今日のうた

思いつくままに書いています

010:玉(梅田啓子)

2015-02-20 09:37:25 | ⑥題詠blog2015
玉という美しき字をあてがわれ死を強いられしアッツ島玉砕



※広辞苑によると「玉砕」とは、「玉が美しく砕けるように、名誉や忠義を重んじて、
 いさぎよく死ぬこと」とある。国家とは本質を知られたくない企みがある時に、
 美しい言葉を使いたがるものなのだろうか。
 「美しい」とか、「平和のため」とか、「国民のみなさんの命」とかは、
 落とし所を心得た人が巧みに使うので要注意です。

 アッツ島はアリューシャン列島の小さな島です。
 (太平洋戦争中は日本軍が占拠し、熱田島と命名)
 別冊宝島 『大きな地図で読み解く太平洋戦争のすべて』によると、アッツ島玉砕とは
 「1943年5月12~29日、米陸軍1万余に対し島を守備していた2700弱の
 将校が抗戦援軍の見込みもないまま17日間に及んだ戦闘で守備隊は玉砕」とあります。
 更に次のように続いています。

「アッツ島にいた守備隊は、司令官の山崎保代大佐以下2638名。備蓄していた武器弾薬は
 多くなく、食料も少なかった。翌日から米軍の本格的な攻撃が開始された。
 日本も構築した陣から機関銃や小銃で迎撃するが、銃座の位置が露見すると
 米軍の野砲や艦砲、艦載機の機銃などにより、次々と撃破される。
 守備隊は戦線を縮小しながら高地に籠り、寡兵ながら激しい抵抗を見せた。

 苦しい戦いが続く中、山崎大佐は大本営に武器弾薬・食料の輸送と部隊の増援を
 何度も求めた。
 大本営は・・・救援作戦を企図した。しかし、輸送作戦に採算が持てず、21日には作戦を
 中止してしまう。アッツ島は見捨てられてしまったのだ。
 その決定がなされた日、それまで頑健な抵抗を保持していた陣地も抜かれてしまう。
 残存兵力は半数以下まで落ち込み、武器弾薬・食料は欠乏状態に。

 大本営は山崎大佐に対し、
 『最後にいたらば潔く玉砕し、皇国軍人精神の成果を発揮することを望む』と指示。
 この命令を受けアッツ島では、負傷兵の多くが自決したという。
 29日、山崎大佐は、負傷しながらも生存していた300余名を率いて
 最後の突撃を敢行した。
 決死の覚悟の突撃で米師団司令部に肉薄したが、猛反撃を受けて玉砕してしまった。

 アメリカ軍の侵攻に応じて死守命令を受けて玉砕した島は、マキン、タラワ、クェゼリン、
 ルオット、アッツ、サイパン、テニアン、グアム、ペリリュー島、アンガウル、硫黄島、
 沖縄の12ヶ所といわれている。しかし実際に総員絶滅した島は数多く、
 実態さえ明らかになっていない島もある」(引用ここまで)

2015年4月、約1万700名が玉砕したパラオ共和国・ペリリュー島の慰霊碑
「西太平洋戦没者の碑」に、天皇、皇后両陛下が訪問される予定という。
為政者はこのことの意味を、深く考えて欲しいと思います。


コメント
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