先日が古い歌を口ずさんでいた。
その歌なんていう歌
昔日大出身の同僚がことあるたびに唄っていたので
憶えたんだ
哀調のある唄だった。
ネットで調べると鶴田浩二が唄っていた。
ネットより
蒙古放浪記 作詞・作曲 不詳
蒙古放浪記は昭和初期に歌われた大陸雄飛の歌である。日本民族発生の地である蒙古平原を思慕する、ロマン派男児の声が聞こえて来る。
蒙古放浪記
1、心猛(こころたけく)も鬼神ならぬ 人と生まれて 情けはあれど
母を見捨てて波越えてゆく 友よ兄等と何時亦会はん
2、波の彼方の蒙古の砂漠 男多恨の 身の捨てどころ
胸に秘めたる大願あれど 生きて帰らむ希みはもたぬ
3、砂丘を出て砂丘に沈む 月の幾夜か 我等が旅路
明日も河辺が見えずば何処に 水を求めん蒙古の砂漠
4、朝日夕日を馬上に受けて 続く砂漠の 一筋道を
大和男の血潮を秘めて 行くや若人千里の旅路
5、負はす駱駝の糧薄けれど 星の示せる 向だに行けば
砂の逆巻く嵐も何ぞ やがては越えなん蒙古の砂漠
歌が世に出たのは、アジア大陸進出が本格的に進められた昭和初期。
戦前、若者達がアジア大陸に憧れ、満蒙流浪の旅を夢見た時代があった。この歌は旧制高校の逍遥歌や寮歌のように扱われ、現在まで大学応援団などの学生達によって伝承されてきた。
加藤登紀子が歌っていた。旧陸軍中野学校で愛称された「三三壮途の歌(さんさんわかれうた)」の元歌でもある。
昭和6年の満州事変で、関東軍が満州全土を占拠したが、これを契機に国策で満蒙開拓と称し、満州、内蒙古への日本人農業移民が始まった。
しかし満蒙開拓には夢と現実とのギャップがあった。移民は、自ら身を守るため軍隊から武器を与えられ、訓練を受けた武装集団でもあった。
27万人の移民が終戦で置き忘れられ、逃避行で8万人の死者を出した。満蒙開拓は、一からの開拓ではなく、農地の60%が農地買収で得たもので、時価8%~40%で強制買収された。
特に満州国では国土総面積の14.3%に当たる農地が日本に買収されている。植民地統治勢力の庇護の下での構造的な収奪とも言える。
(数字などwikiより)売り渡した現地農民は、自分達が食べるためにまた、新たな開拓をやったと思われる。
なんとか貧苦から逃れたい、と大きく胸をはずませて渡満したが、哀しい結末でありました。お聞きになったのは、上のアドレスですね。
ユーチューブ・・・貼り付けていただき
ありがとうございました。