生きよう今日も喜んで・・・(平澤 興 恩師)
『生かされて 生きるや 今日のこの命 天地(あめつち)の恩 限りなき恩』
(平澤 興)
(平澤 興 恩師と宮司の出会い)
宮司が、元京都大学の学長であった『平澤 興』恩師とお会いしたのは、安保闘争の真っ只中であった。
「京大が極左暴力集団達に占拠され、学長を吊るし上げている、大学の封鎖解除に向かえ」という命令で当時、大阪府警機動隊員であった、私は、部下を連れ出動した。そこで、はじめて平澤 興学長に会った。
毅然として背筋を伸ばし、大きな声で学生たちに叫ばれていた。
「君たちの言うことは断じて聞けない・・今・・私が君たちに屈すると今後、君たちが社会に出てどんなことも、思い通りになると思うと困るからだ』・・今ではない、10年後の君たちは私ががんと聞かなかった理由がわかる・・・・とつぶやかれた。
宮司は、そのとき警察官として、真の教育者に出会った感動で体が震えた。
2日間の徹夜の監禁にも、平澤興学長は、断固として過激派学生に屈服しなかったことは有名である。
多くの学長は、極左の暴力に耐え切れず、学生の前に、屈服して紙に署名させられた。
多くのヘルメットをかぶり、角材を持った学生に「何故君たちは正しいことを言うのだったら顔を隠すのか・・何故正しいことを言うのに角材がいるのか?」と静だが厳然と言い放った。
平澤学長はさらに「今・・君たちの数の論理に屈服し、君たちに従うことは、将来の君たちに、暴力と数の論理が民主主義だと思うようになる・・・だから私は殺されても屈服しない」と言われた。
宮司は、学長を極左暴力集団から奪還したが、平澤学長は、学生の逮捕も希望されず「10年経てばこの子達も自分たちの過ちに気がつくでしょう」と微笑まれた。すばらしい学長だと感動した。
二度目は、安岡正篤師父と豊田良平師匠と宮司の3人でお会いした、穏やかで本当に仏様のような顔だった・・人生を超越した顔で光がさしていた
平澤 興恩師は、私に「ニコニコする人はこの世に沢山おられます・・でもニコニコだけでは駄目です、命がけでなければ駄目です」と言われたことを忘れられない。
生きよう今日も喜んで・・・(平澤 興恩師)
宮司の尊敬する平澤興恩師の語録『生きよう今日も喜んで』この本は、手放せない座右の書です。
宮司の「腹中に書あり」・・・・のその一冊は『生きよう今日も喜んで』です。、
○朝には、希望と張り合いをもって仕事をはじめ、夕には、その日の仕事を終わり、感謝をもって、緊張をときほぐし、静かに喜びながら、万物を拝む気持ちになることです。
○今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高です。
○仕事は祈りであるということは、自らの最善を尽くして、それ以上は神に祈るということである。
この気持に徹すれば、いつも楽しく仕事が出来、たとえ仕事の上に、一時的にいろいろの波があっても、大局的には必ず仕事は順調に進み、しまいには楽しさのなかで、仕事が仕事を導いてくれるようになる。
○欠点をなおせというよりも、長所をのばしなさい。長所といえども癖である。この方の癖をのばせば、悪い癖もその大きさの中にかくれてしまう。
大木も小さい時は曲がっていても、大木になればまっすぐになるようなものである。そしてかくれた癖は時に応じてその人の味わいとなり花となって、その人に芸術味を与えることになる。
○感謝するということは、人間が楽しく生きて、周囲を明るくし喜びを与える最高の姿である。
○感謝ということは、よく見てよく考えて、他の人が見落とすようなところでも、見落とさずに見る。そうすると、平凡なことも平凡でないことがわかる、そこでありがたい、ありがたいことだなあと心から思うようになる。
○人間に生まれたことを本当に感謝し、その幸せを喜び、まあ、へまばかりやって来たが、しかし私は私なりに一生懸命生きて来た、更に、自分もご苦労であったが、他人様のご苦労もよくわかる、こういう風に思うようになると、この自分を拝み、他人様を拝むことが出来るようになる。
○顔は自分の顔であって、自分の顔ではない。人々から見る顔でもある。全体としていつでも明るい顔は、心に明るさをもっているからである。明るい顔は、明るい心。明るい心は、やすらぎの心、感謝の心である。
それは人を明るくし、自分の健康を保つためにも一番大事なことである。習慣的に、明るさを身につけることである。常に明るくあるためには長い修練が必要である。
『生かされて 生きるや 今日のこの命 天地(あめつち)の恩 限りなき恩』
(平澤 興)
(平澤 興 恩師と宮司の出会い)
宮司が、元京都大学の学長であった『平澤 興』恩師とお会いしたのは、安保闘争の真っ只中であった。
「京大が極左暴力集団達に占拠され、学長を吊るし上げている、大学の封鎖解除に向かえ」という命令で当時、大阪府警機動隊員であった、私は、部下を連れ出動した。そこで、はじめて平澤 興学長に会った。
毅然として背筋を伸ばし、大きな声で学生たちに叫ばれていた。
「君たちの言うことは断じて聞けない・・今・・私が君たちに屈すると今後、君たちが社会に出てどんなことも、思い通りになると思うと困るからだ』・・今ではない、10年後の君たちは私ががんと聞かなかった理由がわかる・・・・とつぶやかれた。
宮司は、そのとき警察官として、真の教育者に出会った感動で体が震えた。
2日間の徹夜の監禁にも、平澤興学長は、断固として過激派学生に屈服しなかったことは有名である。
多くの学長は、極左の暴力に耐え切れず、学生の前に、屈服して紙に署名させられた。
多くのヘルメットをかぶり、角材を持った学生に「何故君たちは正しいことを言うのだったら顔を隠すのか・・何故正しいことを言うのに角材がいるのか?」と静だが厳然と言い放った。
平澤学長はさらに「今・・君たちの数の論理に屈服し、君たちに従うことは、将来の君たちに、暴力と数の論理が民主主義だと思うようになる・・・だから私は殺されても屈服しない」と言われた。
宮司は、学長を極左暴力集団から奪還したが、平澤学長は、学生の逮捕も希望されず「10年経てばこの子達も自分たちの過ちに気がつくでしょう」と微笑まれた。すばらしい学長だと感動した。
二度目は、安岡正篤師父と豊田良平師匠と宮司の3人でお会いした、穏やかで本当に仏様のような顔だった・・人生を超越した顔で光がさしていた
平澤 興恩師は、私に「ニコニコする人はこの世に沢山おられます・・でもニコニコだけでは駄目です、命がけでなければ駄目です」と言われたことを忘れられない。
生きよう今日も喜んで・・・(平澤 興恩師)
宮司の尊敬する平澤興恩師の語録『生きよう今日も喜んで』この本は、手放せない座右の書です。
宮司の「腹中に書あり」・・・・のその一冊は『生きよう今日も喜んで』です。、
○朝には、希望と張り合いをもって仕事をはじめ、夕には、その日の仕事を終わり、感謝をもって、緊張をときほぐし、静かに喜びながら、万物を拝む気持ちになることです。
○今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高です。
○仕事は祈りであるということは、自らの最善を尽くして、それ以上は神に祈るということである。
この気持に徹すれば、いつも楽しく仕事が出来、たとえ仕事の上に、一時的にいろいろの波があっても、大局的には必ず仕事は順調に進み、しまいには楽しさのなかで、仕事が仕事を導いてくれるようになる。
○欠点をなおせというよりも、長所をのばしなさい。長所といえども癖である。この方の癖をのばせば、悪い癖もその大きさの中にかくれてしまう。
大木も小さい時は曲がっていても、大木になればまっすぐになるようなものである。そしてかくれた癖は時に応じてその人の味わいとなり花となって、その人に芸術味を与えることになる。
○感謝するということは、人間が楽しく生きて、周囲を明るくし喜びを与える最高の姿である。
○感謝ということは、よく見てよく考えて、他の人が見落とすようなところでも、見落とさずに見る。そうすると、平凡なことも平凡でないことがわかる、そこでありがたい、ありがたいことだなあと心から思うようになる。
○人間に生まれたことを本当に感謝し、その幸せを喜び、まあ、へまばかりやって来たが、しかし私は私なりに一生懸命生きて来た、更に、自分もご苦労であったが、他人様のご苦労もよくわかる、こういう風に思うようになると、この自分を拝み、他人様を拝むことが出来るようになる。
○顔は自分の顔であって、自分の顔ではない。人々から見る顔でもある。全体としていつでも明るい顔は、心に明るさをもっているからである。明るい顔は、明るい心。明るい心は、やすらぎの心、感謝の心である。
それは人を明るくし、自分の健康を保つためにも一番大事なことである。習慣的に、明るさを身につけることである。常に明るくあるためには長い修練が必要である。