ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

マンガと読書

2005-08-13 | 考えたこと
『池袋ウエストゲートパーク』の作者、
石田衣良と言う人は 
かなりの読書好きだったそうだ。

「ぼくは 青春の盛りを、

 アルバイトもせず、

 ガールフレンドと遊ぶこともせずに、

 ひたすら言葉の海におぼれてすごしたのである。」

「夏の魔法の一冊」(青春と読書2005年7月号、p3)
のなかで そう告白している。



その中で氏は

若い人たちに アンケートをとると
趣味の欄に「読書」と書く人が増えているそうだ、

また そういう趣味をもつのが
カッコいいことであるような風潮もあるらしい、

と 記している。

本当ににそうなら、
目出度いことではある。



文字を通して情報を取り入れる、という文化は
人間だけのものだし、

耳からの会話をとおしての情報とは
また違った発展のしかたがある。

ぜひ 文章を読むことによって
内容を頭の中で 想像して
自分の疑似体験として理解する、

というプロセスを 体験して欲しいと思うから。

そして それが 「カッコイイ」というのなら、
若者よ、本を読もう!(笑)



いや、違う!

こんなことを書こうと思っていたのではない!

私が 共感したのは、

氏が 小学生のころから
姉たちが買っていた
週刊マーガレットや りぼんなどの
少女マンガを読んでいた、とある辺りから。

私も 拾い読みができるようになると間もなく、
「りぼん」「なかよし」などの
姉のマンガを 読むようになっていた。




氏にとっては 数限りない読書が 
作家としての資質のひとつになっているのと同じく、
マンガも 恋愛小説を書く土台になっているらしい。

『スローグッドバイ』は 私は読んでいないが、

「少女マンガが 歴史的に達成したことを、
 ぼくなりのセンスとていねいな文章で
 小説の世界に置き換え」て
 
ひとつずつ 仕上げていった恋愛短編集なのだという。



「書籍だけでなく、
 マンガだって立派な読書だ
 とぼくは考えている。

 世界に例をみないほど
 高度に発達した日本のマンガ文化を見逃すなんて、
 もったいない話だ。

 少女マンガなんてと敬遠してきた男性読者は
 ぜひ新しい世界を発見してもらいたい。」



「ぼくのように 創作の役には立たなくても、
 女性の心理について
 より深い理解がえられるはず。

 日本の少女マンガは 
 世界でもっとも優秀な恋愛シミュレーターなので、
 実際の恋愛にも
 きっとご利益がありますよ。」

(同 p5)



恋愛の心の炎が 
遠い夏の日の花火には まだなっていない若者達へ。

恋愛教科書に、マンガをどうぞ。

追記:ただし、少女マンガ、です。

カミナリ

2005-08-13 | なんでもないこと
亭主と違って カミナリは怖くはないが、
パソコンとカミナリとは 
相性が悪い(あるいは、よすぎる?)と思うので
昨夜は 記事の投稿をあきらめた。

凄いカミナリだった。



当地はカミナリがよく発生し、
当然、時々落ちる。

芍薬を作っているお婆さんの家は
古くて大きな家で、
高い木も何本もあり、
カミナリも何度か落ちている。

息子の同級生の家は
何年か続けて毎年落ちて
火事になったわけではないが
そのつど 連続して
電化製品の 総買い替えを
余儀なくされた。



私がいつも散歩に歩く河の向こうの集落に住む人に
「河向こうは カミナリが凄いからなあ。」
と言われて ショックを受けたことがある。

‘河向こう’、つまり 私にしてみれば ‘河こっち’。

同じ河のほとりに住んでいて、
向こうより こっちの方が カミナリが多くて凄い、
こんな不公平があるだろうか!?



パソ子の修理は 予想より時間がかかりそうで、
お盆明けになるという話。

デジカメは 使い方がまだピンとこないし。

昨夜は カミナリが怖くて
デスクトップにも 触らなくて、
寂しい夜だった・・・。

カミナリにも なにか それらしい存在意義が
あるのだろうか。