今日昔の伊達紋別駅の話題が出たとき
突然
涙が溢れた
私にとって
伊達駅は運命の駅である
終戦後樺太に残された私達一家は
ロシア人家族と部屋を仕切って三年ほど暮らした
最後の引き揚げ船で函館に到着
仙台出身の父の遠縁を頼ってこの駅に降りた
私は当時6歳
本来なら小学一年生になっている筈だったが
戦後の混乱の樺太で息を潜めて暮らしていた
子供心に恐ろしい体験は体の芯まで刻まれていた。
死の恐怖・・・幼い心に宿ったこの恐怖は長い年月を経ても
拭うことはできない。
私の奥深くにまだ残っている。
私6歳の夏
やっと
最後の引き揚げ船で
伊達の地を踏むことができた。
そして
親戚の馬車に乗せられ
足をブラブラさせていた
ここはなんて平和でのどかな所なのだろう・・・
私と同じくらいの子供達が道端でケンケンをして遊んでいた
私もこの子たちのように遊ぶ日が来るのだろうか・・・とボーと
見詰めていた。
そんないつもの話をと話しているうちに
涙がこぼれ落ちた・・・
何故って?
6歳の子が
なんて平和なんだろうと・・・心から感じるなんて
アナタ
切なくないですか?