伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

小説を発信中

  
  
  
  

  

艶やか

2017-03-29 23:40:35 | ガーデニング
 ミニロックガーデンに山野草の鉢を並べ


 ムシロの布団をかぶせていたがきょう布団を取った。

 一番生き生きしていたのが


 シャクナゲの鉢


 苔も艶やかでみごとだった。


 



 ボキの毛も艶やかニャのだぁー


 


  
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ツーショット

2017-03-28 23:56:10 | 伊達・暮らし
 今日は春の陽気

 久振りにとイオンへ散歩がてらの買い出し


 ララも珍しく外に出てきた。


 ニャンコとツーショット


 万年風邪気味のはまだダウンを脱げません


 





 
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春です新しい門出

2017-03-28 06:33:40 | 元同僚
 昨日の道新の朝刊


 札幌市の教職員の移動

 校長になられたかたも多い

 退職されたかたも・・・

 皆さんもうそんな年齢になったのですネ


 弥生三月は異動の時期


 心騒ぐ月でした・・・。 


 タイミングよくM子さんからお葉書が・・・


 時間講師も今年で終わりにするそうです

 頑張りましたネ

 やっと年金が貰えるのネ。


 昨日ホーマックに行くと早々にパンジーが登場していました。


 早速ゲット


 


 いよいよ心躍る春到来デス。
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おバカさん

2017-03-28 05:28:51 | 長生大学
 友達から葉書が来たので

  福寿草の写真を葉書にコピーして送ろうと

  画像を調べていたら


  な なんと


  その中にちやっかり長生大学月の砂漠が・・・


  ビデオからいつの間にかこちらに移動していました。


  ????


  おバカさんですねぇー・・・。


  消えていなかったので

  良かったよかった。



何度も聴いたけれど


  やっぱり自分の声が堅い・・・


  発声も今一


  反省だらけ


  まっいいか


  高齢者だもんネ


  でも


  発声練習をしなきゃ。


  おかチャン ボキはその高い声が苦手ニャのぉー




ほどほどにしてニアー




  



  
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大地讃頌の熱い思い

2017-03-27 19:36:50 | 合唱
 大地讃頌は現役時代

 合唱コンクールの時は学級の自由曲で取り組んだり、三年生では課題曲になったりして

 生徒と歌ってきた思い出の曲である。


 詞も 曲も素晴らしい


 ネットで調べると


 作詞者の熱い思いとメッセージが込められていた



  ネットより



大地讃頌

佐藤眞作曲 大木惇夫作詞



母なる 大地の ふところに
我ら 人の子の 喜びはある
大地を愛せよ 大地に生きる
人の子ら (人の子ら) 人の子
その立つ土に 感謝せよ

平和な 大地を
静かな 大地を
大地を 誉めよ
たたえよ 土を

恩寵の 豊かな 豊かな大地
(我ら 人の子の 我ら 人の子の)
大地 大地
(大地を 誉めよ)
たたえよ たたえよ 土を
(誉めよ たたえよ)

母なる 大地を
母なる 大地を
たたえよ 誉めよ
たたえよ 土を

母なる大地を ああ
母なる大地を ああ





大地讃頌」(だいちさんしょう)は、1962年(昭和37年)に大木惇夫の作詞で佐藤眞が作曲した「混声合唱とオーケストラのためのカンタータ『土の歌』」の終曲。『大地賛頌』と書かれることもあるが誤りである。

出典 大地讃頌 - Wikipedia

大地讃頌は「土の歌」というカンタータの終曲(第7楽章)で、実はこの歌の前に6曲のそれぞれのテーマを持った曲があったというわけだ。






大木 惇夫(おおき あつお)
■1895年(明治28年)4月18日-1977年(昭和52年)7月19日)広島県生まれ。
■詩人、翻訳者。作詞家。本名は軍一(ぐんいち)、広島市天満町(現在の西区天満町)出身。太平洋戦争(大東亜戦争)中の戦争詩で有名だが、歌謡曲の作詞や児童文学作品も多い。
■戦後は戦時中の愛国詩などによって非難を浴び、一転して戦争協力者として文壇やマスコミは徹底的に無視され、一部の心ある出版社から作品を出版しながら、校歌の作詞等をしながら生涯を過ごした。
■1961年(昭和36年)には依頼により作成した「鎮魂歌・御霊よ地下に哭くなかれ」の詩碑が故郷である広島市の平和公園に建てられている。 

出典 カンタータ「土の歌」(うたごえサークル「おけら」)









佐藤眞

出典 music-peace.jp



■1938年(昭和13年8月24日)茨城県生まれ。
■東京藝術大学音楽学部教授。 東京藝術大学音楽学部付属音楽高等学校校長。東京芸術大学音楽学部教授を2006年に退官。芸大とのかかわりが50年に及んだ唯一の存在。
■下総皖一、池内友次郎に師事。東京藝術大学在学中の作品、「交響曲第1番」が1961年日本音楽コンクール第1位入賞と特別作曲賞を受賞、同年の混声合唱組曲「蔵王」、翌年のカンタータ「土の歌」等で作曲家としてデビューした。
■豊かな音楽性が正統的な優れた作曲技法により息づく作品は力強い。合唱作品はアマチュア合唱団にも広く愛好され、作品も多い。管弦楽作品も力作揃い、「管弦楽のための変奏曲」などがある。ピアノ協奏曲を始めピアノ作品も数多く、子供のための小品もたくさんある。オペラ「犀」をはじめ5作品があり、地方オペラの興隆にも力を注いでいる。

出典 カンタータ「土の歌」(うたごえサークル「おけら」)


混声合唱のためのカンタータ 土の歌



混声合唱のためのカンタータ 「土の歌」は1962年(昭37)に作られました。



1981 混声合唱のためのカンタータ 「土の歌」 佐藤 眞 作曲 大木 惇夫 作詞

出典 www.youtube.com






第1楽章「農夫と土」

命の糧を作り出す土。その土と共に生きる人間。土への感謝と、自然の繰り返される「生」の神秘を歌っています。



第2楽章「祖国の土」

土とは大地。人間は大地の上で日々生きている。故郷の、祖国の大地の尊さと愛おしさ。



第3楽章「死の灰」

護るべき大地、世界を滅ぼすのは人間である。文明、科学を作り出し、間違った使い方をする
愚かな人間である。原爆への怒りと犠牲者への哀悼。



(1792682)


出典 www.nagasaki.med.or.jp


第4楽章「もぐらもち」

大地を汚した人間が、もぐらのようにその大地の下に逃げ込む愚かさ。怒りを皮肉に込めて表します。



第5楽章「天地の怒り」

ついに人間の自然を汚す愚かな行為に、自然が天災となり怒りを爆発させます。そして人類が、自らの過ちによって傷つけられます。



第6楽章「地上の祈り」

愚かな人間の犯した罪を、鎮めて、復活させてくれるのは傷つけてしまった自然しかない。
大地と自然の大きな懐を信じて、感謝して日々を耐えていこう。



第7楽章「大地讃頌」

大地への限りない感謝と賛美。





土の歌 第5章が まさに現代に起きているようで…


大木さんの怒りが第5章で爆発してます。


人間の間違った文明と科学の使い方で、大地を汚し、同じ人間同士をも犠牲にしてしまう事への憤りが「自然の怒り」として綴られています。









広島市平和記念公園 祈りの像には大木惇夫さんの祈りの詩があるそうです。






忘れられた詩人の伝記 - 父・大木惇夫の軌跡 | 宮田 毬栄 |本 | 通販 | Amazon

¥4,968







大地讃頌が「土の歌」の終曲とされていますが、実は、このカンタータには最後の第8楽章が作られていたというお話があります。


幻の第8楽章とは?




「(大地讃頌で)大地の有り難さ、自然の尊さに気づいた人類の前に女神が現れます。
女神を讃える人々…。ところが、その女神は人間を食い殺し始めます。
女神によって人類は一人残らず食い殺され、地球上から人類は消滅します。
そして、その人類がいなくなった地球に真の平和が訪れたのでした」






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