イスラム教反対の考えを表現したものがコーラン焼却デモだと言うなら、ロシアのウクライナ戦争は、ウクライナの親ロシア派の多い地域を力でロシア領にするとの考えを表現したものとなります。
ところがヨーロッパはロシアのウクライナ戦争を表現の自由と認めていません。戦争は殺人であり、破壊であり、罪だからです。つまり表現の自由には許容範囲があるとしています。
コーランの解釈で一番むずかしいことはいわゆる聖戦とは何かということだと思います。預言者ムハンマドが行った戦争は、虐げられた民の解放戦争だったと思います。現代のISなどの戦争は、虐げられた民の解放とは言えないでしょう。権力志向の過激派が善良な民を虐げていると思います。大半のイスラム教信者は過激派の聖戦を否定しています。
キリスト教系であったヨーロッパは、「これにて勝て」と言ってキリスト教をもって戦争し合ってきた国々からなります。帝国主義時代のヨーロッパの世界支配は、虐げられた民の解放ではなく、征服でした。現地の民を虐げました。このような経験を踏まえて、現代のヨーロッパは戦争の許容範囲を正当防衛に限定するようになっています。もちろん、現実は、逸脱はまだ非常に多いと思います。
(注)帝国主義時代フランスが支配していたニジェールで軍がクーデターをおこし、軍政をしいたとのニュースが流れました。いまだにニジェールにはフランス軍基地があり、ニジェールの政治に睨みをきかしており、ニジェールの人々の反フランス感情は非常に強いと思います。フランス大使館員、フランス軍人に対する攻撃は容赦しない、報復するとフランス側は言っています。一方、ニジェール側はロシアの力を借りてフランスに対抗する構えをみせています。ここに例のロシアの戦争請け負い会社ワグネルが登場するので強大国による力の影響力の行使は現代でも恐るべきものがあります。
私はムハンマドの事績を勉強しましたが、確かに彼は正当防衛を逸脱し、やりすぎたと思いますが、虐げられた民の解放の精神はあったと思っています。のちのイスラム教国の聖戦は勝手に解釈したイスラム教押し付け戦争の性格が強くなったと思います。キリスト教国がイエス・キリストの教えを逸脱し、勝手に考えたキリスト教押し付け戦争をやってきたのと同じです。
現代ヨーロッパ人は聖書焼却デモなどやりません。コーランが当時の人の生活、社会の改善を目的としたことは明白です。現代のヨーロッパがコーラン焼却デモを表現の自由と言って許容するのは問題です。
幸い、デンマーク、スウェーデンなどの国でコーラン焼却デモの容認は許容範囲をこえるとの反省が出ているようです。
世界の人々も表現の自由については許容範囲をよく考えてほしいと思います。勝手な許容範囲を設けて他人を不当に苦しめていることが多いと思います。
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