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延々と続いてきたこの夏の旅行記、これが本当の最終日。それにしてもこの暑い中、レンタカーを使って移動した沖縄分も含めて、よくぞ1日1万歩以上歩いたものだと、自分でも感心する。そして、毎日一番雨の降っている時間帯に偶然車の中や建物の中にいたことに、運をこんなとこで使ってどうするんじゃ〜、とも思う。が、なんでもいいのさ、結果オーライだもんね。
二日目、ホテルをチェックアウトして荷物を駅に送り、タクシーで最初に向かったのは、白沙村荘。最初の写真は、嬌々門(きょうきょうもん)という名の茅門、夏の趣。
春に桜が満開だった時に来て、道を一つ隔てただけの哲学の道の喧騒が嘘のような静寂と美しさに感動し、ここで働いておられるすべての人がこの場所が好きなんだなぁと思えるやり取りがあり、その時にお庭の手入れをしていらした女性から「渉月池(月が水面を渡る景色が茶室から見える池)は夏には蓮池になりますよ」と伺い「ぜひまた寄せていただきます!」という会話をした。
その時の旅行記
最初は7月末から主人が夏休みを取るので、そこは長めの旅行をして、白沙村荘は8月末にでもと思っていた。でもユニットバスを交換することになり、風呂が使えない日が3日ほどできる。この酷暑、近所に銭湯もないので風呂無しで過ごすのは無理、だったらどこかホテルを借りようか、でもそれだったら旅行を短くして留守中にやってしまおう、ということになった。蓮の花ってこんなに暑くても8月末まで咲いてるかしら?と疑問が湧き、電話して聞いてみた。今年のことはなんともいえないけど、例年お盆前までならなんとか咲いてるお花があるという感じですよ、と教わり、夏休み前半を那覇へ3泊4日、途中帰宅して鍵を回収して後半に京都へ1泊2日の旅程に変更した。
その面倒な手間が報われてあまりある、背が高く大きく鮮やかな蓮の花。満開の時期は過ぎているけど、蓮の花のいろんなタイミングが一挙に見られる、なかなか珍しいタイミングできたなぁと勝手に悦にいる。
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茶室の如舫亭のそばに立って憩寂庵が見える側から
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開き切るとこんな感じなんだね
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左奥は存古楼
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陽の光が透ける淡いピンク
蓮の花ってこんなに背が高くて大きいのだと初めて知った。花びらが落ちた後のハスの実(かな?)は、金や銀に着色したものやなにも着色のないものなど、橋本関雪記念館で販売していた。
次に向かったのは関雪の大画室存古楼。1917年から1945年に61歳の若さで亡くなるまで、大作屏風のほとんどをこの大画室で描いた。
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一段高くなったところから全体を見たのかな
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窓は掛け軸のフレームを想定した形
前回来た時に、絵のほとんどをこの白沙村荘にあるものをモチーフに描いた関雪が、庭の景色を切り取る道具として窓枠をこのように設計したと教わった。ここから庭を見ながら奥まったところにある記念館へ。
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2階のテラスから見る東山連峰は春とは異なった雰囲気
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前日夕方のゲリラ豪雨に洗われた石像
全国の社寺から石造の美術品の優品が送られ、独自の空間を作り出しているとパンフレットに書いてあるように、あちこちに石の灯籠や像や碑がある。季節ごとに周囲の植物の色が変わるので、受ける印象も変わる。この日は春には気づかなかった、素朴な表情の仏像を発見した。
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明かり取りの窓さえおしゃれだ
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夏なのに苔が青々としていた
入る時に蓮は?と聞いたあたしに、今朝は2輪開きましたよと教えてくださった受付の女性に、どうでしたか?と尋ねられ、本当によかったです、違う季節にまた来ますと挨拶して出た。ここにいる人、前の晩の居酒屋の大将じゃないけど「全部血縁者だよね」と思うほど、どの人もみんなここの話がしたくて、ここの印象を聞きたがっている気がする。好きな場所に身を置いている幸運な人なのか、自分の仕事や職場を好きであろうとする姿勢の人なのか。あたしも、
楽しそうに仕事をしている人でありたいと常日頃思っているけれど、その理想を清々しく実現している人たちだ。心が洗われる気がする。それって前回も感じた。ほんと、また来なくっちゃ。
門を出ると目の前に今出川通、銀閣もすぐそばなのでタクシー乗り場がある。ここでタクシーを拾って次なる目的地、明治維新の五傑の一人岩倉具視の幽棲旧宅へ。タクシーの運転手さんに岩倉具視旧宅へとお願いしたところ、一瞬妙な間があった。長いことタクシーの運転手していますが、20年ぶりにあそこにいくお客さんを乗せますと言われて驚いた。でもものすごく詳しい方で、今日は土用の丑の日だからどこそこ(すぐググって調べたけど高すぎて無理〜(苦笑))にいって召し上がるといいですよ、幕末に興味があるなら島原もいいですよ、とか(忘れたけど)いろんな場所の名前を教えてくださった。とはいえ、自分を貸し切って行けというありがちな押し付けをするでもなく。
移動中話題が途切れると、車が通り過ぎる場所にある大学の評判を教えてくれたり(でもって、主人がそれを受けて色々話をして盛り上がれたり)、宝ヶ池あたりに子供の頃よく連れてこられたのは競輪場があったからだったとか、トリビアネタを次から次に繰り出してこられて、京都の運転手さんにいい思い出のない我が家、狐に摘まれたような時間だった。次回京都に来た時にタクシーで回りたい時にはこの人指名だな、と思って領収書をもらってあるけど、引っ張り出してきたら木の葉っぱだったりしてね(笑)。で、到着。
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表門
ここは国指定の史跡で、京都府が管理している。説明してくださったガイドによると、皇女和宮を徳川家茂に降嫁させたとして、過激な尊皇攘夷派に命を狙われて、転々と住まいを移ったあと(匿ってもらった寺から「物騒なので出ていってくれ」と言われたくらい危険な状態だったらしい)、岩倉村の廃屋を借りて幽棲した。
禁門の変の後佐幕派との濡れ衣は晴らされたものの、京都に戻ってくる許しが得られず岩倉村で暮らし続けた。冤罪が晴れたので人々がやってくるようになった。やってきても来るのが大変で長居をすると京都まで帰れなくなり、泊まっていくようになったので増築したという。やってきたのは、坂本龍馬、中岡慎太郎など、一致団結して討幕に向かう人たち。大政奉還の原点はここだといっても過言ではありませんと熱く語るガイドさん、品よく面白くとてもよかった。
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鄰雲軒
最初にここに移り住んだときは、大工の居宅だった。廃屋で日記を書き残した岩倉が「古すぎて掃除しても掃除しても綺麗にならない」と書き残しているらしい。冤罪が晴れて来客が増えて増築したのが写真の部分。建物の左奥に入り口があり、母屋に上がって庭を見ることができるようになっている。ガイドの説明を聞いたのも、鄰雲軒の縁側。
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あたしたちへの説明が半分終わった頃、もう一人の見学者が到着。というくらい確かに訪れる人は少ない。この辺りは紅葉の穴場ですよ、とガイドさん。なるほど〜、メモしとこ。
写真の左側が岩倉具視の部屋で、右側が来客が止まっていく部屋だったとのこと。大正ガラスを用いた障子戸(ただし岩倉が住んでいた頃にはまだガラスになっていなかった)の枠がおしゃれだ。正面に見える赤松は岩倉具視が植えたとされている。大規模改修をした時に出てきた棟札に、作庭7代目小川治兵衛とあり、昭和初期になって初めて庭に手を入れたのがだれだったのか判明したとのこと。春に訪ねて歩いた小川治兵衛の庭、今回もその1箇所を訪れることになるとは。
岩倉に行くならこちらにもいらして縁側から東山の景色を楽しんでくださいね、と運転手さんがおっしゃっていた、元天台宗寺院派の門跡寺院の実相院。
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これも運転手さん情報だけど、以前から床紅葉(黒く磨き上げた床に庭の花や緑が映り込む)は訪問客の間で有名だったのを、お寺さんがそれに気づかれてそれをウリにするようにされた、とのことだった。有料で撮影される寺があるのは知っていた(ここではないはずだけど)。確かに実相院の床に映る鮮やかな紅葉の緑は美しかった。が、室内は一切撮影禁止であった。狩野派の襖絵がたくさんあるし、天皇家の位牌もあるので仕方ないとは思うけど、興醒めするような「撮影禁止」の張り紙の多さに、すっかり気持ちが萎えてしまった。
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紅葉の時期は、さらに美しいだろうと思われた
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床紅葉となる木々がこちらの皆さん(苦笑)
なんだかねぇ、と言いながらお寺を出て、ほぼ目の前にある岩倉実相院バス停から国際会館前まで移動。この日はとにかく蒸し暑く、途中で着替えたくなるほど汗をかいた。ユニクロなんかで着替えを買いたいかも〜、でも夏服はもうたくさん持っているので、仕事でも着られる服の方がいいかなぁ〜、という話をしながらバスを待っていた。お腹も空いてきたので、とりあえず烏丸線で国際会館前から四条まで行き、知り合いがよく行くと言っていた大丸地下の寿司屋で昼ごはんを食べ、上の階で着替えを買おうかなということにした。
寿司は、まぁまぁだった。でも、鱧があるかしらと思ったのになかったり、全体として種類が少なくて残念だった。汗も引いたので買い物はせず、運転手のおじさんが言っていた島原にでも行こうかな、と京都駅まで烏丸線に乗り、そこからJRで丹波口まで。駅の改札を出て、すぐそばに大きなユニクロがあるのを発見。これはもう、着替えを買えと言われているとしか思えない〜、と飛び込んだ。で、物色している間に外では雷と大雨、昨日の夕方のゲリラ豪雨のような状態になった。恐ろしくラッキーである。
島原は泊まってたホテルから徒歩圏内。観光してさらにドロドロになった後、ホテルのトイレで汗を拭いて着替えてから、ホテルのバスで駅まで行こうということにして、まずは島原を歩く。雨が上がった直後の湿気は、本当にすごい。あたしたちがいた二日間はその前後よりも3-5度くらい気温が低かったようなのだけど、それでも十分暑かった。あたしのiPhone15Proはアルミ製のケーシングなのが災いしてか、めちゃくちゃ熱くなった。不安になって何度か電源を切った。対処法をApple Storeで仕入れねば、と思ったのであった。はさておき、
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島原西門跡
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島原開設当初から続くお茶屋の角屋
円山応挙や与謝野蕪村などの作品を数多く所蔵。幕末には新撰組の宴会が開かれ、西郷隆盛や久坂玄瑞などが軍資金調達のため豪商と会議を開いたりした。一般公開されているものの、あたしたちがいった月曜日は残念ながら休館日。定宿が近いから、そのうち見に来るかもしれないなと思ったけど、
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格子がまるで牢屋のようでちょっといやかな
途中、元禄年間創業の置き屋だった輪違屋の前を通った。古い置き屋の遺構として非常に貴重とされる京都市指定有形文化財なんだけど、正面には「見学拒絶」とあり、住んでいらっしゃる方の観光客に対する怒りを感じた(苦笑)。もしもそこにお住まいだとすれば、気持ちはわからないではない。拒絶という言葉に行き着くまでに、どれだけ嫌な思いをされたのだろう、ふつ〜の民家に住むあたしたちには想像できないご苦労があるのだろうなぁと思うと、同情もしたくなる。
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島原大門
左側の入り口、本瓦葺き切り妻の高麗門で、幅は一間。右側の柳と垣には「出口の柳」と「さらば垣」という通称があるそうだ。京都市指定建造物。この奥の左右に格子造りの揚げ屋や置き屋が並んでいたのかぁ〜、と想像しながら島原を後にした。
ここからは歩いてホテルに向かって、汗を拭いて着替えてサッパリした後ホテルの車で京都駅へ。こういうルートにするってわかってたら荷物はホテルに預けたままにしてたね、相変わらず行き当たりばったりな旅人である。おまけに、新幹線車内で食べたり飲んだりするものを買って、1時間早い新幹線に変更して帰京するという、さらなる行き当たりばったりなアレンジ。でもやっぱり京都は面白い、楽しかったね〜、次回はきっと正倉院展の時に戻ってくるね〜なんて話しながらと帰宅したのであった。
京都観光・・・恐れ入ります・・
沖縄観光旅日記、拝読間もなく京都の旅日記こりゃあ‥忙しくなっちゃった・・
熱中症にかかっている間がないほど拝読に忙しい・・
猛証の京都で、ひと汗かいて、すっきり
しなはれや・・・ありがとう
よく行かれましたね。
kebaさんは暑さに強いんだ。
島原は暑くない時に私も行きました。
江戸の吉原、京都の島原なんていうけど、吉原は遊郭があった所、島原は花街で、全然性格が違う場所と説明された記憶があります。
幕末の志士と新選組の両者が島原で遊んでいて、バッタリ出会ったらどうしたんだろうなどと思いました。
楽しかったぁ〜〜。
次に行けるときはkeba様のブログを遡ってお勉強してから向かうつもり🎵
タクシーの領収書のくだり、面白かったです。(木の葉じゃありませんように☺️)
えへへ、精力的と言えばそうですが
意外に、休無時にはちゃんと休憩時間をとって観光しました。
沖縄と京都、なかなか面白い夏休みでした。
夏に強いとは思わないけど、外歩きの後涼しい場所で涼む、を繰り返しました。
島原、おっしゃる通りです
歌舞練場跡の前を通りました。
京都の沼は深いです(笑)
あたしのはまだまだ浅いところをなぞってる程度。
でも、結構色々調べてここに至ってるので、おやくにたてるならこうえいですぞ〜
ってか、地震気をつけてくださいね