今村昌平企画、原一男監督のドキュメンタリー『ゆきゆきて、神軍』を
観た時には、「観たからには、見なかったことにはもう出来ない」と思いました。
2014年7月13日のブログ
↓
http://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/3fb81ff54338b7e73d62e2c3746139da
辺見庸著『1★9★3★7 (イクミナ)』は、「読んだからには、
知らなかったことにはもう出来ない」という思いです。
↓
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309247526/
私にとって戦争の記憶とは、酔った時に父が話す軍隊での辛い体験であり、
ベトナム戦争を扱ったアメリカ映画であり、小さい頃に成田山参道で見かけた
白衣を着てつくばいになった傷痍軍人です。それ以上でも、それ以下でもありません。
それほど戦争に対しては無知に生きてきました。
父はお坊ちゃん育ちで気が弱く、戦地では人並みには動けなかったようです。
そのため隊では一番殴られていた、と亡くなってから戦友の方に聞きました。
またアミーバ赤痢に罹っていたこともあり、父が戦地で人を殺すことなど
考えたこともありませんでした。酔って何の屈託もなく、
戦地での体験を話していたのですから・・・。
その体験とは、中国ではおしっこが凍る程の寒さだったとか、眠いのに起床ラッパで
起こされたとか、冷たい川の水で洗濯をして手が凍ったとか、上官に殴られたとか、
そういった類の話でした。
30代、40代の私は忙し過ぎて、父の話が始まると逃げていたものです。
50代、60代になっていたら、もっと父の話に耳を傾けることが出来たのではと
悔やまれます。
『1★9★3★7 (イクミナ)』は、私が知らないことばかりでした。
読んでいて苦しい時もありました。人間は嫌な記憶ほど忘れたがるものです。
心に引っかかったものを残して置こう――その思いで、本の一部を引用させて頂きます。
(1)(浜田知明作品集『取引・軍隊・戦場』現代美術社)
最近、
赦免されて刑務所の門を出る
一部戦犯者たちの
誇らかな顔と
不謹慎な言葉には
激しい憤りを覚えずにはいられません。
再軍備の声は巷に高く
その眼から怪しげな光芒を放つ亡霊は、
今や
黒く淀んだ海面から浮び上がりつつ
あります
「日本に於いては/ 日本人による/ 戦争責任者の裁判は/ 行われませんでした」。
(2)この年(1937年)には、なによりも日中戦争の発端となる盧溝橋事件が
勃発し、それまで経験したことのない規模で人間とモノと「精神」を
上から下までやみくもに総動員する「国家総力戦」のはじまりとなった。
国家総力戦の精神的な支柱は「挙国一致」である。挙国一致とはなんだろうか。
大辞林にはその語義として「国全体が一つの目的に向かって同一の態度をとること」
と、……盧溝橋事件の翌月にあたる1937年8月、近衛内閣は
「国民精神総動員実施要綱」というのを閣議決定する。
国家権力が「精神」をとなえ、「動員」をよびかけ、それらのことをかってに
「閣議決定」するくらい怪しいうごきはない。
だが、歴史の 実 (傍点が付けられず
太字にしました)時間にあって、果たして、どれだけのひとがこれを
まがうかたない危機と感じえたか。わたしはいぶかる。
抵抗はなきにひとしかったのだ。
(3)学徒出陣のさいにもちいられた行進曲(大日本帝国陸軍の公式行進曲、別名
「抜刀隊」)と自衛隊・防衛大学校の観閲式の行進曲がおなじというのは、
不思議どころかまことに異常ではないか。戦争の反省もなにもあったもの
ではない。あまりといえば無神経ではないのか。
(4)丸山(眞男)が『忠誠と反逆――転形期日本の精神史的位相』のなかの論文
「歴史意識の『古層』」であげていたニッポン人の歴史意識の古層を形成する
特徴的ことばは、「つぎ」「なる」「いきほひ」の三つであった。・・・
三つの原基的な範疇を抽出すれば、「つぎつぎになりゆくいきほひ」
なのだという。これは、わたしに言わせれば、主体と責任の所在を欠いた、
状況への無限の適応方法をうちにもつ、丸山に言わせれば「オプティミズム」の
歴史観だという。・・・
ただ、ニッポンの昭和十年代の、「狂熱」としか名状のしようのない、
およそ論理的一貫性というもののない、熱に浮かされ、地に足がつかぬまま、
命じられるままに大挙集合し、つきすすみ、あばれまくる様は
「つぎつぎになりゆくいきほひ」そのものではないかとおもわれる。
また、いま平和憲法をかなぐりすてるとおなじ瞠目(どうもく)すべき歴史的
大転換点にありながら、このクニで土台がゆらぐほどの抵抗も悲嘆もないのは、
歴史が、わたし(たち)という人間主体がかかわって新たに生まれたり
変革されたりすべきものではなく、自然災害のように「つぎつぎになりゆく
いきほひ」として、わたし(たち)の意思とはなんのかんけいもなく、
どうしようもなく外在するうごきとしてとらえられているからでは
ないのか……そううたがわざるをえない。
(5)1937年のような実時間に、自分がどうふるまい、なにをかたり、
なにをかたらないで生きることができるのか。つきるところこれだけが
本書のテーマなのである。すべてを時代のせいにすることはできないのだ。
「どうも昭和の日本人は、とくに、十年代の日本人は、世界そして日本の
動きがシカと見えていなかったのじゃないか。そう思わざるをえない。
つまり時代の渦中にいる人間というものは、まったく時代の実像を理解
できないのではないか、という嘆きでもあるのです。
とくに一市民としては、疾風怒濤(しっぷうどとう)の時代にあっては、
現実に適応して一所懸命に生きていくだけで、国家が戦争へ戦争へと
坂道を転げ落ちているなんて、ほとんどの人は思ってもいなかった」。
『昭和史1926-1945』(平凡社ライブラリー)に、こう書いたのは、
半藤一利(はんどうかずとし)さんである。
「これは何もあの時代にかぎらないのかもしれません。今だってそう
なんじゃないか。なるほど、新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、
われわれは日本の現在をきちんと把握(はあく)している、
国家が今や猛烈(もうれつ)な力とスピードによって変わろうとしている
ことをリアルタイムで実感している、とそう思っている。
でも、それはそうと思い込んでいるだけで、実は何もわかっていない、
何も見えていないのではないですか。時代の裏側には、何かもっと
恐ろしげな大きなものが動いている、が、今は『見れども見えず』で、
あと数十年もしたら、それがはっきりする。歴史とはそういう
不気味さを秘めている」と言う。
(6)この小説(堀田善衛著『時間』)のもつ、なにものにもとらわれない、
自由奔放とさえおもわれる、非ニッポン的な「個の目」にひきつけられるのだ。
そして、小説の後段にでてくる「幾十百万の難民と死者たちをどうして
くれるつもりか。
日軍(辺見注=日本軍)の手になる南京暴行を、人間の、あるいは戦争による
残虐性一般のなかに解消されてはたまったものではない」という
主人公の心情吐露が、できごとの加害と被害のかんけいをとびこえて、
わたしにも「たまったものではない」というおもいをかきたてるのである。
にしても、時間とは、じつにおもいはかることのできないものだ。
(7)「君が代」はむしろ、「桃太郎」や「一列談判」の基底部にながれている
ニッポンどくとくの「執拗な持続低音」なのであり、わたし個人の第六感で
言えば、それらは想像の共同体をたちあげ、しばしば非ニッポンジンへの
「いわれのない暴力」と差別とをそびきだしてきた曲であり、歌詞である。
それらは、子どもらにさいしょの「われら」=「最強・永遠の共同体」を
想像させ、さいしょの「他者」=「鬼、鬼が島、醜いもの、みっともないもの」
の存在をイメージさせるだろう。前者には「死んでも尽く」し、
後者には敵対し、さげすみ、ときには容赦ない「征伐」の対象とすることを、
おしえるともなくおしえる。
②につづく
観た時には、「観たからには、見なかったことにはもう出来ない」と思いました。
2014年7月13日のブログ
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http://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/3fb81ff54338b7e73d62e2c3746139da
辺見庸著『1★9★3★7 (イクミナ)』は、「読んだからには、
知らなかったことにはもう出来ない」という思いです。
↓
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309247526/
私にとって戦争の記憶とは、酔った時に父が話す軍隊での辛い体験であり、
ベトナム戦争を扱ったアメリカ映画であり、小さい頃に成田山参道で見かけた
白衣を着てつくばいになった傷痍軍人です。それ以上でも、それ以下でもありません。
それほど戦争に対しては無知に生きてきました。
父はお坊ちゃん育ちで気が弱く、戦地では人並みには動けなかったようです。
そのため隊では一番殴られていた、と亡くなってから戦友の方に聞きました。
またアミーバ赤痢に罹っていたこともあり、父が戦地で人を殺すことなど
考えたこともありませんでした。酔って何の屈託もなく、
戦地での体験を話していたのですから・・・。
その体験とは、中国ではおしっこが凍る程の寒さだったとか、眠いのに起床ラッパで
起こされたとか、冷たい川の水で洗濯をして手が凍ったとか、上官に殴られたとか、
そういった類の話でした。
30代、40代の私は忙し過ぎて、父の話が始まると逃げていたものです。
50代、60代になっていたら、もっと父の話に耳を傾けることが出来たのではと
悔やまれます。
『1★9★3★7 (イクミナ)』は、私が知らないことばかりでした。
読んでいて苦しい時もありました。人間は嫌な記憶ほど忘れたがるものです。
心に引っかかったものを残して置こう――その思いで、本の一部を引用させて頂きます。
(1)(浜田知明作品集『取引・軍隊・戦場』現代美術社)
最近、
赦免されて刑務所の門を出る
一部戦犯者たちの
誇らかな顔と
不謹慎な言葉には
激しい憤りを覚えずにはいられません。
再軍備の声は巷に高く
その眼から怪しげな光芒を放つ亡霊は、
今や
黒く淀んだ海面から浮び上がりつつ
あります
「日本に於いては/ 日本人による/ 戦争責任者の裁判は/ 行われませんでした」。
(2)この年(1937年)には、なによりも日中戦争の発端となる盧溝橋事件が
勃発し、それまで経験したことのない規模で人間とモノと「精神」を
上から下までやみくもに総動員する「国家総力戦」のはじまりとなった。
国家総力戦の精神的な支柱は「挙国一致」である。挙国一致とはなんだろうか。
大辞林にはその語義として「国全体が一つの目的に向かって同一の態度をとること」
と、……盧溝橋事件の翌月にあたる1937年8月、近衛内閣は
「国民精神総動員実施要綱」というのを閣議決定する。
国家権力が「精神」をとなえ、「動員」をよびかけ、それらのことをかってに
「閣議決定」するくらい怪しいうごきはない。
だが、歴史の 実 (傍点が付けられず
太字にしました)時間にあって、果たして、どれだけのひとがこれを
まがうかたない危機と感じえたか。わたしはいぶかる。
抵抗はなきにひとしかったのだ。
(3)学徒出陣のさいにもちいられた行進曲(大日本帝国陸軍の公式行進曲、別名
「抜刀隊」)と自衛隊・防衛大学校の観閲式の行進曲がおなじというのは、
不思議どころかまことに異常ではないか。戦争の反省もなにもあったもの
ではない。あまりといえば無神経ではないのか。
(4)丸山(眞男)が『忠誠と反逆――転形期日本の精神史的位相』のなかの論文
「歴史意識の『古層』」であげていたニッポン人の歴史意識の古層を形成する
特徴的ことばは、「つぎ」「なる」「いきほひ」の三つであった。・・・
三つの原基的な範疇を抽出すれば、「つぎつぎになりゆくいきほひ」
なのだという。これは、わたしに言わせれば、主体と責任の所在を欠いた、
状況への無限の適応方法をうちにもつ、丸山に言わせれば「オプティミズム」の
歴史観だという。・・・
ただ、ニッポンの昭和十年代の、「狂熱」としか名状のしようのない、
およそ論理的一貫性というもののない、熱に浮かされ、地に足がつかぬまま、
命じられるままに大挙集合し、つきすすみ、あばれまくる様は
「つぎつぎになりゆくいきほひ」そのものではないかとおもわれる。
また、いま平和憲法をかなぐりすてるとおなじ瞠目(どうもく)すべき歴史的
大転換点にありながら、このクニで土台がゆらぐほどの抵抗も悲嘆もないのは、
歴史が、わたし(たち)という人間主体がかかわって新たに生まれたり
変革されたりすべきものではなく、自然災害のように「つぎつぎになりゆく
いきほひ」として、わたし(たち)の意思とはなんのかんけいもなく、
どうしようもなく外在するうごきとしてとらえられているからでは
ないのか……そううたがわざるをえない。
(5)1937年のような実時間に、自分がどうふるまい、なにをかたり、
なにをかたらないで生きることができるのか。つきるところこれだけが
本書のテーマなのである。すべてを時代のせいにすることはできないのだ。
「どうも昭和の日本人は、とくに、十年代の日本人は、世界そして日本の
動きがシカと見えていなかったのじゃないか。そう思わざるをえない。
つまり時代の渦中にいる人間というものは、まったく時代の実像を理解
できないのではないか、という嘆きでもあるのです。
とくに一市民としては、疾風怒濤(しっぷうどとう)の時代にあっては、
現実に適応して一所懸命に生きていくだけで、国家が戦争へ戦争へと
坂道を転げ落ちているなんて、ほとんどの人は思ってもいなかった」。
『昭和史1926-1945』(平凡社ライブラリー)に、こう書いたのは、
半藤一利(はんどうかずとし)さんである。
「これは何もあの時代にかぎらないのかもしれません。今だってそう
なんじゃないか。なるほど、新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、
われわれは日本の現在をきちんと把握(はあく)している、
国家が今や猛烈(もうれつ)な力とスピードによって変わろうとしている
ことをリアルタイムで実感している、とそう思っている。
でも、それはそうと思い込んでいるだけで、実は何もわかっていない、
何も見えていないのではないですか。時代の裏側には、何かもっと
恐ろしげな大きなものが動いている、が、今は『見れども見えず』で、
あと数十年もしたら、それがはっきりする。歴史とはそういう
不気味さを秘めている」と言う。
(6)この小説(堀田善衛著『時間』)のもつ、なにものにもとらわれない、
自由奔放とさえおもわれる、非ニッポン的な「個の目」にひきつけられるのだ。
そして、小説の後段にでてくる「幾十百万の難民と死者たちをどうして
くれるつもりか。
日軍(辺見注=日本軍)の手になる南京暴行を、人間の、あるいは戦争による
残虐性一般のなかに解消されてはたまったものではない」という
主人公の心情吐露が、できごとの加害と被害のかんけいをとびこえて、
わたしにも「たまったものではない」というおもいをかきたてるのである。
にしても、時間とは、じつにおもいはかることのできないものだ。
(7)「君が代」はむしろ、「桃太郎」や「一列談判」の基底部にながれている
ニッポンどくとくの「執拗な持続低音」なのであり、わたし個人の第六感で
言えば、それらは想像の共同体をたちあげ、しばしば非ニッポンジンへの
「いわれのない暴力」と差別とをそびきだしてきた曲であり、歌詞である。
それらは、子どもらにさいしょの「われら」=「最強・永遠の共同体」を
想像させ、さいしょの「他者」=「鬼、鬼が島、醜いもの、みっともないもの」
の存在をイメージさせるだろう。前者には「死んでも尽く」し、
後者には敵対し、さげすみ、ときには容赦ない「征伐」の対象とすることを、
おしえるともなくおしえる。
②につづく