kebaneco日記

日々の出来事、考えたこと、行った場所、見たもの、なんかを記録してます

サンクトペテルブルクと把瑠都2カ国旅行記 3日目

2017年08月13日 | 旅行記&その他
サンクトペテルブルクを訪れたら絶対外せない、ピョートル大帝とエカテリーナ2世という二人の皇帝のゆかりの離宮。二つとも郊外にあるので、この二箇所を効率良く1日で回るには、現地発のツアーに乗るかプライベートツアーをコンシェルジュにお願いするか、のどちらになる。我が家は後者を選んだ。事前アレンジのツアーに申し込んでおかないと、現地でチケット購入の長い列に加わることになる、とはいえ団体での見学だと自分のペースで回れない、せっかく日本から行くのにそれは嫌だ、となるとそういう選択肢しかない。

出発前にホテルから「8月2日は入館可能時間が午後になったので、ホテルピックアップは13時15分です」とメールが来ていた。つまり3日目の午前中に観光する時間ができたってこと、ラッキー。前日のお昼を食べたカフェが現金オンリーという珍しい店だっため、キャッシュが心細い状況。地下鉄の駅やショッピングセンターにあるATMでカードのキャッシングをするのが一番レートが良いというので、ATMでキャッシングしよう。そういう時間にも使えてなかなか有意義。

ちなみに今回は出張の残りで手元にあった約1万円分のルーブルと約5千円分のユーロしか現地通貨は持たず、サンクトペテルブルク、カウナス、リガでそれぞれ1回ずつATMを使ってちょびちょび現金を手にした。観光地の入館料・入場料のような小額支払いを含めほとんどすべてがカード払い可能だったので、チップやトイレ(ほとんどが有料、よって清掃されている)や、タクシー料金とバスやトロリーバスの乗車券と露店での買い物くらいしか必要なかった。最終的にはホテルの支払いで、持っている現地通貨を使い果たして残りをカードで決済する、でルーブルもユーロも全部使い切ってきた。

さて三日目。たまたま到着した日に腕時計の電池が切れたため「できればロシアっぽいフェイスの時計が買いたい」と主人が言う。じゃあ午前中はお土産ショッピングして、景色のいいところで軽くお昼を食べる時間にしよう、と出かけた。最初の写真はショッピングセンターの一つ、ヨーロッパのパッサージュをモダンにしたようなところ。ここやネフスキー大通りの大きな交差点の下の地下街の屋台でも探したけど、懐中時計はあっても腕時計は見つからなかった。その後同じネスフキー大通りのガスチーニィ・ドゥヴォールという大きな古いショッピングセンターの時計屋さんで、自動巻の腕時計を発見。どれにするか迷った挙句下の写真の時計をゲットした。


自動巻なので、帰国後数日ですでに止まってる(笑)



カザン大聖堂の書前に立つ店ドム・クニーギ;1階はお土産が充実



ここの2階のカフェ・シンガーでお昼を食べてホテルに戻った


時間より前に昨日のドライバーさんがホテルに到着していて、約束の時間にちょっと遅れてガイドが到着。曇り時々雨、のこの日まず車で向かったのはペテルゴフ、絶対君主ピョートル大帝の夏の離宮。


大宮殿を入り口から見たところ、玉ねぎドームに期待感高まる



最初は土木建築に造詣が深かった大帝が、ここよりもっと先に建設中だった要塞の現場監督に行くための休憩・宿泊場所として造られた。スウェーデンとの戦争に勝利した後「皇帝らしい建物が必要」と、拡張し宮殿として建造することにしたのがこの離宮。建設開始後、ピョートル大帝がベルサイユ宮殿を視察し影響を受けたため、お庭は綺麗に左右対称。公園の向こうはフィンランド湾。船着場もあり、サンクトペテルブルク市内の船着場から高速船で来ることもできる。


約150もの噴水と4つの滝が配置されている。動力は一切使わず遠くの丘から水を引き、パイプの直径を巧みに変えることで噴水になる仕組みがつかわれているという。人が通って特定の場所を踏むと、水が出るいたずらの噴水や滝など、ふんだんに水を使ってあり夏の離宮らしさ満載。


チェス山と命名された噴水、イタリアから取り寄せた彫刻がとりかこむ


ちなみに宮殿内部は撮影不可、第二次世界大戦時ドイツ軍に占領され、敗走するドイツ軍が火を放ったため現在の宮殿は修復後のもの。迫り来るドイツ軍から芸術品を守るため、女性たちが穴を掘って隠したおかげで、これらの彫像はオリジナル。いたるところでガイドのエレンが「これはドイツ軍に見つからなかったのでオリジナルです」「これは修復されたものです」と説明してくれた。破壊直後に撮られた写真や、埋められた美術品を掘り起こしている写真、修復作業の写真などが出口付近の廊下に展示されていた。


次に向かったのはツァールスコエ・セロー


エカテリーナ宮殿、740メートルと長い



一瞬だけ奇跡のように誰もいなかった玉座の間


デザートを食べるためだけの部屋



大階段には日本の九谷焼も飾ってあった

当時はまだロシアには陶器製造の技術が確立されていなかったので、遠く東洋から輸入するかフランスやオランダから買い付けるしかなかった。壊れやすいものだったから、同じ重さの金と交換されたという。だから、これらをたくさん持っていることが富の象徴。ここも同様にドイツ軍が撤退時に火を放ち、有名な琥珀の間の琥珀をすべて盗んでいった。その琥珀だけは今なおどこを探しても見つからず、バラバラにして売られたのではないかと言われている。残された文献や白黒写真をもとに、専門家が様々なトーンの琥珀を駆使して2003年に琥珀の間が復元された。そこだけ写真NG。


食事後音楽を聴くために、池の小島に移動したりしていたらしい



エカテリーナ公園内にあるエルミタージュ(隠れ家)

お堀で囲まれているので、全員揃ったところで橋をあげれば密談にもってこいの場になった。また、屋内は階下に給仕係を待機させ、セッティングされたテーブルを2階に上げる仕組みにして、上の階からは密談参加者以外をシャットアウト。さらに密談の機密性を高めてあったという。

ドイツ出身でピョートル3世(ピョートル大帝の孫)の妻に収まったエカテリーナ、のちに夫をクーデターで幽閉してエカテリーナ2世となった。息子に禅譲せず女帝の地位に居座り続けたので、常にその正統性を富や権力を誇示することで正当化せねばならなかった。エリザベータ(ピョートル大帝の娘)が命じて作ったきらびやかなバロック様式の宮殿を、のちに落ち着いたクラッシック様式に変えたり、ヴォルテールと文通して教養も誇示したり、と権力者も大変だった模様(苦笑)。そりゃ密談する場所も必要だよな〜、なんてふと思った。

二箇所の離宮を自分たちのペースで8時間かけて観光したことになる。途中雨に降られたり、青空が顔をのぞかせたり、1日の中に四季があるといわれる通りの天候だった。でも暑くもなく寒くもない気温で、お庭散策にはちょうど良かった。リスを見かけたり、エレンに写真を撮ってもらったり、ゆったり過ごすことができてよかった。



サンクトペテルブルクに戻る頃になって、天気が回復してきた。まだ時間があるから、と途中で立ち寄った教会と修道院。宗教施設はソ連になった途端に国有化され、人民のための施設として転用された。たとえばプールになった寺院もある、という。2枚目の写真は木々に囲まれた修道院、いまでも修道女がいるため、これ以上の立ち入りは禁止。宗教施設が宗教施設として再び使われるようになるには、しばらく時間が必要だった、とのこと。


空港送迎とこの日のツアー、すべての移動のドライバーを務めてくれたバレリー(ロシア語でワレリーかな?)さんとガイドのエレン(同じくエレーナ?)。バレリーさんは英語がほとんどしゃべれないにもかかわらず、助手席に座った主人に、手振り身振りと片言の英語で車窓から見える色んなものを教えてくれた。エレンはとにかくいろんなことに詳しくて、サンクトペテルブルクから郊外に抜ける間、街がだんだん拡張されてきた様子を建築様式の違いでおしえてくれたり、ちょっとしたモニュメントを目にすると歴史的背景を語り出したり、ほとんど止まることなく教えてくれた。また、中国やインドの何十人という団体の後ろを常に歩かされることがないいよう、係りの人に「2名だから」といって、横からスルスルっと先に行かせてもらったりしてくれた。とはいえとにかく中印の観光客は圧倒的に多くて、床を守るために履くオーバーシューズを踏まれてつんのめりそうになったり、観光も楽じゃなかった。が、ドライバーとガイドがこの二人じゃなかったら、もっと大変だったと思う。

ホテルに戻って一旦休憩し、夕食の時間。エルミタージュ美術館対岸のペトロパヴロフスク要塞に隣接した、コーリュシュカという景色の良いレストランとタクシーを予約してもらった。



食事が終わる頃にはこんなにきれいな夜景、上はエルミタージュ美術館、下は宮殿橋の向こうにイサーク大聖堂。お腹いっぱいになってタクシーでホテルに戻り、サンクトペテルブルク2日目は更けていったのでありました。






最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
みどりさま (keba)
2017-08-13 14:52:18
写真を習っていらっしゃるみどりさまに誉められた~(笑)

文字は自分の備忘録的なものなので
みどりさまのような方法が正解かも。

ただ、あたしの場合、「あ、キレイ」でパチリ
あとは自分の目で堪能する、
よって正面からの写真が極端に少ないという特徴があります(笑)
返信する
お写真 (みどり)
2017-08-13 14:30:25
綺麗ですね。
フォーカシングにセンスを感じます。
全体をパソコン画面に収めるようにして見るために文字を小さくして見てます。

宮殿、贅を尽くしてとは良く言ったものです。
返信する
ようちゃんばあばさま (keba)
2017-08-13 13:08:39
ジョージ・クルーニーが監督した映画で
ナチス・ドイツの破壊から美術品を守ることを題材にした
邦題「ミケランジェロ・プロジェクト」という映画があります。

当時からナチス・ドイツが美術品や歴史的価値のある建造物を破壊することは知られていたので
残された女性たちが限られた時間と限られた力のなかで
一生懸命美術品を守ったのだと思うと
その映画とちょっと重なる部分がありました。

次に生まれてきたら、美術品の修復の仕事ができる人になりたい、と
たまに思いますが、この時は本当にそう思いました。
返信する
わ~~~ (ようちゃんばあば)
2017-08-13 12:18:23
どこも 贅を尽くすことにかけては 驚くばかりですね。
度重なる戦火を潜り抜け ここまで守ったり修復したり
してきたのですね。
感動的な写真の数々です。
返信する

コメントを投稿