皆様
遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます
妻!です。
お久しぶりでございます
昨年はなかなかブログアップできませんでしたが
今年こそはまめに更新していきたいと思います。
何卒よろしくお願い申し上げます
さて
若!が先日かるく報告してくれましたが
年末年始は、恒例!広島の実家で骨休め
お正月は、厳島神社に初もうでに行ってきました。
(宮島は何度も行ってるけど、初もうでは初めてです)
正直言いましてね
この日は、朝起きた時から
何やら調子悪くて、ど~も布団に戻りたい気持ちだったのですが・・・
それでも
厳島神社に詣でるのは、半年以上前からの思いがあったので
頑張って行ってきました。
一体目的は何かと申しますと
や・は・り あ れ
等身大以上の行動力が出るとき
背中を後押しするものは・・・
石 垣 より他にありません
宮島には何度も行くけど
石垣をまじまじ観察したことなんてなかったから
「ある石垣」の存在を知ってからは
身近な場所だけに、行ってみたくて行ってみたくて
そりゃもう、ウズウズしていました。
というわけで
ものすご~く体調悪かったのですが
気力にもの言い
踏ん張って行ってきました
(体調不良・・・腰痛?→シップと鎮痛剤、胃痛?→胃薬服用
が、災いしたのか、逆に胃に負担がかかったようで・・・
電車に乗ってから、キツ~い乗り物酔い地獄に遭いました
ひと駅ひと駅が長かった・・・記憶が飛んでいるところも)
電車で地獄を味わうこと30分
宮島口からはフェリーに乗って・・・
あっという間に宮島に来ました
体調とは裏腹
とても天気の良い日でした。
一月二日
死にそうな目に遭って
ふらふらした足取りで・・・
ひたすら厳島神社へと向かいます。
歩いて10分ほどで、大鳥居撮影スポットに到着
ここから、海が入江になっていて
湾になっている部分に、厳島神社が浮かんで?います。
先ほどの撮影スポットから、長~い行列が出来ていて
それは、やっぱり厳島神社に向かっていました
(厳島神社遠望)
右側が大鳥居
左側に向かって、入江が広がっています。
写真下
神社を囲むように、石の柵がしてありますが
そこ(海と陸地の境界部分)に、お目当ての石垣がありました。
石垣に関する知識と言えば
「そこにある」ということしか分かっていないので
とにかく行ってみます。
〈ごった返す厳島神社の入り口)
人でいっぱい
こういう人ごみは苦手ですが
石垣のためですのでショウガナイ
(付き合わされてる子達は可哀そうですが)
(神社を出るまで、ひたすら行列の中でした)
それにしても
これだけの、すごい人出ですが
石垣観賞を目的に参詣したのは、おそらく私くらいでしょう
(仲間がいたら、うれしいのですが)
ここ厳島神社は
言わずと知れた・・・日本三景・世界遺産で・・・
平清盛が現在の形の社を造営したことは、あまりにも有名です。
そして
厳島は、戦国時代、毛利元就VS陶晴賢の戦いの舞台になりました。
そ~です
西日本、天下分け目の戦い
この戦で勝利した元就は、西日本一の大大名になったのです。
その戦後処理
元就は、社殿の修復を行い、厳島神社を厚く保護しました。
その際
(全てかどうかは分からないが)石垣の修繕を行ったのが
毛利元就・次男の吉川元春だったようです。
なぜなら
厳島神社の石垣には、
吉川元春配下の「石つき之もの共」が
石積みを行ったと見られる特徴が見られます。
・・・クリックしてみてね 「石つき之もの共」に関する投稿
〈吉川元春が建造した?石垣)
お分かり頂けるでしょうか?
石垣の最下段に、等間隔で大きな石が置いてあります
(非常に地味な驚きですがね・・・)
あれが、おそらく鬼吉川率いる「石つき之もの共」の修繕した石垣です
分からなければ、なんでもない、ただの石垣ですが
1550年代後半の建造物で
しかも、他地域に類を見ない、独特の石積み建築なのです。
(もっとエバっても良いと思う)
(石垣その2)
(石垣その3)
しかし・・・
全く説明・看板の類がないので
いまいち石垣の素性を知る術がないのですが
〈ダダ込みの神社で、神主さんに説明を請うわけにはいきませんし)
石垣に成形加工が施されていない点を見ても
江戸以前であっただろうことは推測できます。
〈少なくとも、コンクリ製・現代のものじゃないはず)
(石垣その4)
(ここも怪しい!石垣)
(吉川氏?石垣の近距離撮影)
神社を出て後、石垣を間近で見てみることが出来たのですが
意外にも、きれいな色をしています。
潮で洗われているせい?
花崗岩?だから?
やっぱり、入江と言っても海の中だから
自然が厳しいですよね・・・
大潮のとき、台風の時は大変だろうと思います。
それでも
何度の大型台風に遭いながら
甚大な被害は免れてきた厳島神社
(やっぱり一番の被害は、戦乱によるものか)
太古の昔の人の知恵に驚くとともに
(山から吹き下ろす風を計算に入れて建築したそうです)
あらためて、神社の崇高さを感じました。
そして、
私にとっては
数少ない吉川元春史跡を見ることができて
非常に幸せでした。
(厳島神社の舞い)
こちらも、初めて!
タイミング良く舞いを拝見出来ました。
さて
厳島神社を出た後は、
神社のすぐ向かいの小高い丘に登りました。
〈手前の海が厳島神社、五重塔がある高台に上がりました)
ここは、塔の岡と言って
1555年、厳島合戦の折に、毛利の敵将・陶晴賢が陣を置いた場所です。
(塔の岡の茶屋)
毛利の居る、要害山・宮尾城が良く見渡せます。
(中央・右の茂みが要害山)
〈五重塔)
〈千畳閣)
千畳閣は、太閤・豊臣秀吉が
朝鮮出兵の折の、兵士の安全を祈願して作らせたもの
建設途中で、太閤が亡くなってしまい、工事は中止されました。
現在は、豊国神社として祀られています。
さすが、天下の秀吉公の建造物だけあって
建物もすごい!
石垣も、城壁のようで・・・要塞のようでした
こちらも、何度も通りがかっていましたが
初めて建物に上がって、見学しました。
建設が中止されたため、「中途半端」なイメージがあって
今まで興味がなかったのですが
中は、圧倒されるほどの・・・偉大な建築美
むき出しであるからこその、強烈なインパクトがあります。
そして、
奉納された絵馬の多いこと、大きいこと!
他所と比較にならないほどの華やかさです。
いやはやビックリしました。
こちらは必見です。
(まとめ)
地元民にとっては、飽きるほど?身近な宮島なんですが
やっぱり、世界遺産なんだ~と思い知らされました。
つい最近まで気がつかなかったんですが
宮島といい、この近辺の山々は、地質の恩恵か(なぜか、むき出しの山が多い)
ボコボコしてて、穏やかでない…いかにもなにか起りそうな雰囲気があります。
まさに、鬼山とかヤマンバ山とか名付けられそうな・・・
太古の人は、その姿を見て、神と崇めたのかもしれません。
宮島の山は、弥山(みせん)という山で
ちっさい島の山だから、すぐ登れるんじゃないの?と思っていましたが
1~2時間はかかるらしい
ナメたら酷い目に遭いそうな山です。
子供がもう少し大きくなったら
一度、歩いて登ってみたいなと思います。
宮島って、カップルがデートしたら
島の女神様が怒って、別れさせる、とかいう噂がありましたが・・・
〈そんな噂が出るくらい?マンネリ化したデートスポット、という印象でしたが)
やっぱり、歴史が古い
ここに来て、こんな宮島が面白いところだとは思いませんでした。
これからも、遊びに行きたいと思います。
観光に来られる皆さんも、
一度と言わず、リピーターになって、遊びに来てくださいね
遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます
妻!です。
お久しぶりでございます
昨年はなかなかブログアップできませんでしたが
今年こそはまめに更新していきたいと思います。
何卒よろしくお願い申し上げます
さて
若!が先日かるく報告してくれましたが
年末年始は、恒例!広島の実家で骨休め
お正月は、厳島神社に初もうでに行ってきました。
(宮島は何度も行ってるけど、初もうでは初めてです)
正直言いましてね
この日は、朝起きた時から
何やら調子悪くて、ど~も布団に戻りたい気持ちだったのですが・・・
それでも
厳島神社に詣でるのは、半年以上前からの思いがあったので
頑張って行ってきました。
一体目的は何かと申しますと
や・は・り あ れ
等身大以上の行動力が出るとき
背中を後押しするものは・・・
石 垣 より他にありません
宮島には何度も行くけど
石垣をまじまじ観察したことなんてなかったから
「ある石垣」の存在を知ってからは
身近な場所だけに、行ってみたくて行ってみたくて
そりゃもう、ウズウズしていました。
というわけで
ものすご~く体調悪かったのですが
気力にもの言い
踏ん張って行ってきました
(体調不良・・・腰痛?→シップと鎮痛剤、胃痛?→胃薬服用
が、災いしたのか、逆に胃に負担がかかったようで・・・
電車に乗ってから、キツ~い乗り物酔い地獄に遭いました
ひと駅ひと駅が長かった・・・記憶が飛んでいるところも)
電車で地獄を味わうこと30分
宮島口からはフェリーに乗って・・・
あっという間に宮島に来ました
体調とは裏腹
とても天気の良い日でした。
一月二日
死にそうな目に遭って
ふらふらした足取りで・・・
ひたすら厳島神社へと向かいます。
歩いて10分ほどで、大鳥居撮影スポットに到着
ここから、海が入江になっていて
湾になっている部分に、厳島神社が浮かんで?います。
先ほどの撮影スポットから、長~い行列が出来ていて
それは、やっぱり厳島神社に向かっていました
(厳島神社遠望)
右側が大鳥居
左側に向かって、入江が広がっています。
写真下
神社を囲むように、石の柵がしてありますが
そこ(海と陸地の境界部分)に、お目当ての石垣がありました。
石垣に関する知識と言えば
「そこにある」ということしか分かっていないので
とにかく行ってみます。
〈ごった返す厳島神社の入り口)
人でいっぱい
こういう人ごみは苦手ですが
石垣のためですのでショウガナイ
(付き合わされてる子達は可哀そうですが)
(神社を出るまで、ひたすら行列の中でした)
それにしても
これだけの、すごい人出ですが
石垣観賞を目的に参詣したのは、おそらく私くらいでしょう
(仲間がいたら、うれしいのですが)
ここ厳島神社は
言わずと知れた・・・日本三景・世界遺産で・・・
平清盛が現在の形の社を造営したことは、あまりにも有名です。
そして
厳島は、戦国時代、毛利元就VS陶晴賢の戦いの舞台になりました。
そ~です
西日本、天下分け目の戦い
この戦で勝利した元就は、西日本一の大大名になったのです。
その戦後処理
元就は、社殿の修復を行い、厳島神社を厚く保護しました。
その際
(全てかどうかは分からないが)石垣の修繕を行ったのが
毛利元就・次男の吉川元春だったようです。
なぜなら
厳島神社の石垣には、
吉川元春配下の「石つき之もの共」が
石積みを行ったと見られる特徴が見られます。
・・・クリックしてみてね 「石つき之もの共」に関する投稿
〈吉川元春が建造した?石垣)
お分かり頂けるでしょうか?
石垣の最下段に、等間隔で大きな石が置いてあります
(非常に地味な驚きですがね・・・)
あれが、おそらく鬼吉川率いる「石つき之もの共」の修繕した石垣です
分からなければ、なんでもない、ただの石垣ですが
1550年代後半の建造物で
しかも、他地域に類を見ない、独特の石積み建築なのです。
(もっとエバっても良いと思う)
(石垣その2)
(石垣その3)
しかし・・・
全く説明・看板の類がないので
いまいち石垣の素性を知る術がないのですが
〈ダダ込みの神社で、神主さんに説明を請うわけにはいきませんし)
石垣に成形加工が施されていない点を見ても
江戸以前であっただろうことは推測できます。
〈少なくとも、コンクリ製・現代のものじゃないはず)
(石垣その4)
(ここも怪しい!石垣)
(吉川氏?石垣の近距離撮影)
神社を出て後、石垣を間近で見てみることが出来たのですが
意外にも、きれいな色をしています。
潮で洗われているせい?
花崗岩?だから?
やっぱり、入江と言っても海の中だから
自然が厳しいですよね・・・
大潮のとき、台風の時は大変だろうと思います。
それでも
何度の大型台風に遭いながら
甚大な被害は免れてきた厳島神社
(やっぱり一番の被害は、戦乱によるものか)
太古の昔の人の知恵に驚くとともに
(山から吹き下ろす風を計算に入れて建築したそうです)
あらためて、神社の崇高さを感じました。
そして、
私にとっては
数少ない吉川元春史跡を見ることができて
非常に幸せでした。
(厳島神社の舞い)
こちらも、初めて!
タイミング良く舞いを拝見出来ました。
さて
厳島神社を出た後は、
神社のすぐ向かいの小高い丘に登りました。
〈手前の海が厳島神社、五重塔がある高台に上がりました)
ここは、塔の岡と言って
1555年、厳島合戦の折に、毛利の敵将・陶晴賢が陣を置いた場所です。
(塔の岡の茶屋)
毛利の居る、要害山・宮尾城が良く見渡せます。
(中央・右の茂みが要害山)
〈五重塔)
〈千畳閣)
千畳閣は、太閤・豊臣秀吉が
朝鮮出兵の折の、兵士の安全を祈願して作らせたもの
建設途中で、太閤が亡くなってしまい、工事は中止されました。
現在は、豊国神社として祀られています。
さすが、天下の秀吉公の建造物だけあって
建物もすごい!
石垣も、城壁のようで・・・要塞のようでした
こちらも、何度も通りがかっていましたが
初めて建物に上がって、見学しました。
建設が中止されたため、「中途半端」なイメージがあって
今まで興味がなかったのですが
中は、圧倒されるほどの・・・偉大な建築美
むき出しであるからこその、強烈なインパクトがあります。
そして、
奉納された絵馬の多いこと、大きいこと!
他所と比較にならないほどの華やかさです。
いやはやビックリしました。
こちらは必見です。
(まとめ)
地元民にとっては、飽きるほど?身近な宮島なんですが
やっぱり、世界遺産なんだ~と思い知らされました。
つい最近まで気がつかなかったんですが
宮島といい、この近辺の山々は、地質の恩恵か(なぜか、むき出しの山が多い)
ボコボコしてて、穏やかでない…いかにもなにか起りそうな雰囲気があります。
まさに、鬼山とかヤマンバ山とか名付けられそうな・・・
太古の人は、その姿を見て、神と崇めたのかもしれません。
宮島の山は、弥山(みせん)という山で
ちっさい島の山だから、すぐ登れるんじゃないの?と思っていましたが
1~2時間はかかるらしい
ナメたら酷い目に遭いそうな山です。
子供がもう少し大きくなったら
一度、歩いて登ってみたいなと思います。
宮島って、カップルがデートしたら
島の女神様が怒って、別れさせる、とかいう噂がありましたが・・・
〈そんな噂が出るくらい?マンネリ化したデートスポット、という印象でしたが)
やっぱり、歴史が古い
ここに来て、こんな宮島が面白いところだとは思いませんでした。
これからも、遊びに行きたいと思います。
観光に来られる皆さんも、
一度と言わず、リピーターになって、遊びに来てくださいね