日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

東芝問題

2017年04月15日 | Weblog
東芝問題

3代に亘る社長や会長のやったことを考えると。

こんな連中が東芝を牛耳って経営していたかと思うと、

今日の凋落は分かる、納得できる出来る。

さて今は責任追及よりはとうやって、技術の国外流出を食い止めるか,

これが喫緊の課題である。

経団連などが協力して流出防止にをなければならないのとちがうか。

東芝は国に対して、同業他社に対して,従業員に対してどう責任をとろうとしているのか

考えるにここはスーパーマンの登場を願いたいところだ。

順番でで成り上がって経営に加わった凡人が経営をすればおそらく
どうにもならないだろう。

そこで出でよ  第二の土光さん 。

北朝鮮情勢

2017年04月13日 | Weblog
北朝鮮情勢

なったらなったときのことです。

さも実論であるかのように、自説を説く評論家たちはちゃんと

自分の逃げ場をつくっておいて、情勢をまるでそうなるかのように書いて

いるが、これは漫画を読むのと同じ程度にあしらっておけばよろしい。

だってどんなことであれこれはアメリカと北朝鮮の問題で、

同盟国である我が国は、両者ににとって決定的なことは何も言えないのです。

何の被害も受け無いところで、両者が戦争を始めたら,高見の見物だなと

関心も興味もあります。

戦争は絶対に反対だが、狂犬のような人物がいる限り、

いつかは排除しないと何をしでかすか分からない危険にびくびくしなけれ

ばなりません

なんと馬鹿げた!!!

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2017年04月09日 | Weblog
国連の役割とは?

シリアで毒ガス兵器を使って人を殺傷したことによって,

国連は非難決議を出した。北朝鮮がこんな決議はくそ食らえと

あざ笑うのはある意味当然のことだ。何の痛みも伴わないからだ。

国連決議は非難声明を出すだけで、無視してもいたくもかゆくもない。

非難声明を何回出しても、効果は同じだろう。北朝鮮は無視するのだから。

哀しいことだが、いたい思いをしないと、核開発を続けるだろう。

オバマ政権のように忍耐政策は結果的には、核開発を進める時間を与えたに過ぎなかった。

ならず者、無法者にとっては言葉の効き目はない。

しかしそのことによって迷惑を被るなら、出来るだけ早く

トップの首のすげ替えをして追放しなくてはならない。

それは時間との戦いのようにも見える 。人類の平和にとって

無謀なこのを独裁者は一刻も早く取り除く事が好ましいことだ。

忘れられない恩師

2017年04月08日 | Weblog
忘れられない恩師

65年昔の担任の先生を思いだした。

先生は高校2年の時の僕の担任である。

家が貧しくて月謝が収められないので、ある日担任の先生に、

退学届を出した。

「お前は勉強ができるからいけるところまで休め。

長欠と言うことにしておく」先生はそう言われた。

学校には月一回位しか行けなかったが、試験はできた方で

学年の中位の成績は取れた。それでやっと高校を卒業できた。

だから大学受験の資格を得ることができた。

最終学歴は大学卒となった。

思うに先生の計らいがなかったら、大卒の資格は取れていなかった。

あの温かい配慮があったからこそ、と思うと、今でも先生に足を向けて眠れない。

不幸なことに先生は交通事故にやられて命を落とされたと言う話を聞いた。

悔しいというか、残念というか、頑張って大卒の資格を得た僕の姿を

先生に見ていただいてほしかった。、恩返しするまでもなく、

この世をさられたことを残念に思う。

パソコン

2017年04月06日 | Weblog


パソコン

パソコンで、のんびり暮らしているわけではない。

いつもパソコンに縛られたかのように前に座っている。

パソコンはその基本原理については、ほとんどわからない。

だからプログラムを組む小学生には、もう驚きと尊敬の念を持っている。

今日は8時間かかって、やっとYouTubeに動画を載せることができた。

これは原理原則ではなくて、ただ操作法だけのことである。

恐る恐る操作の順番をメモしては操作をし、処理を記録して

前に進まないものは、自分の考えを実行し、記録して役立つものだけを

残している。 つまり自分の操作マニュアルを作って,記録している。

これをやらないと、忘れてしまって、次回同じ作業は出来なくなる

10-18覚えられない

2017年04月05日 | Weblog
覚えられない

どうも近頃覚えることができなくなってきた。

すでに記憶されたものを言葉となって口から出て来ない。

これは大変もどかしいことだ。ついに面倒臭くなって、あれ、これ、それを連発する。

あれは頭の中では特定のものを指しているが、言葉にはならないのだ

60代まではこんな事はなかった。何ら不便を感じなかった。

思った事を代名詞で代用する事は稀だった。

日常使わないこともあるが、学生時代にはル・モンドも読めたのに、今では

英字新聞を読むのに単語の意味を忘れているので読みづらい。

今ではル・モンドは完全にフランスの新聞になった。

年齢のせいばかりであるが、確かに努力することを怠り、精読する前に

読み飛ばして読んでいる。

やはり自戒が必要であると、自分に言い聞かせた。

10-17五蘊

2017年04月04日 | Weblog
五蘊 
般若心経の中の言葉 である。

わかりやすく言えば五蘊とは心と肉体のことを指し、魂と肉体と言っても良いだろう

魂には4つ作用がある。受,想、行、識 の4つがそれである。

この4つを喜ばせば、魂は喜ぶ。

魂が大切なのは、肉体を離れて、向こう側へ渡った時に悟りの境地に入る

ことが出来る。肉体がある限り煩悩がつきまとうから、悟ることは難しい。

だから、こちら側にいる今、魂を喜ばせることが大切。

それをモットーにして生きる生き方が、すばらしい生き方だと言うことだと思う。

肉体の喜びもさることながら、それ以上に魂を喜ばせることに

重きを置こうと言う結論に達した

具体的には人の魂を喜ばせることにつきる。

もっと突きつめて言うならば、他人様の魂が喜ぶような作品を作ることだ。

この考え方は師匠山田耕筰先生から教わった事と一致する。

ついてに請売りを書いておきます。

空とは移ろいゆく世界を司る法則であり、

無とは固定観念をリセットして新しく考え直す事です。
では創造とは空を切り取って表現することです

巻き舌

2017年04月03日 | Weblog
巻き舌

欧米留学経験の声楽家は,日本歌曲を歌うに、下手だと思う。

それは横文字の欧米語をその通りの発音をまねているから、巻き舌になる。

こういう癖がついてしまうと、日本歌曲を歌う場合にはなはだ言葉が不明

瞭になる。

しかしながらこのことに気がついて、日本語を明瞭に歌うように研究した声楽家も居る。

上浪明子先生である。流ちょうで明瞭な日本語の日本歌曲は聞き応えがあった。

あの美しい天使の声の持ち主 佐藤しのぶさんの歌を聴いていると天使の

声に日本語の明瞭な発音が加われば、どれほど聞きやすいか、と思われて,残念に思うことがある。

ブログを見て下さい

2017年04月01日 | Weblog
ブログを見て下さい

作曲家武田圭史 で検索すると

どういうことをしながら作詞をして

それに曲をつけるかが、分かります。

これが僕の作詞、作曲法です。作品に仕上あげているのは間違いなく自分だが、
ふと胸をよぎる、言葉やメロデイは 授かり物で、

僕は作品は作ると言うよりは、授かっているという感覚です。

屁でうっぷん

2017年04月01日 | Weblog
屁でうっぷん

家庭教師をしていた頃の話である。一応先生のつもりでいたから、上から

目線でものを言われるのは、かんに障った。

だけど一方では雇われの身である。

むしゃくしゃしていたので、盗人屁をかましてやった。

音はしないが臭気はかなり強烈だった 。

「くさい!!」 おばさんはそう言って、手で臭気を払いのけながら部屋から立ち去った。

ざまー。みあがれ。心ではそう思った。

それからまもなく引導を渡された。

「もう次回から結構です。」

お鉢はもくろみと 違う方向に飛んでいった。

これには参ったと言うよりは、笑いが止まらなかった。

聖徳太子讃歌

2017年04月01日 | Weblog
聖徳太子讃歌

2017年03月30日 | Weblog

聖徳太子讃歌

1993年の事だから,もう24・ 5年昔の話である。

四天王寺で行われた聖徳太子1,400年祭の法要に音楽演奏で参加させてもらった。

四天王寺学園中学高校の生徒さん400名余りと

菩提樹合唱団を加えて約500名約500名の人々に

自作の聖徳太子讃歌を奉納演奏させてもらった。

それをビデオ撮影していたのでYouTubeに載せた。

今頃では珍しいものだろうか。

何せ20年余りの月日が経ってのことであるから。

17条憲法にもあるように和の精神を基調にして、共生こそが人類の目指す

方向だと言う意味の詞を書いて、曲作りした。

それが20年の時を経てリバイバルしたのである。

よっかたら視聴して下さい。

ユーチューブ武田朱仙 聖徳太子讃歌 

 と入力し、検索したらトップに出てきます

88歳認知症運転者

2017年04月01日 | Weblog
88歳認知症運転者

認知症のために、閏間を運転するという怖いことをmしらんかおで出来たのだろう。

小学生の児童が車に巻き込まれた。もちろん死亡事故である。

責任を問われた男は、88歳で認知症を患っていたらしい。今自分が何処

を走っているかも認知せず走っていたらしい。

被害者の父親は悔しさと持っていきようのない怒りで、心中を察するに余りある。

大体88歳にもなって運転する感覚が僕には理解が出来ない。

おまけに認知症と来ている。周りの人も何とか出来なかったのか?

こんな車が走っていると思うと、恐ろしさが先だつ。

本人が車に乗る事情のあることは十分納得できるけど、事故を起こす確

率からすると80過ぎたら、余程のことが無い限り、免許返納が当然だと思う。