明確になるとも言っていた。

 また、繰り返し報道するニュース内容は、野次馬的な内容が殆どで、ライブでは特に、災害を受けた方の心情を逆なでするような質問が多い。

 この報道解説を聞いて、自然災害の恐ろしさを再認識するが、それだけで終わる話ではない。広島市によって、土砂災害警戒地域に指定されていて、過去にも災害を経験している。記録的短時間災害警報の発表が遅れたことなど、被害を大きくした根本的な原因が見え隠れしている。

 最大の問題は、危険が予測されている地区の建築許可である。同じ行政の中で処理できたはずの住宅建設許可が、希望者の居住を可能にしてきたことで、戸建て住居を希望する者の満足はあったとしても、築後にこのような災害に見舞われては決して自然災害だけで解決するものではないであろう。確認しているわけではないが、危険地区の指定は住宅建築後に行われた様で、居住者にとってはそのことによる資産価値の目減りを警戒し、指定に賛同することへの抵抗があったようである。災害危険地域の指定の目的は、築後の住居を災害から守る意図があったと思われる。しかし今回の土石流の発生は防止施設の貧弱さが明らかになっている。

 天気予報の在り方も問題である。予報官は気象協会が発表した内容をオウム替えしに伝えているに過ぎないが、もっと、災害を未然に防ぐための具体的な報道の在り方を研究すべきであろう。関係する自治体へは行われていると思うが、詳細な指示と権限を与えても良い。パーフェクトの行政など望んだとしても、限界があることは承知しているが、過去の教訓が活かされなかった人災の面も多分にある。


ところてん

2014年08月21日 00時00分01秒 | 紹介

 漢字では心天、心太と書く。食材として既に完成品がパック詰めされ、和がらしとだし汁が同封されていて、冷蔵庫で冷やしたものを、水を捨て容器に入れて供する。手軽な夏の食材であるが関西地方では一年中食されているようである。関西では黒蜜を用いている。

 原料はテングサやエゴノリという海草で、収穫したものを水洗いしてから天日干しをする。これを繰り返して脱色する。水で煮て濾した液をさますことによって固まる。冬場にこれを天日干ししたものが寒天となる。寒天はゼラチンと異なり、和菓子や、フルーツ寄せ、食材を閉じこめて固める吹き寄せにも用いられる。加賀料理にあるベロベロ(鼈甲料理)は有名である。また、中華料理のデザートとして供される牛乳と寒天で作る杏仁豆腐もなじみ深い。

 ところてんは煮出した液を直方体の形に整形したもので、天突きという木製の専用器具を用いて太麺状のおし出し物を作る。99%が水分で、残り1%が多糖類である。栄養価は全くなく、食物繊維によって整腸効果があるといわれている。夕食時の口汚しのため、のど越しの良さ、食感を楽しむ。

 九州福岡では朝食におきゅうと(沖人)というところてんの様な食材が好まれていて、早朝に、おきゅうと売りが各路地を回るようである。これはテングサと同じような海草で、エゴノリとイギスを使ったものである。醤油とワケギを細かく切って、それにかけて食した記憶がある。ところてんのような天突きは用いない。これも口当たりの良さを楽しむ食材である。

 人事などでところてん式と言われるのは、短冊にしたところてんを天突きに入れて、次から次へと押し出すことを適用した表現で、定数があり、詰まった人事で押し出された人が上位の昇格をした場合に、ところてん式と揶揄される。


リサイクルショップ

2014年08月20日 00時00分01秒 | 紹介

 昔は古着やといっていたが、リサイクルではない。リユースである。再び使用することなので、リサイクルではなくリユースとすべきである。因みに、リサイクルというのは、ペットボトルや合成樹脂で作られたトレー、紙類の再生紙等、再生して使用することである。リサイクルという言葉が定着しているのは、再生という意味を、再び使うという広い意味で捉えて居るのであろうか、真意は分からない。

 車で30分ぐらいの所にあるリサイクルショップへ行ってみた。平日であるが、夏休み中でもあるので、多くの客で賑わっていた。地下に駐車場を持ち5階建てのビルである。各フロアーはジャンル別に分かれていて、多くの品物が陳列されている。各フロアーには客が持ち込んだ不要品を安値で買い取るコーナーがあり、店が購入した品物を一応チェックし、値段を付けて売っている。チェーン店であるので、同じ店で売るのではなく、地域を換えて売るのであろう。古着は洗濯をし、機器類は可動するかどうかをチェックしている。

 お客が安くても売るのはそれなりの理由があるので、この種の商売が成り立つ。傍目にはリユースを目的としたエコ活動に見えるが、誰しもそこまで考えて店に対して売っているのではなく、推測すると、狭い空間を占める衣類や日用品を廃棄すると費用がかかるご時世、安くしか買い取ってもらえなくても換金するのである。本来は使えなくなるまで大切に使い、別のものに再利用して寿命を延ばすことがエコ活動になるのであるが、そこまでなる前に、別の言葉で言えば、ある程度価値を持っている間に売るということが行われている。

 買う側にとって見れば新品同様の物が安く売られていれば購入する方へベクトルが向く。門外漢がとやかくいう必要はないが、商売の商機をうまく捉えていると言えるであろう。

 勘ぐれば、エコの時代だからこそ生まれた商売とも言える。100円ショップとはまた違う雰囲気を持っているが、商品の保証やマニュアルが総て添付していないことに目を向ければ、安くてもその分、新品と異なるっていることを承知で購入する必要があろう。


自分史

2014年08月19日 00時00分01秒 | 緑陰随想

  人の記憶は曖昧である。特に過ぎ去ってしまった過去は、鮮烈な事柄でない限り、記憶から消滅してしまっているが、幾つかのキーワード的な言葉や、関連することから紐解くことが可能な場合もある。最近、書籍棚を整理していたところ、十数年前に頂いた祖母が書き留めた自叙伝なるものが出てきた。既に鬼籍となった叔父が清書したものであるが、黄変し、ページが飛んでいた部分もあったが、ワードで打ち込み、電子ファイルとした。

  祖母は明治22年に生まれ、昭和62年2月に94歳で逝去している。明治、大正、昭和の時代に生き、関東大震災、戦争等を経験している。平凡な一人の女性が生きた94年間は、それぞれの時代背景の中で、関係した多くの人物が登場する。多くは亡くなっていて、自分の記憶ともオーバーラップするのであるが、文を追ってみると新たな発見もあり、自叙伝は自己の生き様だけではなく、感情を持った人間の行動そのものが如実に表現されているので、彷彿とする世界が繰り広げられる。事実は小説よりも奇なりである。

 自分は自叙伝など何の役に立つのかと、どちらかといえば敬遠する部類にはいることとして過ごしてきた。頂いたものも、殆ど目を通すことなく、本棚に積まれている。中には頂いた方には失礼とは想いながらも破棄したものもある。しかし今回、電子ファイルを作る中で、執筆者との関係が、より深いものになったことは、まんざらでもないと思うようになった。

 自叙伝すなわち自分史は、人は死して名を残す類のもので、良いことばかりを書き連ね、又は、言い訳の正当化が関の山と高をくくっていたが、書き方によることで、亡き方の姿をよみがえらせる発見をした。平凡に生きることは非凡であるからだとの逆説は将にその通りで、平凡な日常が書かれていれば書かれているほど読み手に伝わる感動は強いものとなる。文章は、時間の経過を一瞬のうちに掻き消し、当時のリアリティ・再現性に貢献する。

 百年近くを生きていれば、いろいろな経験をするであろう。イベント的な出来事は、歴史資料を見れば分かるが、当時、そこに存在した人間の思いや、信条までは分からない。過去は取り戻すことが出来ず、歴史を再現できないため、自叙伝は大変貴重なのである。

 金子みすずが書いた詩のように、何時までも古さを感じさせないのは、人として変わらない世界を見ることが出来るからであろう。将に古いことは変化するものと変化しないものとの共存である。何ら変わらない世界は、タイムマシーンに乗っているようで、当時の世界へ連れて行ってくれ、記憶を呼び覚ましてくれる。


輪廻転生

2014年08月18日 00時00分01秒 | 紹介

 輪廻は仏教で、生物が生まれては死に、また多の世界に生まれ迷うことを、何時までも繰り返すことで、流転する意味であるが、死生観を如実に表す言葉で、人に生まれ変われるかは生きている内の功徳によるとされる。我が国の人口の減少は生誕する子供が少ないことによって起こり、医療環境の改善による、子供の死亡率が下がり、高齢者の長寿が続けば、トータルの人口は変化せず、極端な減少を避けることが出来、人口の減少は食い止めることが出来る。ただし、生誕数が落ちれば、落ちるほど、円錐形の人口分布は望みがたく、逆円錐形を呈することになり、活力が失われるのは明白である。輪廻転生の世界には、人口が急減したり、急増することがベースになっているわけではなく、全体量としては一定であっても、そこには生死の現象が組み込まれている。

 生まれてくる者と死んでいく者との均衡が基本的に再現されるのであるが、そこには自然のリズムも必要で、強制的な人工調節機能までも考慮されていないと思える。科学の進歩は、既に神の領域まで凌駕しているように思えるが、輪廻の意味を根本的に変えるような学説に遭遇した。生物学者の福岡 伸一氏の学説である。

 自分は兼ねてから、輪廻を平面的な単一な曲線を考えていたが、実は、もっと複雑であり、福岡氏の考えでは、同心円上に閉じているのではなく、一見同じことが繰り返されているようでいて、二度と同じことは起こらず、流れは常に外に開いている。というものである。実際に仏教で言う輪廻の図解は見たことが無く自分の想像でしかないが、閉じているから再生の可能性を論じることが出来るのであるが、開いた世界であるととらえどころが無くなり、再現が不可能と成るであろう。また、どのようにして同一性を知見し、証明できるのか不可能な世界に飛び出すことになって、輪廻の意味が根本から揺らいでくる。

 輪廻の空間域が拡がることは生物への再現可能性の確率を低下せしめ、無限の世界へ突入する。肉体の消滅後に拡散する物質の再生は、質量は不滅であっても、意識を持った継続ではあり得ず、一方、魂という質量がない精神世界の存在を証明できないため、追跡不可能であり、迷宮にはいることになる。

 

福岡氏は輪廻を言っているわけではない。生命の営みに対し、連続する渦と表現していて、その渦も螺旋ではなく、途切れることが無く次の渦に受け止められ、内側に収斂する。かくして、遠心力は求心力に連続的に展開していく。このことを生命の連続性といっているが、渦というとらえ方には賛同したい。


誤報

2014年08月17日 00時00分01秒 | 提言

 新聞社が30年もの間誤報を続けていて、このたび、一部訂正の記事を発表した。韓国における軍部が関与したと言われる慰安婦の強制連行に係わる報道である。もともとこの新聞社は大手にランクされ、左よりの路線を取ってきたとの判断は一般的あるが、捏造され続けた特集は、自社調査によって、偽証であるとの決定に至り、発表せざるを得なくなったものである。

 如何に杜撰な管理体制であるか、30年という重みを何と考えるのか、チェック体制がない報道機関を放置しておく訳にはいかない。誤報によって、国際関係に多大な汚点を残し、その影響たるや計り知れない。謝罪ではなく訂正とはなんたる始末の付け方であろうか、呆れて物が言えない。

 今後国会でも取り上げられることは必至であり、社名を掛けて国民に向け真相を語るべきで、たとえ、解明したとしても、決して起こってはならない誤報が1回や2回ではなく30年もの間続けられたことである。謝罪では決して済まされない重大犯罪といえるであろう。国民が納得するには少なくとも、即刻、新聞の発刊は辞めるべきで、新聞・報道業から完全撤退して欲しい。

 インターネットから情報を得る傾向が増加傾向にあっても、新聞は多量な情報を読者に届ける主要なメディアであり、国民の思想、信条、風俗、習慣等日常生活に必要な様々な基本的な思考等に影響して来たと言える。国民の知識レベルを上げる働きは、これからも大切なメディアの主流となって継続されるべきであろう。国民の識字率の高さが生んだ成果とも言えるが、個々の自宅へ新聞情報が確実に届く情報網は、郵便、新聞をおいて他にはない。

 情報の発信は一方通行で、間違った情報であっても、反論の余地は限りなく小さく、訂正させるには時間と労力を要し、合理性に欠ける。当然新聞情報は正確性を求められていて、そうでなければ信用するわけにはいかなくなる。当該新聞社に対する批判は今後ますます厳しい指摘がなされ、今までの報道体制・会社の管理体制等その実態が問題となろう。謝罪で済まされない情報の誤報は報道を生業とする業種には許されないのである。

 今回明るみに出た誤報問題を決してうやむやにすることなく、問題の解決に向け、各報道機関が真剣に取り組んで欲しい。また、各報道機関は他山の石として、自社の管理体制について再考すべきである。