小学校
話に夢中になりながら、スワヤンブナート寺院を降りたので、どこをどう通ったのか分からないが、彼女の務めていた小学校はレンガ作りの三階建の校舎で、ビシュヌマチ川のすぐそばにあった。僕は最初、門の外で彼女が用事を済ませるのを待っていようと考えていたが、彼女が誘ってくれたのをいい
ことにして、遠慮もせずに中にはいった。
彼女の来訪を知った先生方は肩を抱き合 ナって喜んで迎えていた。ここで僕は彼女がこの学校で、すべての先生方から愛されていることを知った。そしてわずかな会話を交わしただけだが、僕が推量していた通りのお人柄のよさが裏付けされたようで、うれしかった。
この小学校は日本人と深い関係があり、子供たちには日本人の里親がついているという。ネパールでも恵まれない子供たちの教育を引き受けて、先生たちも奉仕のような薄給でありながら、ここの子供達の教育に生きがいを見いだしている人ばかりの集団だと側聞した。僕は先月なくなったマリアテレサの例を引き合いに出しながら、利他の精神がどれほど貴いものか、それゆえに先生たちの活動が非常に貴いもので、僕は心から先生たちを尊敬すると、思っているままをお世辞抜きで、率直に伝えた。校長先生をはじめ先生方のもてなしに感激した僕は、子供達に歌をプレゼントすることを約束して皆に別れを告げた。
この学校で僕は彼女の美しさを再発見した。最初あの急な石段の最後の1つの足を懸けたときに見た、彼女の美しさはゆっくり味わう程の余裕がなかった。石段を上るのがやっとのことで、彼女の美しい輪郭が分かった程度だった。しかし今見る彼女・ フヘ利他の精神の輝きを醸し出して心の底から美しい。すらっと伸びた長身のスリムなスタイルに長い髪がそよいでいる。
加えてうつくしいハートの持ち主にちかいないと自分勝手に想像しているソプラノのはっきりした声、そのどれもが僕を魅了した。僕は彼女と並んで歩いたが、なんだか気恥ずかしくなってうつむき加減になって足は地についてなく、ふわふわした感じで自分の胸の騒ぎを眺めていた。
学校のすぐ横にかかっている吊り橋をわたり、ダルバール広場に通じるところで別れたが、彼女後を追いかけたくなる自分を必死で押さえ込んだ。
いつかまた会いたい。それは多分日本でだろう、そう期待して僕は住所と電話番号、それにフル、ネームを聞いておいた。僕は今彼女に自分のことをなんと自己紹介したか覚えていない。