日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

渡久地先生の思い出6-x

2018年05月28日 | Weblog
「君、鉄砲玉というのは前から飛んでくるものばかりではないよ。後ろからも飛んでくるんだ」

「先生。それは同士討ちじゃないですか。つまり日本兵からも撃ってくるということですか」

「そうだよ。肩を打ち抜かれて気を失って倒れた。それしばらくして意識が戻った。

薄目を開けたら、敵が棍棒をもってちかずいてくる。あわやという時に自殺用ピストルを

その男に向かって引き金を引いた。それから気を失ってなにもわからなくったが、

気がついたときは担架に載せられて、野戦病院にいた。

しばらく治療を受けて本国送還となった。右手が動かなかったから、左手だけで生活をしていたが、

帰国してからはリハビリをしたりして、不自由ながら使えるようになってきた。

それから大学へ行ったんだよ。傷痍軍人で少し金がもらえたから、好きなクラシックの声楽を

勉強して声楽家としてデビューしたが、さっぱり売れなくて、廃業最後の日にやけくそで

パントマイムをやったらそれが受けて、曲を書いてみたらというお誘いがあった。

そういう経緯があって「お富さん」も「踊り子」も出来てきたんだよ。」

「そうだったんですか。昭和史に残る名曲の背景には兵隊さんの出世、や死地をさまよった

想いがあったんですね。戦争に巻き込まれなかった僕らとは、ちょっと違うなという気はしてましたけど。

先生。お書きになった、島どうわん宝 にはその辺のことがかかれてましたね。

あの本は先生の反戦記録ですね。1冊は手元に後一冊は平和センターへ寄贈しておき

ひろく多くの人々に読んでもらうようにします。貴重なお話ありがとうございました。

吉田正先生も服部先生もたのしく飲んでおられます。先生一っぱい いかがですか。」

「いやありがとう。」

もう何十年も前のことだが、作曲家協会の年一回の熱海旅行の思い出である。