今朝の6時に大間からメール
伊達に12時到着
着くとすぐダンボールの片付けとか
家の整理をちやちゃとしてくれた
手早い
トトねねも突然現れたおじさんに
興味深々。
夕方ア-クスとホーマックに買い出し
息子は購入した魚を外で焼いて食べたいと
この寒いのに外で飲食。
美味しい美味しいとアルコールもすすんでいる。
今朝の6時に大間からメール
伊達に12時到着
着くとすぐダンボールの片付けとか
家の整理をちやちゃとしてくれた
手早い
トトねねも突然現れたおじさんに
興味深々。
夕方ア-クスとホーマックに買い出し
息子は購入した魚を外で焼いて食べたいと
この寒いのに外で飲食。
美味しい美味しいとアルコールもすすんでいる。
1999年9月22日淡谷のり子さん逝去。92歳。直後某テレビ局で追悼特番が組まれました。その中で、生前の淡谷さんが「別れのブルース」にまつわる印象的なエピソードを語っていました。
太平洋戦争末期。淡谷さんは各戦地を慰問に訪れていました。ある航空基地でのこと。集まった兵士たちの前で別れのブルースを歌っていると、後ろで立って聴いていた若い兵士たちが途中で淡谷さんに敬礼しながら、次々に去っていくのです。事前に「特攻隊員たちが出撃のため、中座するかもしれませんので」と上官に説明を受けておりましたから『あヽ、飛び立っていくのね』と思いながら、歌い続けました。
しかし「よく見ると、まだあどけなさの残る、私の弟のような年頃じゃありませんか」。そんな彼らが、屈託のない天真爛漫な笑顔で淡谷さんに敬礼しながら、死地に赴いて行くのです。
「途端に涙があふれて、声がつまって続きを歌えませんでしたよ」
残酷な時代だった。