この強烈な暑さのなか、激務となり夜は8時くらいまで、工場にて製作して
暑過ぎるので、次の日の朝4時半から仕事に取り掛かり・・・・・・そんな生活から
やっと抜け出せるようになりました。
なんで、毎年暑いとき、寒い時に忙しくて季節がいいときにはぼちぼちなのだろうか?
多分、みんなそんな風に思っているかも知れないですね。
話変わり、最近思うことに「絵になる」「映える」ということが気になる。
つまり、絵になると言う事は、誰が見ても共感できる状況ではないだろうか。
例えば、黒川温泉などは実に絵になる。
都市部の誰もが、思い描く温泉郷である。
しかし、生活レベルは下げたくない・・・田舎であっても最新の水廻り設備、最新の空調設備
でないとお客様は満足しない。
本来は、田舎なのでそんなことはないはずである。
だが、悲しいかな・・・都市の欲求としてアンバランスな田舎が必要なのである。
「絵になる」ということであれば、「こんなかっこいい家なのに・・・・・」なんて思うことがある。
「絵になる」とはやはりバランス感覚だと思う。
そこには、家としての才能が必要である。(決してデザインではなく)バランス感覚に優れ、無
理をせず、違和感がなく
だらしなく見えず、
デザインではなく、デザインでもある。(後者のデザインとは、住む人のライフスタイルに
よって決まる
車が好きな人は、多分そんなライフステージになり、家も、そんな雰囲気になるだろう
そこで、その人にとって絵になる家となって行くように「家」はデザインされる。
自転車が好きな人、あるいは自転車通勤にあこがれていれば、(エコ的なところも
ある、自動車に飽きた人、自動車に必要性を見出せない人)であればバランス感覚を保とう
とするのでその人にとって、「絵になる家」を目指そうとする。
次に「映える」と言う事である。
昔、まだ図面を手書きで書いていた頃は、事務所の先輩から「映える」図面を書け・・・という
ことを言われた記憶がある。
浮かびあがる図面というか・・・魅せる図面である。
同じ図面でも、「映える」図面と、業務的に書いた図面では魅せるという意味では
まったく違う。
「絵になる」と「映える」なんだか、花がないと駄目なような気がするが、でも
両方とも、人が決める事である。
「絵になる」と映えるは、実に人の心にすんなりと入ってくる。
新しいビジネスモデルも、「絵になる」、「映える」、と人々に思ってもらえれば幸いである。