「100分de名著」、石牟礼道子『苦海浄土』を100分観て、 どんな感想を書こうと、
「違う」気がしています。
石牟礼さんの言葉に何度も泣き、何度も胸をえぐられ、何度も心が浄化されました。
この本はたんなるルポルタージュではなく、人間とは、人間が生きるとは、
許しとは、などを 私たちに問いかける文学であり、哲学であり、人間の歴史であり
宗教のような気がします。
最後の回で、石牟礼さんは杉本栄子さんの言葉を紹介していますので、引用させて頂きます
「道子さん、私たちは許すことにした 全部許す 日本という国も許す
チッソという会社も許す いろいろ差別した人も許す
許さんば、きつうしてたまらん」
この言葉に、石牟礼さんはこうおっしゃいます。
「『みんなの代わりに私たちは病んでいる それで許す』 そうおっしゃって
それで私たちは許されているんですよ
代わりに病んでいる人たちから 許されて生きている 罪なことですね」
そして耐えがたい苦しみを与えた水俣病を、
「のさり(海のめぐみ)」と表現するようになります。
「のさり」とは、天から授かるものという意味だそうです。
うれしいことも 「のさり」 苦しいことも悲しいことも 「のさり」
「それもまた のさりぞ」 「苦しみの中にこそ 探しているものがある」
(引用ここまで)
私は「許す、赦す」ということが出来ません。 今も憎しみを引きずって生きています。
いやむしろ、齢とともに増してゆくように感じます。
「許す」と「のさり」、私にはとても重い言葉です。
これは私感ですが、「100分で名著」を観はじめた時には、
伊集院光さんのデカイ声が、正直、耳障りでした。
でも伊集院さんが本気で本と向き合う姿を観ているうちに その声が心地よくなりました。
最高のナビゲーターだと思います。これからも応援しています。
最後に伊集院さんが言っていたように、この本を読むのはエネルギーが要ります。
私は結局、一年かかってしまいました。
2014年7月9日の私のブログ、「苦海浄土 わが水俣病」
↓
http://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/a936dc6ec37143be023b5bc88a01aa88
※2018年2月10日、石牟礼道子さんがお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りいたします。 (2018年2月10日 記)
①「石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説『苦海浄土』 2月10日 朝日新聞デジタル」
https://www.asahi.com/articles/ASL283RBWL28TIPE007.html?ref=flashmail
①-2「押し出された者と交わった魂 石牟礼さん追悼・池澤夏樹
2月10日 朝日新聞デジタル(動画あり)」
https://digital.asahi.com/articles/ASL2B41DTL2BUCVL004.html?_requesturl=articles%2FASL2B41DTL2BUCVL004.html&rm=222
②「『日本の宝失った』皇后さま弔問、石牟礼道子さん送る会 4月15日 朝日新聞デジタル」
https://www.asahi.com/articles/ASL4D5KJZL4DTIPE02V.html
※テレビのニュースで「石牟礼道子さんを送る会」を放送していた。
緒方正人さんや若松英輔さんのお顔もあった。
生協の小冊子『生活と自治』4月号の辺見庸さんの「新・反時代のパンセ」に
石牟礼さんと美智子さんとのことが書かれていたので引用させて頂きます。
「でもねぇ……」という石牟礼さんの言葉を、何度も思い出している。
「後ろ姿のまま、語調を変えるわけでもなく、ふいに皇后の話をしてくれた。
美智子さんが水俣問題につよい関心をいだいており、石牟礼さんからじかに
話を聞きたがっている、と。
そのあとは球磨焼酎ものせられた食卓で話した。
かのじょは目をほそめ羞じらうように笑い、つづけた。
美智子さんは問題意識が深いし、きらう理由はなにもない。
むしろ、すきなかたですよ……といった前書きであった。
それから息を吸い、『でもねぇ……』とつないだ。
その『でもねぇ……』がいまでも忘れられない」 (引用ここまで)
(2018年4月16日 記)
「違う」気がしています。
石牟礼さんの言葉に何度も泣き、何度も胸をえぐられ、何度も心が浄化されました。
この本はたんなるルポルタージュではなく、人間とは、人間が生きるとは、
許しとは、などを 私たちに問いかける文学であり、哲学であり、人間の歴史であり
宗教のような気がします。
最後の回で、石牟礼さんは杉本栄子さんの言葉を紹介していますので、引用させて頂きます
「道子さん、私たちは許すことにした 全部許す 日本という国も許す
チッソという会社も許す いろいろ差別した人も許す
許さんば、きつうしてたまらん」
この言葉に、石牟礼さんはこうおっしゃいます。
「『みんなの代わりに私たちは病んでいる それで許す』 そうおっしゃって
それで私たちは許されているんですよ
代わりに病んでいる人たちから 許されて生きている 罪なことですね」
そして耐えがたい苦しみを与えた水俣病を、
「のさり(海のめぐみ)」と表現するようになります。
「のさり」とは、天から授かるものという意味だそうです。
うれしいことも 「のさり」 苦しいことも悲しいことも 「のさり」
「それもまた のさりぞ」 「苦しみの中にこそ 探しているものがある」
(引用ここまで)
私は「許す、赦す」ということが出来ません。 今も憎しみを引きずって生きています。
いやむしろ、齢とともに増してゆくように感じます。
「許す」と「のさり」、私にはとても重い言葉です。
これは私感ですが、「100分で名著」を観はじめた時には、
伊集院光さんのデカイ声が、正直、耳障りでした。
でも伊集院さんが本気で本と向き合う姿を観ているうちに その声が心地よくなりました。
最高のナビゲーターだと思います。これからも応援しています。
最後に伊集院さんが言っていたように、この本を読むのはエネルギーが要ります。
私は結局、一年かかってしまいました。
2014年7月9日の私のブログ、「苦海浄土 わが水俣病」
↓
http://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/a936dc6ec37143be023b5bc88a01aa88
※2018年2月10日、石牟礼道子さんがお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りいたします。 (2018年2月10日 記)
①「石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説『苦海浄土』 2月10日 朝日新聞デジタル」
https://www.asahi.com/articles/ASL283RBWL28TIPE007.html?ref=flashmail
①-2「押し出された者と交わった魂 石牟礼さん追悼・池澤夏樹
2月10日 朝日新聞デジタル(動画あり)」
https://digital.asahi.com/articles/ASL2B41DTL2BUCVL004.html?_requesturl=articles%2FASL2B41DTL2BUCVL004.html&rm=222
②「『日本の宝失った』皇后さま弔問、石牟礼道子さん送る会 4月15日 朝日新聞デジタル」
https://www.asahi.com/articles/ASL4D5KJZL4DTIPE02V.html
※テレビのニュースで「石牟礼道子さんを送る会」を放送していた。
緒方正人さんや若松英輔さんのお顔もあった。
生協の小冊子『生活と自治』4月号の辺見庸さんの「新・反時代のパンセ」に
石牟礼さんと美智子さんとのことが書かれていたので引用させて頂きます。
「でもねぇ……」という石牟礼さんの言葉を、何度も思い出している。
「後ろ姿のまま、語調を変えるわけでもなく、ふいに皇后の話をしてくれた。
美智子さんが水俣問題につよい関心をいだいており、石牟礼さんからじかに
話を聞きたがっている、と。
そのあとは球磨焼酎ものせられた食卓で話した。
かのじょは目をほそめ羞じらうように笑い、つづけた。
美智子さんは問題意識が深いし、きらう理由はなにもない。
むしろ、すきなかたですよ……といった前書きであった。
それから息を吸い、『でもねぇ……』とつないだ。
その『でもねぇ……』がいまでも忘れられない」 (引用ここまで)
(2018年4月16日 記)