池上鉄工のブログ

池上鉄工一級建築事務所

2021.1.22

2021-01-22 18:06:08 | うんちく・小ネタ
「無形価値」「有形価値」、僕らの仕事は、昨今、どちらが必要だろうか?

無形は、簡単に言えば、ブランド、歴史・・有形は、技術力、機動力・・・

情報が発達していないのであれば、技術力を重きを置くだろう。

今は、情報は世の中にあふれかえっている。

誰でも、発信できる。

つまり、発信できるというだけではある。

安易な、「できる」が「俺様世代」をふやし、「私、女優よ世代」を育てる。

しかし、彼らは、いつか、「もの足りなさ」という壁に当たる。

「無形価値」「有形価値」双方に同じく、「もの足りなさ」を感じるかも知れない。

技術力だけではだめだ・・・

単なる老舗だけではだめだ・・・

そこに、双方に「もの足りなさ」が発生する。

過去のものに、磨きをかけて、再発見する、もしくは、原点回帰、という手法がとられる。

一時的に、その「もの足りなさ」を埋めることはできる。

その処方箋は、ある意味、どこでもあるし、わかりやすい。

僕は、「同一化価値」というか、目の前のことについて、「一緒に考える」

多分、やりたくないことのひとつでしょう。

無形、有形のどちらかに偏っていれば、当然、「一緒に考える」という行為は、めんどくさくなる

自分に価値を置くからだ。

相手には価値は置かない。

「一緒に考える」ということは、双方に価値を置かなくては成り立たない。

不安がある人と助けようとする人

過去にこだわる人と未来にこだわる人

地元にこだわる人と都会にこだわる人

日本にこだわる人と外国にこだわる人

「価値」がなくなるほどの「価値」がある、そのことが多分「一緒に考える」ということだろう。














2021.1.21

2021-01-21 18:48:36 | うんちく・小ネタ
時代は、過ぎて2021になった。

令和3年。

いろんなことが変わった。

なんと、最初に書いたブログは、今から16年も前のものだった

長男が8歳の頃という計算になる。

そんな、子供も、僕に自分の名刺を渡す歳になった。

僕の親父は、その間に老人ホーム入った。

時代が「通り過ぎる」という感覚になれているはずだったが、「ふと、立ち止まる」には、どうやら、慣れていなかったみたいだ。

「一日を積み重ねる」という、ゆるぎない言葉の厳しさとやさしさを感ずる。

「考える」には、いつも、きっかけがある。

それは、突然に来る

今、「ふと、立ち止まる」と「考える」が、同じタイミングで来ているみたいだ。

「そうだったはず」が、「そうではなかった」という事かもしれない。

だから、不安になり、悩む。

しかしながら、不安も悩みもない人生がたのしいだろうか・・・・

「答えはない」というフレーズを耳にするが、「答えはある」と思う。

「ない」が「ある」が答えかもしれない。

そう考えると、すでに答えはでてることになる。

「行動を起こしたがいい」というフレーズも耳にする。

それは、「ない」が「ある」という点を通り過ぎたときに多分、体が動いている。

「ない」が「ない」ままで、行動を起こすと、また、変な迷いがちらほら見え隠れする。

「ない」という「ある」があれば、きっと、人は、いろんなことに向き合えて、自分を再構築できると思います。