ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

奥山貴宏という人

2005-08-03 | 考えたこと
『パブリディ』という ウェブ・マガジンがある。
http://www.publiday.com/publiday/index.html

こちらに来てくださったこともある 
ライターの 千葉望さんが
『陰暦の発想』
http://www.publiday.com/publiday/070/012.html
というのを連載してらして、
これが気に入っていた私は 時々読ませていただいていた。



そこで 奥山貴宏という人に出会った。

彼も フリーのライターで、
『31歳 がん漂流』、
『32歳 がん漂流 エヴォリューション』
が出版されている。



風邪を引いたと思ったら 肺がん、
余命2年の告知。

そして 今年の4月に 33歳でなくなるまで
生き抜いた一人の男性の最終章に
私は たまたま 居合わせた格好だ。



奥山さんの最後の本
『33歳 ガン漂流 ラスト・イグジット』
が 7月に発売され、
直後に NHKの ETV特集で
番組が放送された。

タイトルは 
「オレを覚えていてほしい」
~ガン漂流・作家と読者の850日~。



番組の冒頭で
奥山氏は 

「死ぬことへの恐怖とか不満よりかは
 スターウォーズ(エピソード3のこと)が
 見れるか、の方が
 オレにとっては リアリティーがあんだよね。

 それに対して 不謹慎だとか言う人も 
 あるかもしんないけど。」

と カメラの前で 語っている。



彼ほど 死に向かって まっすぐに向き合える人が
どれほどいるだろうか。

彼が まだ若く 充分強い人だからこその
実感なのだろうか。



「なんだろうな。

 今までの 
 
 ‘死’とは 無縁、と思っていた世界から

 急に切り離された、って 言うのかなあ。」

そうなのかもしれない。

死者と生者とのあいだにある
‘彼岸’と ‘此岸’の別は
告知をされた場合、
生きてある この世界の中に
すでに 存在してるのだ。



人は 生まれた限りは
いつか 必ず死ぬ。

しかし 誰もが それを 今日のこととか
明日かもしれないとは 思わずに

いつか死ぬ運命であることを
忘れて生きている。

私のように。



それを 彼のように
あと何年、と 時間を区切って
彼岸に渡る日を告知されたならば

人は どれほど 強く生きられるだろう。

周りの人は皆 
そんなことは知らぬ気に
のほほんと 生きているのだ。

死者ではないのに
生者とも 区別され
切り離された存在になるのかもしれない。



癌で死ぬとは思っていない私も
検査の結果を聞くときは
普段では ありえないくらい
ドキドキする。

自分のカルテを覗く時には
そこに余命の告知が記載されているかのような
激しい動揺を してしまう。

腫瘍マーカーの数値を
じっと見つめる。

前回のとくらべて
少しでも下がっていれば、
ほっとする。

奥山氏は この数値を
「受験生の偏差値みたいなもん」
と表現した。

うまい言い表し方だ。

もしかしたら 私は この世にある
‘生きている人’の此岸と区別された
‘生きているけれど もうすぐ死ぬ人’の彼岸に
切り離されることを 恐れているのだろうか?



元気があったころの 奥山氏は
それでも
あまり 死を恐れては いないように見えた。

むしろ そんな状況下に置かれた自分を
楽しんでいた?

「楽しんでる?

 死んじゃうことは あまり 考えていない。」

「忘れ去られるってことは

 なんか 

 ‘死’そのものよりも

 すごい ボクは 怖くて。 今も。」



人は ひとりで 存在するのではない。

周りの人に 記憶してもらうことによって
初めて 真に 存在していると 言える。

人に忘れ去れた時に その人の存在そのものも
一緒に 消えてしまう。

それも ひとつの ‘死’だ。

そんな部分があるのは、事実だと思う。



奥山氏の 病状は進み、
脳への転移も見つかった。

最期の時まで 時間がない。

時間がないことへのあせり。

そんな時に 奥山氏の強さが出た。

奥山氏は リアルタイムで 記事を更新できる
ブログを始めた。

ブログでは 読者の反応が 
よりダイレクトに伝わるはずだ。

読者は 奥山氏に 勇気付けられ、
そんなコメントから 奥山氏は 
逆に パワーを受け取る。



そうして 完成した、奥山氏の 初の小説
『VP:バニシング・ポイント』が 発売になり、
読者からのお祝いメール、感想メール等が届く。

彼は 念願通り 作家となった。



作家には なったが、
とにかく、スターウォーズの7月の公開には 
彼は間に合わなかった。

『ホスピスは ロックじゃない』
なんて言葉も 飛び出したが

彼の生き方は まるごとロックだった、と
言えるかのもしれない。



ロックだったとして。

やはり 友人や身内の者の哀しみは
どうしようもない。



時折上京しては
部屋の片付け、掃除、買い物を
動きが不自由になった息子に代わって
すべてこなして 東北に帰ってゆく母。

奥山氏のお母さまは 
アパートに来ると
飲んだり 食べたり トイレに行ったり
一切せずに 動き回っていたと言う。

それで付けられた、「サイボーグ母」の称号。

『パブリディ』の中の 
奥山氏の 
『32歳 ガン漂流 エヴォリューション』
の最後に 
「サ母より」として書かれたものを読むと
私は
奥山氏と同じがん患者としてでなく
‘サ母’と同じ 人の子の母として
悲しさや無力感に 打ちのめされる。

大人になっても 子供は子供。

誰よりも あなたを 愛してくれていただろうに。

作家として 死ねて 本望、なんて言葉は
やせ我慢だよね。