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ゴーマニズム宣言 新戦争論 1―(2)

2015-08-31 05:45:53 | ⑤エッセーと物語
(1のつづき)

(3)ベトナム戦争の原因になった「トンキン湾事件」だって、アメリカの自作自演だった。
   そうまでして侵略戦争をやっておいて、泥沼になって敗退したのだ。
   1971年6月「ニューヨークタイムズ」が「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手。
   ベトナム戦争のきっかけとなった「トンキン湾事件」はアメリカが侵略戦争の
   口実をでっち上げるための陰謀だったと判明した!

   1964年8月、北ベトナム沖のトンキン湾で、北ベトナム軍の哨戒艇が
   アメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射したという事件が捏造され、
   アメリカはこれを口実に北爆を開始したのだ。
   アメリカは枯葉剤を空中から撒(ま)いて、森林を破壊し、地上を丸裸にして、
   ベトコンを殺戮(さつりく)しようとした。
   枯葉剤には猛毒のダイオキシンが含まれ、奇形児や障害児が生まれた。

   ソンミ村では、米軍による民間人の虐殺も行われた。
   この事件は「ゲリラ部隊との戦い」という虚偽の報告がされていたが、
   ジャーナリストらの働きによって、米軍による老人・妊婦・乳幼児・子供など
   無抵抗な村民を無差別に殺戮する大虐殺だったことが判明した。

   ベトナムを攻撃する米軍は、沖縄の米軍基地から発進していたわけで、
   間接的に日本は協力していたということも認識しておかなければならない。

   1975年4月、北による南ベトナムのサイゴン陥落によって
   この戦争は終結した。翌年、南北ベトナムは統一した。
   
   戦争となるとナショナリズムが一気に盛り上がるが、
   戦争中に反戦運動が盛り上がるのもアメリカだ。
   戦争が終われば、マスコミも事実を検証し、反戦ムードも高まる。
   日本人のように【お上に依存する】体質ではないから、
   【権力を警戒する】面もアメリカは持っている。

   敗戦後のアメリカでは、映画・演劇などで傑作が続出する。
   ベトナム戦争――『ディア・ハンター』『地獄の黙示録』、『ヘアー』
   『ミス・サイゴン』
   アフガン・イラク戦争――『ハート・ロッカー』『ゼロ・ダーク・サーティ』
   『ローン・サバイバー』
   戦争の影を落とす――『ダーク・ナイト』(バットマン)『アバター』

(4)9月17日――フセイン大統領は国連の要求通り、大量破壊兵器の査察団の受け入れを
   表明した。

   今は中国に恐怖してるが、当時、日本にとっての脅威は北朝鮮だった。
   北朝鮮が恐いからイラク戦争を支持せよと言う「親米ポチ」は多かったのだ。

   9月24日――イギリスの下院において、ブレア首相はこう断言した。
   「イラクは、化学兵器と生物兵器を保有している。イラクのミサイルは
    45分で展開できる」

   10月23日――日米外務・防衛当局の安全保障審議官級会合(ミニSSC)で
   ローレス国防次官補代理が「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」発言。

   11月8日――国連決議1441国連安保理の満場一致で採決。
   その内容は、完全無条件の査察受け入れであって、イラク側から見れば、
   国家の尊厳を踏みにじる、完全な主権侵害だった。

   この間、日本は国連において、まず決議1441号が採決されるよう全力を挙げる。
   次いで米国のイラク攻撃を前提に、これを国連憲章上、正当化すべく、武力行使を明確に
   認める新たな決議を行うよう努力する。
   日本は徹底してアメリカの利益のために行動していたのだ!

   11月13日――フセイン政権、国連決議1441受諾を表明。

   11月――コリン・パウエル米国務長官は述べた。
   「サダム・フセインはガス壊疽(えそ)、ペスト、チフス、コレラ、天然痘など、
    数十種類もの病原菌の研究に着手した」

   12月7日――イラク、国連決議1441に基づく1万3000ページもの
   大量破壊兵器に関する申告書を提出。

   だが今も安倍首相は、
   「大量破壊兵器がないことをフセインが証明しなかったことが悪い」と言っている。

(いつもながら自分勝手な、無茶苦茶な論理だ)

   大量兵器が「ある」と言いがかりをつけた側が、その証拠を
   出さなければならないのに・・・
   アメリカはその責任を果たさなかった!

   2003年1月9日――国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)と国際原子力機関
   (IAEA)から国連安保理へ中間評価報告。
   イラクが国連決議に違反したと疑われるような証拠、痕跡はないという結論だった。

   1月25日――ラムズフェルド国防長官は、
   「独仏は古いヨーロッパであり、新しいヨーロッパに属する国々は
    米国の側についている!」
   なんという傲慢な!
   イラク戦争に反対するドイツとフランスを「古いヨーロッパ」と堂々となじっている。
   ラムズフェルドは「ネオコン」の机上の空論に完全に感化されていた。

   1月27日――査察団最終報告書を発表。
   米国の圧力で中間報告書よりも大きく「クロ」に傾いていたが・・・
   やはり、「決定的な証拠は全くない」との内容だった!

   1月28日――ブッシュ大統領が演説。
   「バグダッドがナイジェリアから核兵器に利用できる酸化ウラニウム500トンを
    買おうとした」
   後で、イギリス諜報機関から入手したこの情報も、嘘であったことが判明した。

   2月5日――イラクが大量破壊兵器を隠し持っていることを示す「新証拠」を
   パウエルが安保理で提示。
   もちろん、そんなものありはしない。

   2月6日――91~98年の元国連大量破壊兵器査察団(UNSCOM)団長、
   スコット・リッターが東大駒場キャンパスで講演。
   リッターの査察団に対して、アメリカ政府は、査察を歪(ゆが)ませる
   様々な介入をしたが、それでも査察団は大量破壊兵器工場の100%、
   兵器の90~95%を確証できる形で、破壊・破棄したと述べた。
   さらにリッターは米政府が査察そのものを否定し、大量破壊兵器の破棄ではなく、
   フセイン体制転覆を狙っていること、
   パウエル報告には、イラクが大量破壊兵器を開発・保有していることを示す
   確たる証拠は何一つ含んでいないことを厳しく批判。

   2月10日――仏独露が査察継続を求める共同宣言。

   2月14日――査察団の再報告。
   武装解除の進展を積極的に評価し、査察の継続と強化を主張。

   2月15日――全世界60カ国400都市1000万人の大規模反戦デモ。
   戦争ありきで突き進むアメリカの危険に異議を唱える人々は、国際社会では多かった。

   3月1日――トルコが国内の米国駐留を拒否する国会決議可決。

   3月6日――ブッシュが単独行動を明言。
   「イラクに対する軍事行動は国連決議に縛られない!」

   3月7日――査察団再追加報告を提出。
   イラク全土での査察が可能で、数カ月査察を継続せよとの内容。

   3月10日――アナン事務総長、警告。
   「安保理の承認がない攻撃は、国際法への侮辱であり国連憲章に合致しない!」
   国連はアメリカの単独行動を戒めようとしていた。
   だが・・・日本は国連よりもアメリカについて行こうとしていた。
   
   シラク仏大統領、拒否権行使を明言。
   フランスは米国の同盟国だったが開戦に反対した。
   その後、米英からの批判や罵倒(ばとう)は熾烈を極めた。
   フランス製品の購入ボイコットも行われた。
   「サダム・フセインの友人」とまで言われ、米有力紙は「米国の敵」とまで書いた。
   それでもフランスはイラク戦争には反対を貫いた。

   3月15日――安保理で決議案が反対多数で否決される見通しとなり
   米国は安保理での採決を避け、【独断で開戦に】踏み切ることを決定。

   3月17日――ブッシュ大統領がイラクに対して、テレビ演説で最後通告。
   「イラク政権が最も恐ろしい兵器を所持し、隠しているのは疑いない!」
   ブッシュは、フセイン一族と主要閣僚の48時間以内の国外退去を命じる。

   3月18日――フセイン大統領、徹底抗戦を宣言。
   侵略者と戦い敵を撃退する。

   3月19日(2003年)――イラク戦争開始!
   米国軍による空襲、「イラクの自由作戦」だ。
   いよいよ妄想に取り憑(つ)かれたアメリカの侵略戦争が始まった。

   小泉首相は即座に表明した。
   「米国の武力行使開始を理解し、支持いたします」

   3月20日――クウェート領内から、地上部隊がイラク領内へ侵攻を開始。
   地上戦が始まる。

   4月7日――アメリカ軍は、バグダッドの宮殿の一つを占拠と発表。

   4月11日――アメリカ政府はフセイン政権が事実上、崩壊したと発表。

   産経新聞編集特別委員、古森義久は産経新聞紙上にて、米軍主導によるイラクの
   新たな国づくりなどにより、「世界の秩序を根本から変えかねない
   新しい歴史の幕を開けた。
   この作戦の目覚ましい成果は軍事面で見る限り、歴史的な大成功」と論評。

   5月1日――ブッシュ大統領が「大規模戦闘終始宣言」。
   アメリカ兵の死者は128人。イラク人死者数・不明。
   これは「戦争」の終結ではない。「戦闘」の終結である。
   戦闘行為は、国をぶっ壊せば終わる場合もある。日本のように。
   だが、主権を持つ新たな国家を作らなければ戦争は終わらない。
   講和条約が結べないからだ。
   占領中に、抵抗する武力闘争が起これば、「戦闘」も開始されるのだ。
  
   まさにイラクはその後、反米勢力による自爆テロが相次いで米兵の死者数は増え続けた。
   スンニ派が排除されて、シーア派が復権する。
   そしてクルド人は北方に自治を強め、イラクは分裂状態になった。
   イスラム原理主義を封じ、テロリストを国に入れなかったフセイン政権が
   崩壊したために、アルカイダの勢力もイラクに侵入し、無法地帯になってしまった。
   
   6月――アーミテージが「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」発言。
   占領を手伝えと日本を誘っている。

   12月13日――イラク中部ダウルでフセイン大統領を拘束。
   
   小泉純一郎首相をはじめ、産経新聞社説、中西輝政、石井英夫、田久保忠衛、
   森本敏など、
   開戦前に、「戦争の目的は大量破壊兵器の廃棄」と言っていたもの全員が、
   「戦争目的はイラクの民主化」とすりかえる。
   「戦争に正義も大義もない」と居直る者まで出る。  (3につづく)

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