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一昨日仕事で来られなかった義妹から来た、弟経由で渡したお土産のお礼メールに、両親はどうでしたか?という問いかけがあった。二人とも肌艶良くて元気そうだった、嫉妬妄想の発作(?)はなかった、でもね・・・と
なんとなく流れで「昭和の歌」の話しになったときに、母がいきなり軍歌を歌い出し「子供の頃は戦争だったから、優しい歌なんてなかったし、勇ましい歌も間違ったら叱られた」と。私の目をじっと見て軍歌を歌った、あの顔は見たことのない表情でした。何を訴えたかったのかわからないけど、少なくとも敵意のある表情としか思えなかった。軍歌を歌うなんて信じられないし、ショック。ちょっとへこみ中。。。
と送ったら、義妹から速攻で返事が来た。
軍歌のエピソードですが、実は私もそういう場面に何度か出くわしてるんですよ
一番初めはT(現在18歳)が小学生の時。戦争体験を身近な人に聞くという宿題だったのですが、お父さんがもうやめなさいと何度も止められる位お母さんは興奮され、その口調と睨みつけるような怖い表情に、Tは今にも泣き出しそうになりショックを受けましたが、それでもおやめにならず。。。
その時の様子はあまりに衝撃でしたが、今思えばその頃から思い違いや勘違いが目立ち始めたように思います。老人ホームに入られてからも、似たような光景はありました。なので間違いなくお姉さんが感じられた〝敵意〟のようなものは、お姉さんに対してではなく病気のせいです。
と言われても、お辛い気持ちに変わりないかもしれませんが、あまり凹まないでくださいね
という返事が返ってきた。そうだったのね、私が怖かったんだから甥っこのT君はさぞや怖かったことでしょう(苦笑)。でも教えてくれてありがとう、おかげでちょっと回復してきたわ。と返事して、今回のやりとりは終了。
弟一家は子供たちが小さい頃かなり頻繁に実家に遊びに行っていたし、両親もよく会いに行っていたので、ここ20年くらいの両親のことは義妹のほうが良く知っている。なので、こうやって帰省したときに疑問に思ったことを、医療現場の常識に照らし合わせて教えてもらったり、両親の日常から想定されることを教わったりして、「そうだったのか~」というやりとりをすることが多い。
今回は少々へこんでいたので、この「答え合わせ」はいつも以上にありがたかった。
写真はシモベがへこんでブラッシングしてくれないので、自分でなんとかしようと試みる、猫の鑑のようなマロさま。お猫様たちにも支えられておりまする、あ、主人にもね(苦笑)。
なんとなく流れで「昭和の歌」の話しになったときに、母がいきなり軍歌を歌い出し「子供の頃は戦争だったから、優しい歌なんてなかったし、勇ましい歌も間違ったら叱られた」と。私の目をじっと見て軍歌を歌った、あの顔は見たことのない表情でした。何を訴えたかったのかわからないけど、少なくとも敵意のある表情としか思えなかった。軍歌を歌うなんて信じられないし、ショック。ちょっとへこみ中。。。
と送ったら、義妹から速攻で返事が来た。
軍歌のエピソードですが、実は私もそういう場面に何度か出くわしてるんですよ
一番初めはT(現在18歳)が小学生の時。戦争体験を身近な人に聞くという宿題だったのですが、お父さんがもうやめなさいと何度も止められる位お母さんは興奮され、その口調と睨みつけるような怖い表情に、Tは今にも泣き出しそうになりショックを受けましたが、それでもおやめにならず。。。
その時の様子はあまりに衝撃でしたが、今思えばその頃から思い違いや勘違いが目立ち始めたように思います。老人ホームに入られてからも、似たような光景はありました。なので間違いなくお姉さんが感じられた〝敵意〟のようなものは、お姉さんに対してではなく病気のせいです。
と言われても、お辛い気持ちに変わりないかもしれませんが、あまり凹まないでくださいね
という返事が返ってきた。そうだったのね、私が怖かったんだから甥っこのT君はさぞや怖かったことでしょう(苦笑)。でも教えてくれてありがとう、おかげでちょっと回復してきたわ。と返事して、今回のやりとりは終了。
弟一家は子供たちが小さい頃かなり頻繁に実家に遊びに行っていたし、両親もよく会いに行っていたので、ここ20年くらいの両親のことは義妹のほうが良く知っている。なので、こうやって帰省したときに疑問に思ったことを、医療現場の常識に照らし合わせて教えてもらったり、両親の日常から想定されることを教わったりして、「そうだったのか~」というやりとりをすることが多い。
今回は少々へこんでいたので、この「答え合わせ」はいつも以上にありがたかった。
写真はシモベがへこんでブラッシングしてくれないので、自分でなんとかしようと試みる、猫の鑑のようなマロさま。お猫様たちにも支えられておりまする、あ、主人にもね(苦笑)。
学徒動員で 寮に入り 一日中ミシンを踏んでいました。
その時すりこまれたためか ミシンを踏むと 懸命に歌を歌います。
自分では 歌を歌っているという意識すら していません。
母の歌は 軍歌ではないけど そもそも テレビでは
時代ものとサスペンスが好きで 歌番組は好まないのに
歌を歌うことが不思議です。
どんな年代の時に戦争を体験したかで 少しづつ違うでしょうが
体験者は 一生 抜けない 感情や行動があるのでしょうね。
母はピアノを弾くので音楽といえばクラッシックでしたし
父も母もリベラルな考えなので
彼女と軍歌が結びつかず、ものすごく戸惑いました。
しかも、見たことのないような怖い形相で。
主人と話したのですが「封印してたものが病気で出てきたのでは」
「その形相はその当時自分を’指導’していた人の形相じゃないか」と。
そう言われたら「何かに憑かれたような顔だったのかも」という気がしてきました。
あたしたちには想像のできない時代を生きて来た両親。
その両親が我が子には見せたくないと隠してきた
そういう部分なんだろうと思いました。
多感な時代を戦争一色に染められて
年をとってから、またその記憶が蘇ってくるなんて。
凹んでいいのはあたしじゃないんですよね。。。