心の旅紀行

人の生き方を追及していると自然に世界に通用する法が見つかります。kiko

アゼルバイジャンが平和になることを祈る

2023年09月29日 | 世界

ソ連時代のことですが、アゼルバイジャンの駐日通商担当官が、技術導入のことで私を訪ねてきました。私の会社の技術を導入したいとのことでした。

彼は、ソ連が自分の電話を盗聴していると言って公衆電話を使って電話をかけてきました。喫茶店や私の事務所で話合いたがりました。ソ連の意向ではないことがわかり、当時、私としては用心せざるをえませんでした。アゼルバイジャンは独立志向と思いました。

その後、ソ連が崩壊し、アゼルバイジャンは独立しました。

ナゴルノカラバフ問題は詳しくは知りませんでしたが、アルメニアの隣接地ではなく、アゼルバイジャンの中央部にアルメニア系の人が10万人の単位で住み、独立運動を起こし、武装組織を持ち、独立を宣言し、共和国と自称して今日に至りました。ロシアが介入し、平和維持軍を送ってこの共和国を守ってきましたが、ウクライナ戦争を始めたことで介入に手が回らなくなったのか、ロシアは、アゼルバイジャンが、ナゴルノカラバフの武装組織を攻撃することを認め、ナゴルノカラバフ解消の線で問題解決をはかりました。ナゴルノカラバフの武装組織はアゼルバイジャン軍に勝てず、アルメニアの軍事支援もなく、降伏し、共和国も降伏しました。

アルメニアはロシアの軍事支援なしということで、アゼルバイジャンを非難しつつ、アゼルバイジャンのナゴルノカラバフのアゼルバイジャン化を認めざるをえませんでした。

アゼルバイジャン化に耐えられないアルメニア系は、アルメニアに移住し、耐えられる人はナゴルノカラバフに残るそうです。なん%が残るかまだわかりませんが、残る割合がかなり多いならば、アゼルバイジャンのアルメニア系迫害は、差別的であったかもしれないが、非人間的ではなかったと言えるかもしれません。

アゼルバイジャンが軍事で問題解決をはかったことに抵抗を感じますが、今後のアゼルバイジャンについては平和を祈ります。アルメニアも、国は行政区と考え、隣国との争いではなく、自国の繁栄を重視するといいと思います。なお、アルメニアにはアゼルバイジャン飛地があります。問題がおこならければいいがと思います。

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昔の中国人は精神という言葉に神を表す漢字を使っている

2023年09月29日 | 世界

日本でも「精神一到何事か成らざらん」といいう朱子の言葉が有名です。昔の中国人が精神という言葉で何を表現していたかですが、現代日本人が表現する精神に近いのではないかと思います。つまり現代日本人は昔の中国人が考えた精神という言葉を学び、今日に伝えていると思います。

この精神という言葉の中に神の漢字がありますが、昔の中国人は精神に神的力を感じていたことを示していると思います。そしてこの感性は非常に鋭いと思います。

現代世界にも非常に大きい影響を与え続けていいるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は、自分をこえる絶対的な力と感じられるもので、人をこえる、目に見える身近な大きな力から、日月星など遠いものに、そしてユダヤ教で目に見えない、日月星をこえる外なる絶対的な力と理解されるようになりました。

ところが非常に興味深いことですが、キリスト教の教祖イエス・キリストは、絶対神とは別に、自分に内在して自分を助ける非常に大きな力として内なる聖霊の存在を感じ、人は、自分をこえる絶対神を知ったとき神から聖霊が自分に下ると思いました。彼は東のインド文化や中国文化の影響を受けていたのではないでしょうか。

ヨーロッパ・アメリカでも現代心理学では精神学が発達し、潜在意識とか、潜在意識より古い、大昔から精神の奥深いところに記録されている人を生かす力を学問するようになっています。

つまり現代は外なる神ではなく、内なる神に人々の関心が集まっていると思います。現代流行りの成功の法則などはほとんど内なる神の力の応用編です。

そのため既存宗教団体の威光はどんどん下がり、衰退する傾向になっています。まだ盛んなイスラム教団体も宗教学の発達でやがて衰退すると思います。

すべての生きている人の精神の奥深いところに神は内在してその人の自我の働きを助けていると思います。つまり精神構造は、潜在自我を含む自我と原始的精神からなると思います。原始的精神は、自我が認識していなくても自我を助けています。自我が悪いことを考えても助けてくれるので要注意です。人生、生き生きと生きるには、自我はよいことを考えることがだいじということになります。

内なる神は、国や政府よりはるかに信頼できる非常に大きな力です。今後の新世界づくりでは、国ではない、人がだいじという理由はここにあります。国は、権力者政治家の愚かな、欲深い自我によって利用されてることが非常に多いと思います。

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