ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

お坊さん

2005-08-08 | 考えたこと
父は僧侶(そうりょ=お坊さん)だった。

月遅れのお盆になると
法衣を着て 棚経(たなぎょう〉と称して
地域のほとんど全戸を回った。

地域に住む住民ほとんど全員が 
檀家だったからだ。



父は人一倍暑がりで、
夏になって
紗の法衣になると
出先からプンプン怒って帰ってくる。

「檀那は いいねえ。」
「なんで?」
「涼しそうで、いいねえ。」
「涼しそうに見えっか?」
「涼しかっぺよ、蝉の羽みてえに薄いの着てんもの。」

どこのお宅でもそんな会話をしてくるからだ。

蝉の羽のような薄い法衣の下には
白衣を着て 襦袢を着ているので
めっぽう暑いらしい。



宗教についての講義をしてくれた助教授は
やはり僧侶だった。

お盆の暑い中を 棚経で回っていると、
タクシーの運転手に
「坊主丸儲けでいいねえ。」
と話しかけられる、と言っていた。

私は 棚経にタクシーを使う、というところに
びっくりした。

都会のお坊さんは
草履をひきずりつつ重い荷物を持って歩いたり
スクーターに乗って 法衣の裾を翻したりは
しないのか!?



助教授は

「これはねえ。

 修行ですよ。

 お盆の棚経の収入なんか、
 葬式のひとつもあれば稼げるんだから。

 お坊さんが、修行のためにやってるのよ。」

と答えるのだ、という話だった。

この、「修行のために」という考え方には
納得する。

逆に、そう考えないと、納得がいかない部分がある。

それくらい、大変なのだ。

本当なら、洞窟のような所にお篭りして、
涼しく勉強会でもしていたほうがいい季節だ。

インドのように
日なたを歩いていると 行き倒れになってしまうほど
昔の日本は
夏の暑さが厳しくなかったのかもしれない。

こんなことを考えるのは 暑さに負けそうな
修行の足りない私だけか?



ただ 私の記憶にある実家のお盆は
正直、やはり 稼ぎ時だった。

お葬儀が 年に何回もなかったから、
お寺の収入がまとまって入る貴重な時期だった。

小さい頃には おひねりが多かった。

だんだん中身にお札が増えた。

お札の枚数が だんだん増えていった。
(百円札というのがあった。)

おひねりは 数年前まで あったらしい。

それでも 札びらを切るというのは
年に何回もはない。

零細寺院には 貴重な収入源になる。



今年ももうすぐお盆がやってくる。

今は会社勤めを止めてしまった義兄も
修行のため、檀家のため、
そして 収入を得るために
今年も声をからして 一軒一軒 回るのだろう。

できるなら、お盆にお坊さんを見かけた時には
「坊主丸儲けでいいねえ。」とか
「涼しそうで、いいねえ。」とかは
思わないでいただけたら、嬉しいのだが。

ハスとサトイモ

2005-08-08 | なんとなく民俗学?
暑い。

ミニひまわりの小夏が 早くも終わってしまった。

写真は先月のもの。

同じような形、同じような色で
大きさの違う花を組み合わせてみた。

メランポジウムは 元気なのに
小夏は終わってしまった。

株間を充分にとらなかったから 蒸れたのか?

小夏を植えたところには

苗がいっぱいできていたホオズキを植えた。

この暑いのに、と思ったが
ホオズキは元気いっぱい。

丈夫なんだなぁ。


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昨日の『たなばた』で、
短冊に願い事を書くために
サトイモの葉っぱの露を集めて墨を摺る、
と言う話が出たが

私は 子供の頃 父に
ハスの葉っぱの露を
朝早く起きて集めて
それで墨を摺って
お習字の上達を願うのだ、
と聞いた記憶がある。

私は子供の頃からの悪筆の上に
朝は弱くて、
とうとう一度も実行せずに
今に至っている。

そのせいか、悪筆も直っていない。



それはともかく、
七夕(棚端)がお盆行事ならば
サトイモより ハスのほうが
合っている気がする。

我が家の舞妃蓮の 
まあるくて大きな葉っぱ見ていると
何かに使いたくなるし。

小さなものは
お皿代わりにもなるだろう。

大きなものは・・・
お面を作って遊んだ!



そういえば、よくサトイモのはっぱで
お面を作るように、
ハスのはっぱでお面を作った記憶が蘇った。

なんでもオモチャにしていた世代。
の、終わりの方。

トウモロコシのひげ根でおひげを作った記憶はない。

でも 目の部分を 指でちぎって穴を開けて
お面にして・・・それでどうやって遊んだろう?

そんなことをして 友達に見せるだけで
あの頃は 楽しかったのかなぁ?

たなばた

2005-08-07 | なんとなく仏教?
最近 チラっと目にした文章に
「8月13日から 旧暦のお盆」
とあった。

違う!

8月13日からは ‘月遅れ’のお盆だ!

名前を見ると、
書いたのはどうやらお坊さんらしい。

お坊さんが間違えちゃ、ダメじゃないか!




お盆は7月13日から。

旧暦のお盆は
・・・ええと。

(日めくりをめくってみる。)

8月17日が 旧暦の7月13日、
この日からお盆だ。



千葉望さんの『陰暦の発想』にあるように、

日本は
太陰暦(=旧暦)から 太陽暦に変わる時に
むりやり そのままの日付で もってきたり
旧暦のまま使ったり

あるいは 
‘月遅れ’というヘンテコなもので
ツジツマを合わせようとしてしまったので

おもいきり、ヤヤコシイ。



つい先日書いた『八朔』だが、
これも後からアレっと思って
日めくりをめくったら、
9月4日のところに「旧八朔」とある。

これも 旧暦で考えるべきなのだろう。

9月4日と 8月1日では
だいぶ気候に差がある。

ああ、本当に、ヤヤコシヤ。

しかも、お坊さんまで、間違える。怒!



このお坊さんが書きたかったのは、
七夕(たなばた)は お盆行事だ、
ということらしい。

サトイモの葉っぱに乗った露を集めて墨を摺り、
短冊に願い事を書いて
笹に吊るす、

その短冊をはずして 
盆棚(ぼんだな)にする、

現代っ子にも 願い事を書いて欲しいものだ、

そう言っているらしかった。

あら、短冊をはずさないと、
盆棚にならない?



8月13日は 月遅れのお盆だけど、
たなばた(棚幡)が お盆行事、というのは
本当らしい。

8月1日に刈り取ってきた萱を
一週間くらい干してから
簡単なムシロのようなものを作り、
組み立てた盆棚(精霊棚)の上に敷く。

萱で 縄をなう。

盆棚の四隅に 竹を立ててくくりつける。

その竹に 縄を回して、
結界を張る。

結界の中は、清浄、ということらしい。



この縄には 
紙で作ったピラピラを挟み込んでぶら下げる。

当地のピラピラは 人型だという。

本当かな?

このピラピラの色は、決まっているとか。

青・黄・赤・白・黒。
(しょう・こう・せき・びゃく・こく)

(青=緑、黒の変わりに紫)

これは、陰陽五行からきているとか。
は~~。



何色ものピラピラをくっつけた縄を渡した盆棚は
けっこう綺麗なんじゃないか?

そして、この 紙のピラピラに 願い事を書いて
ご先祖様に 叶えてもらう、
というか、
決意を ご先祖様に誓う、というか。

これが、7日の夕方の、棚幡(たなばた)。



この、盆棚を作る、というのは 大切なことらしい。

この清らかな盆棚の中に
仏壇から出したご本尊やお位牌を置き、
ご先祖の霊においでいただき、
お盆のあいだ、おもてなしをするからだ。

当地では 古い農家が多く、
盆棚も大きい。

組み立てるのも大変そうだ。

そして、
昔ながらの田の字型の広い座敷を
開け放して使える家はいいが、

今風の家では
盆棚のありようも これから変わっていくだろう。



今日は、新暦・旧暦関係ナシに、立秋。

暑さに変化があるとは思えないが、
日の入りは確実に早くなっている。

我が家に盆棚は、まだ、ない。

夏祭り

2005-08-06 | なんでもないこと
先週末は 当地のあちこちで お祭りがあった。

八坂神社の祭礼。

祇園祭りだ。



祇園祭に関しては いろいろ書きたいことがあるが
調べてからでないと 嘘八百になりそうなので
まあ、そのうちに。



7月の最後の週末にお祭り。

これは 近年 人が集まらないので
苦し紛れに編み出した秘策。

そして これで 定着してしまった。

実家の方のお祭りも
同様に週末に行われるように 変更されたらしい。

農業や自営の家が少なくなって
土・日がお休みのサラリーマンが増えたせいだろう。



その先週の土曜日に
お使いで出かけたら
素晴らしい彫刻を施した山車の上から
声が聞こえてきた。

例の、
「カシコミ カシコミモ マオス~~~」
とかなんとか いうやつ。

祝詞(のりと)か、あれ。



おーーー!
と思って見上げると
確かに山車に乗って
神官の装束をつけた 若めの男性が
後ろに お祭りの役員さんとおぼしき男性人を従えて
こちらを向いて(!)座って、
祝詞をあげている。

ふっくらしたうりざね顔で
黒い烏帽子(えぼし)を被って 
最近流行のあごひげの生えたあごのしたで紐を結び、
千年も前と ほとんど変わらない衣装をつけて
声を出している姿は
思わず目を惹き付けた。

この暑いのに汗もかいてないし、
なにしろ、似合ってる!

じっと見つめてしまいそうだったが
何人もの人が こちらを向いているので
そういうわけにもいかず、
残念だけど 早々に 用事を済ませて
帰宅してしまった。

本当は もっとよく 
(つまり、じろじろと)見てみたかった。

神主さんの衣装を。

和服と同じに、そして お坊さんと同じように、
夏物の 絽(ろ)とか 紗(しゃ)とかの
装束なのかしら。

それにしても、
禰宜(ねぎ)さんも 暑かろう。

お坊さんも 暑いけど。



そういえば、
御みこしの前とか 神殿で
祝詞をあげる神主さんの姿は
何度か見かけているが
山車に乗っかって 「カシコミ・カシコミ」は
初めて見たなあ。




ノート・パソ子が オーバーホールから帰ってきて
ようやく 絶好調になった。

デジカメは まだ修理(!)から戻ってきていないが
撮りためた写真があるので
少しずつ アップしていける。

きょうの写真は 鳳仙花(ホウセンカ)。

最初の年に 
確か電気屋さんからもらった種を蒔いたが
それ以後は 毎年 勝手にあちこちから芽を出す。

歩くのに困る場所に生えた芽を
次々に引っこ抜いているのだが
それでも そっちこっちにまとまって咲く美しい花で
庭を彩ってくれる。



ああ、写真、撮りたい!

30年

2005-08-04 | 考えたこと
あれはまだ 私が 若いお母さんだった頃。

ぽっちゃりとしたオバサマに尋ねられたこと。

「ねえ、ねえ。 あのさ。

 永代供養って、どうゆうの?」



お寺の出身だというと 何でも知っているように思われ、

何でも知ってるような顔をしたい病という 病気持ちの私、

知ってるだけの話を 精一杯して、

と言っても 今でもよく知らないことなので

たいした話はしなかったはず、

そして その頃考えていたことを 話した。



「でも、この前見た広告では、

 30年間 管理してくれるんですって。

 30年たったら、
 いろんな人と ごちゃ混ぜにしてしまうらしいですよ。


 永代って言ったら、

 未来永劫、地球滅亡の日まで 面倒見てくれなきゃ、

 永代じゃないのに。」



オバサマは カラカラと 陽気に笑った。

「あらー。

 いいわよ。

 30年もたったら 
 
 知ってる人は 友達もみんな 死んじゃってるし、

 どうなっても。」




え? そうなの??



「でもさー、やっぱり 死んですぐはねえ、

 お墓参りにも 来てほしいしさ。

 ねえ。

 寂しいじゃない?

 友達も 何人かは 来てくれると思うんだ。

 30年たっちゃったら、ねえ。

 自分はもう何にもわからなくなっちゃってるんだからサ。」

「・・・・・・・・・。」




そう、かも、知れない。

確かに、死んで30年たったら、

この世に残した未練は なくなってるかもしれない。

知ってる人もみんな 死んじゃってるかもしれない。

そしたら、死後30年経ったら お墓なんか、なくても、いい

の、かも、知れない。



妙に納得してしまった私だった。

未来永劫変わらないなんてことは
ありえないのだし。



彼女には お嬢さんがいるらしかったが
女の子を 跡取りだからと 家に縛り付けるのが
可愛そうだ、との お考えらしかった。



永代供養という文字の入った墓地の広告によれば
30年、33年、35年、50年、
いろいろな方針で運営しているようだ。

30年経った世界で どんな変更が生じようが、
お墓の下から訴えを起こすことはできないし。



それから しばらくは 30年という数字に
少しのこだわりを感じてしまう私だった。



今は。 

今の私は 死を身近に感じていないので
お墓の問題も あまり自分の問題としては
考えていない。

ノーテンキ! 

奥山貴宏という人

2005-08-03 | 考えたこと
『パブリディ』という ウェブ・マガジンがある。
http://www.publiday.com/publiday/index.html

こちらに来てくださったこともある 
ライターの 千葉望さんが
『陰暦の発想』
http://www.publiday.com/publiday/070/012.html
というのを連載してらして、
これが気に入っていた私は 時々読ませていただいていた。



そこで 奥山貴宏という人に出会った。

彼も フリーのライターで、
『31歳 がん漂流』、
『32歳 がん漂流 エヴォリューション』
が出版されている。



風邪を引いたと思ったら 肺がん、
余命2年の告知。

そして 今年の4月に 33歳でなくなるまで
生き抜いた一人の男性の最終章に
私は たまたま 居合わせた格好だ。



奥山さんの最後の本
『33歳 ガン漂流 ラスト・イグジット』
が 7月に発売され、
直後に NHKの ETV特集で
番組が放送された。

タイトルは 
「オレを覚えていてほしい」
~ガン漂流・作家と読者の850日~。



番組の冒頭で
奥山氏は 

「死ぬことへの恐怖とか不満よりかは
 スターウォーズ(エピソード3のこと)が
 見れるか、の方が
 オレにとっては リアリティーがあんだよね。

 それに対して 不謹慎だとか言う人も 
 あるかもしんないけど。」

と カメラの前で 語っている。



彼ほど 死に向かって まっすぐに向き合える人が
どれほどいるだろうか。

彼が まだ若く 充分強い人だからこその
実感なのだろうか。



「なんだろうな。

 今までの 
 
 ‘死’とは 無縁、と思っていた世界から

 急に切り離された、って 言うのかなあ。」

そうなのかもしれない。

死者と生者とのあいだにある
‘彼岸’と ‘此岸’の別は
告知をされた場合、
生きてある この世界の中に
すでに 存在してるのだ。



人は 生まれた限りは
いつか 必ず死ぬ。

しかし 誰もが それを 今日のこととか
明日かもしれないとは 思わずに

いつか死ぬ運命であることを
忘れて生きている。

私のように。



それを 彼のように
あと何年、と 時間を区切って
彼岸に渡る日を告知されたならば

人は どれほど 強く生きられるだろう。

周りの人は皆 
そんなことは知らぬ気に
のほほんと 生きているのだ。

死者ではないのに
生者とも 区別され
切り離された存在になるのかもしれない。



癌で死ぬとは思っていない私も
検査の結果を聞くときは
普段では ありえないくらい
ドキドキする。

自分のカルテを覗く時には
そこに余命の告知が記載されているかのような
激しい動揺を してしまう。

腫瘍マーカーの数値を
じっと見つめる。

前回のとくらべて
少しでも下がっていれば、
ほっとする。

奥山氏は この数値を
「受験生の偏差値みたいなもん」
と表現した。

うまい言い表し方だ。

もしかしたら 私は この世にある
‘生きている人’の此岸と区別された
‘生きているけれど もうすぐ死ぬ人’の彼岸に
切り離されることを 恐れているのだろうか?



元気があったころの 奥山氏は
それでも
あまり 死を恐れては いないように見えた。

むしろ そんな状況下に置かれた自分を
楽しんでいた?

「楽しんでる?

 死んじゃうことは あまり 考えていない。」

「忘れ去られるってことは

 なんか 

 ‘死’そのものよりも

 すごい ボクは 怖くて。 今も。」



人は ひとりで 存在するのではない。

周りの人に 記憶してもらうことによって
初めて 真に 存在していると 言える。

人に忘れ去れた時に その人の存在そのものも
一緒に 消えてしまう。

それも ひとつの ‘死’だ。

そんな部分があるのは、事実だと思う。



奥山氏の 病状は進み、
脳への転移も見つかった。

最期の時まで 時間がない。

時間がないことへのあせり。

そんな時に 奥山氏の強さが出た。

奥山氏は リアルタイムで 記事を更新できる
ブログを始めた。

ブログでは 読者の反応が 
よりダイレクトに伝わるはずだ。

読者は 奥山氏に 勇気付けられ、
そんなコメントから 奥山氏は 
逆に パワーを受け取る。



そうして 完成した、奥山氏の 初の小説
『VP:バニシング・ポイント』が 発売になり、
読者からのお祝いメール、感想メール等が届く。

彼は 念願通り 作家となった。



作家には なったが、
とにかく、スターウォーズの7月の公開には 
彼は間に合わなかった。

『ホスピスは ロックじゃない』
なんて言葉も 飛び出したが

彼の生き方は まるごとロックだった、と
言えるかのもしれない。



ロックだったとして。

やはり 友人や身内の者の哀しみは
どうしようもない。



時折上京しては
部屋の片付け、掃除、買い物を
動きが不自由になった息子に代わって
すべてこなして 東北に帰ってゆく母。

奥山氏のお母さまは 
アパートに来ると
飲んだり 食べたり トイレに行ったり
一切せずに 動き回っていたと言う。

それで付けられた、「サイボーグ母」の称号。

『パブリディ』の中の 
奥山氏の 
『32歳 ガン漂流 エヴォリューション』
の最後に 
「サ母より」として書かれたものを読むと
私は
奥山氏と同じがん患者としてでなく
‘サ母’と同じ 人の子の母として
悲しさや無力感に 打ちのめされる。

大人になっても 子供は子供。

誰よりも あなたを 愛してくれていただろうに。

作家として 死ねて 本望、なんて言葉は
やせ我慢だよね。

つれづれ

2005-08-02 | なんでもないこと
今朝の土手の散歩で、
なんと、草刈り鎌を手にした 義さんに会った。

お盆の準備に 草を刈っていた。

一日遅れだけど、ちゃんとやるんだなあ!



きれいな草を見ても 
可憐な花を見ても
デジカメで写して 皆さんに見ていただきたくて。

ああ、今度 カメラを持って 
もう一度 写しに ここに来よう、なんて思って。

寂しい、デジカメがないと。

つまんない、画像がないと。 


私のノート・パソ子は 先週末に 旅に出た。

今週は 修行をしてるだろう。

元気になって 戻って来いよ。

八朔

2005-08-01 | 考えたこと
今日は 八月朔日(ついたち)、‘はっさく’だ。

辞書をひくと 古来は さまざまな慣わしのある、
重要な日だったようだ。



月遅れのお盆の地方では
お盆の準備が始まる日でもある。

すなわち、川へ行って 葦を刈ってくる日だ。

葦を鎌で刈ってきて、
一週間ほど 干しておく。

それを あとで 筵(むしろ)のように編んで 
盆棚を作ったり 
縄を編んで 盆棚の周りに まわしたりするために。

当地でも 私達が来たばかりの頃には
そうやって 
刈ってきた葦を干してある農家を見かけたが
最近では めっきり少なくなった。

年寄りが いなくなると
それまで毎年当たり前に行われてきたことが
すっかり 様変わりしてしまう。

忙しい現代人の 会社勤めの 新しい当主には
それが当然だとは思うけれど
一抹の寂しさも 感じてしまう。



夏の甲子園大会にに出場する高校が
すべて出揃い、
いよいよ 夏本番。

息子の高校は 今年も 惜しいところで破れ、
茨城の母校は 今年はメロメロだった。

(大体が、一回戦から 戦うなんて、
 強い頃には 考えられなかった。)

今年の夏は 
暑い日に 虫に刺されないように
長袖・長ズボンで 屋外で頑張れるかどうか、
少しずつ 体調を見ながら 
慣らしていこうと思う。

本当は 蚊の鳴き声を聞くと
恐怖心があって
早々に家の中に引きこもってしまうのだが
これも不便なもので。



暑くならない夏は 
一度経験したけれど
夏はやっぱり 暑くなくては。

乗り切る体力を 作らなくては。