※お昼のワイドショーを観ると、どのチャンネルも豊洲問題一色である。
これは都知事選の時も、舛添問題の時も、何度も何度も繰り返されてきたことだ。
参院選は、都知事選報道に埋没してしまった感さえある。
「甘利問題」はなぜ、さほど追求も報道もされなかったのか?
豊洲問題は国民の食の安全に係わることで、大切なことは確かだ。
だが(語弊があるかもしれないが)、あくまでも「豊洲問題」、「舛添問題」、
「都知事選」は、東京都の問題である。
こうした報道の裏で、今、国民にとって大切なことが隠されてしまっては
いないだろうか?
たとえば、「もんじゅの廃炉」や「福島第一原発を含む全原発の廃炉費用の新たな国民負担」
などは、私たちの生活に密接に関わる問題のはずだ。
こうしたことが充分に報道されているだろうか?
どうも、誰もが認める身近な敵(?)を追い詰めていくことで、一定の視聴率を上げることが
できる、とテレビ局は思っているのではないだろうか?
それとも、お昼のワイドショーを観るような主婦たちには、原発のことなど解からないと
高をくくっているのだろうか?
これは一番あり得ることだと思うが、原発問題を取り上げることで、政権やスポンサーから
批判されることを怖れているのではないだろうか?
メディアで働く人といえども、生活がかかっているのは分りますが、
あまりにもひどいのではないかと、私は考えます。
今の日本をおおってる空気が、太平洋戦争前のそれに似ていると、
多くの人たちが訴えています。
加藤周一著『羊の歌ーわが回想ー』の中に、当時の空気について書いているので
引用させて頂きます。
「しかし駒場の学生と東京の文士論客との間には、決定的なちがいもなかったわけではない。
私たちは文筆を業とはしていなかった。ものを書くことによって妻子を養う必要はなく、
むしろ逆に親から養われて、生活とは別に、学問や文芸を考え、みずから好むところへ
赴くのに、何の障害も感じていなかった。
学問や文芸や思想の商品化が何を意味するのかを、私たちは、自分自身の経験としては、
全く知らなかった。文章の商品化、商業的な新聞や雑誌を通じての大衆との接触、
従って政治権力の介入、同時に新聞雑誌の自己検閲とそれに伴う大衆の嗜好の変化、
その大衆の変化への新聞雑誌の側からの適応、その全体を包む時代の流行に従わないことに
よって文筆業者が感じるであろう生活上の脅威、またそれに従うことによって感じるだろう
自己の立場の正当化の必要……そういうことのすべてを私たちは知らなかったから、
私たちには、時代と共に流されてゆく文士論客の節操の無さと、それを正当化しようとする
彼らの理くつのつじつまの合わなさ加減だけが、めだってみえた。
私たちは抽象的で無慈悲な批判者であった」
1930年代の末に、学生たちは横光利一を招いて論争する。この論争は過激で読み応えが
あります。そして、次の言葉が続きます。
「――しかしその頃の私たちは、横光氏に対してよりも時代に対して、
私たち自身をまもるために精いっぱいだった。無名の学生が、
あれほど高名な「大家」に、何らかの痛手をあたえ得るだろうとは、
想像もしていなかったのである。痛手をあたえることができたとすれば、
それは相手が痛手をあたえる必要のない人間だったからであろう。……
痛手をあたえる必要のある人間に痛手をあたえることは、私たちにはできなかった。
横光利一氏は駒場に招かれた客であった。
ヒトラー・ユーゲントの一隊は、招かれざる客であった。
私たちはみずから招いた客と激論したが、招かれざる客には白眼を以て応じ、
相手にもしなかった。
彼らは制服を着て、隊伍を整え、足なみをそろえて、駒場の正面にやってきた。
まだ童顔の少年たちで、少しかたくなり、人形のように無表情であった。
たまたまその場に居合わせた数人の学生が、たち止まって、煙草をふかしながら
彼らが通るのを見物した。ちょっと振り向いただけで、そのまま、
すれちがいに門を出てゆくものもあった。
私たちは彼らとの係わりを拒絶していた。
そしてまだ、私たち自身の仲間が銃を握って本郷の大学の正門を出てゆく時がくるだろう
ということを、予想してはいなかった。 (引用ここまで)
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/5/4150960.html
(85)「『避難者は困窮している』 脱原発集会で訴え 9月23日 東京新聞」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201609/CK2016092302000134.html
↓
(画像はお借りしました)
(86)「『核燃料サイクル中止』言及 河野氏、国民負担増を懸念 9月23日 東京新聞」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201609/CK2016092302000272.html
(87)「福島第一原発 汚染地下水が大雨で急増 流出防止作業、廃炉の足かせ
9月23日 東京新聞」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201609/CK2016092302000135.html
(88)「高濃度セシウム 福島第1周辺のダム底に堆積 9月25日 毎日新聞」
http://mainichi.jp/articles/20160925/k00/00m/040/101000c
(89)「価格は米国内の3倍!オスプレイでボッタクられる安倍政権
9月21日 日刊ゲンダイ DIGITAL」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/190279/1
(90)「最新鋭ステルス機F35、空自配備1号機を米で初公開
9月24日 朝日新聞デジタル (動画あり)」
※是非、ご覧ください! 新車発表会の上をゆく、まさに軍事ビジネスです!
http://www.asahi.com/articles/ASJ9S1QJ4J9SUHBI001.html
● 1機180億円で42機お買い上げ 7560億円也 ! ああ!!!!!
「豊洲問題」で、目くらましにあっている場合ではない!
(画像はお借りしました)
これは都知事選の時も、舛添問題の時も、何度も何度も繰り返されてきたことだ。
参院選は、都知事選報道に埋没してしまった感さえある。
「甘利問題」はなぜ、さほど追求も報道もされなかったのか?
豊洲問題は国民の食の安全に係わることで、大切なことは確かだ。
だが(語弊があるかもしれないが)、あくまでも「豊洲問題」、「舛添問題」、
「都知事選」は、東京都の問題である。
こうした報道の裏で、今、国民にとって大切なことが隠されてしまっては
いないだろうか?
たとえば、「もんじゅの廃炉」や「福島第一原発を含む全原発の廃炉費用の新たな国民負担」
などは、私たちの生活に密接に関わる問題のはずだ。
こうしたことが充分に報道されているだろうか?
どうも、誰もが認める身近な敵(?)を追い詰めていくことで、一定の視聴率を上げることが
できる、とテレビ局は思っているのではないだろうか?
それとも、お昼のワイドショーを観るような主婦たちには、原発のことなど解からないと
高をくくっているのだろうか?
これは一番あり得ることだと思うが、原発問題を取り上げることで、政権やスポンサーから
批判されることを怖れているのではないだろうか?
メディアで働く人といえども、生活がかかっているのは分りますが、
あまりにもひどいのではないかと、私は考えます。
今の日本をおおってる空気が、太平洋戦争前のそれに似ていると、
多くの人たちが訴えています。
加藤周一著『羊の歌ーわが回想ー』の中に、当時の空気について書いているので
引用させて頂きます。
「しかし駒場の学生と東京の文士論客との間には、決定的なちがいもなかったわけではない。
私たちは文筆を業とはしていなかった。ものを書くことによって妻子を養う必要はなく、
むしろ逆に親から養われて、生活とは別に、学問や文芸を考え、みずから好むところへ
赴くのに、何の障害も感じていなかった。
学問や文芸や思想の商品化が何を意味するのかを、私たちは、自分自身の経験としては、
全く知らなかった。文章の商品化、商業的な新聞や雑誌を通じての大衆との接触、
従って政治権力の介入、同時に新聞雑誌の自己検閲とそれに伴う大衆の嗜好の変化、
その大衆の変化への新聞雑誌の側からの適応、その全体を包む時代の流行に従わないことに
よって文筆業者が感じるであろう生活上の脅威、またそれに従うことによって感じるだろう
自己の立場の正当化の必要……そういうことのすべてを私たちは知らなかったから、
私たちには、時代と共に流されてゆく文士論客の節操の無さと、それを正当化しようとする
彼らの理くつのつじつまの合わなさ加減だけが、めだってみえた。
私たちは抽象的で無慈悲な批判者であった」
1930年代の末に、学生たちは横光利一を招いて論争する。この論争は過激で読み応えが
あります。そして、次の言葉が続きます。
「――しかしその頃の私たちは、横光氏に対してよりも時代に対して、
私たち自身をまもるために精いっぱいだった。無名の学生が、
あれほど高名な「大家」に、何らかの痛手をあたえ得るだろうとは、
想像もしていなかったのである。痛手をあたえることができたとすれば、
それは相手が痛手をあたえる必要のない人間だったからであろう。……
痛手をあたえる必要のある人間に痛手をあたえることは、私たちにはできなかった。
横光利一氏は駒場に招かれた客であった。
ヒトラー・ユーゲントの一隊は、招かれざる客であった。
私たちはみずから招いた客と激論したが、招かれざる客には白眼を以て応じ、
相手にもしなかった。
彼らは制服を着て、隊伍を整え、足なみをそろえて、駒場の正面にやってきた。
まだ童顔の少年たちで、少しかたくなり、人形のように無表情であった。
たまたまその場に居合わせた数人の学生が、たち止まって、煙草をふかしながら
彼らが通るのを見物した。ちょっと振り向いただけで、そのまま、
すれちがいに門を出てゆくものもあった。
私たちは彼らとの係わりを拒絶していた。
そしてまだ、私たち自身の仲間が銃を握って本郷の大学の正門を出てゆく時がくるだろう
ということを、予想してはいなかった。 (引用ここまで)
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/5/4150960.html
(85)「『避難者は困窮している』 脱原発集会で訴え 9月23日 東京新聞」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201609/CK2016092302000134.html
↓
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(86)「『核燃料サイクル中止』言及 河野氏、国民負担増を懸念 9月23日 東京新聞」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201609/CK2016092302000272.html
(87)「福島第一原発 汚染地下水が大雨で急増 流出防止作業、廃炉の足かせ
9月23日 東京新聞」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201609/CK2016092302000135.html
(88)「高濃度セシウム 福島第1周辺のダム底に堆積 9月25日 毎日新聞」
http://mainichi.jp/articles/20160925/k00/00m/040/101000c
(89)「価格は米国内の3倍!オスプレイでボッタクられる安倍政権
9月21日 日刊ゲンダイ DIGITAL」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/190279/1
(90)「最新鋭ステルス機F35、空自配備1号機を米で初公開
9月24日 朝日新聞デジタル (動画あり)」
※是非、ご覧ください! 新車発表会の上をゆく、まさに軍事ビジネスです!
http://www.asahi.com/articles/ASJ9S1QJ4J9SUHBI001.html
● 1機180億円で42機お買い上げ 7560億円也 ! ああ!!!!!
「豊洲問題」で、目くらましにあっている場合ではない!
(画像はお借りしました)