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平和公園・爆心地公園(長崎)


お盆前、平和公園に出かけた。昨年も訪ねたが、その時は原爆資料館を見学したため、平和祈念像の前で友人等と記念写真を撮っただけだった。そのため、今年は少し歩いてみた。公園石畳が切れた所で遺構らしきものに目がとまった。上空から見れば放射状にレンガが並ぶ不思議な配置だ。遊歩道の案内板を見てはじめて、ここが刑務所跡地だと分かり一挙に想像がふくらんだ。収監されていた人は・・・・、刑務所の建物は・・・・、原爆の落ちたところは・・・・。平和公園は、原爆当時刑務所だったのだ。一番北に平和祈念像ということになる。遺構のすぐ南隣には平和の泉。それを背景に外国からの訪問者がカメラを構えていた。噴水にはちょうど虹がかかり正面石碑には次のように刻んであった。

のどが渇いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

―あの日のある少女の手記から―


石碑の向こうには平和祈念像が見える。そこを背にすれば、泉の両側とその先の遊歩道には世界各地から贈られた彫像の数々。それらを見ながら爆心地公園まで行ってみることにした。微かな記憶ではメタセコイアの木と爆心地を示す塔が頭に残っていた。平和公園からは長いエスカレーターで下った。降りた所は松山町防空壕群。崖を利用し町民の待避所として作られた横穴式防空壕だったそうだが、爆心地はすぐそこだ。ここでは奇跡的にひとりの少女が助かったというが、被爆後の写真では防空壕前の民家は全壊・全焼している。ここは地獄の中の地獄だったに違いなく、少女が助かったのは奇跡中の奇跡だろう。
横断歩道を渡ると、記憶通りメタセコイアの並木。爆心地公園の入口は緩やかなカーブとスロープ。公園に入れば、左手に爆心地を示す原爆落下中心の碑。この上空500mで原子爆弾が爆発したのだ。まわりにはここが爆心地と分かるようにいくつもの同心円が囲んでいた。傍らにはまた別の石塔。これは原爆で倒壊した浦上天主堂壁の一部を移設したものという。両塔とも、真夏の強い日差しを浴びてあの日を思い起こさせるように建っていた。
公園の脇には小さな川が流れ、階段を川岸へ降りると、原爆当時の地層がそのままに見ることができる設備。溶けたガラスや破砕された瓦、食器、やっとこなど埋まったままだ。目を移せば、川の向こうに平和を求める大きなカラフルな絵が何枚もかけられ、水面に揺らいでいた。整備された川や護岸にまどわされ、その時は気付かなかったが、ここはたくさんの人が水を求めて折り重なったに違いなかった。

少しだけだろうが、「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ」をわが心に刻んだ一日だった。



刑務所跡地の遺構と案内板



平和の泉



平和の泉脇の彫像・モニュメント


松山町防空壕群説明板


原爆落下中心の碑


移設された浦上天主堂壁の一部


ガラスや食器が埋まったままの当時の地層


下の川法面にかかる平和の絵
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