28 本来無一物
人は生まれてから物と因縁を結ぶ。物がなくては私たちが日常生活営むことができない。人間を指して万物の霊長だと言うことも、物との相関関係を言っているのだ。
内面的な欲求が、物とそれなりの調和が取れていれば人間は余裕のある背伸びをする。同時に、私たちが遭遇するあらゆる性質の苦痛は、この物から来ることも言うまでもない。その中でも、より苦しいのは物自体よりも、それ自体に対する所有観念のせいだ。自分が何かを盗まれたとか、なくしたりした時、つらいと思う。所有観念と言うものがどんなにひどい執着であるかをやっと体験するのだ。だから大概の人は、物をなくしたら心までなくして二重の損害を払わされるのだ。このような場合、執着の染みから抜け出すことを考え省みる回心の作業は、精神衛生上当然なければならないことだ。
問いただして見ると、本質的に自分の所有という物はない。自分が生まれた時から持ってきた物はないのだから、自分の物と言うものはない。何かの因縁で自分のところに来て、その因縁がなくなったから行ってしまったのだ。より極端に言うと、自分の実体もないので、その自分の外に所有がありうる訳がない。ただ、ひと時の間、自分が預かっただけだ。
垣根のない田舎の寺には時々泥棒が入る。ある日、人里はなれた庵に泥棒が来訪した。夜、よく眠れない老僧がトイレに行って来ると裏庭で人の気配がした。何者かが背負子を背負って、立とうとして立ち上がれず、立とうとして立ち上がれず、うんうんうめいていたのだった。米びつから米を一袋いっぱいに取り出しはしたものの、力の仏様が助けてくれなかったのだ。
老僧は背負子の後ろに回って泥棒がもう一度立ち上がろうとした時ゆっくりと押してやった。やっと立ち上がった泥棒がチラッと振り返った。
「何も言わないで背負って行きなさい」
老僧は泥棒にやや低い声で諭しました。2日目の朝、僧たちは夕べ泥棒が入ったと大騒ぎをしました。ですが、老僧は何も言いませんでした。彼にはなくしてしまった物がなかったからでした。
本来無一物。元々ひとつの物もないと言うこの言葉は、禅家で次元を異にして使うが、物に対する所有観念を表現する言葉でもある。後になってその泥棒が庵のまじめな信者になったと言う話だ。(京郷新聞1970,5,14)
人は生まれてから物と因縁を結ぶ。物がなくては私たちが日常生活営むことができない。人間を指して万物の霊長だと言うことも、物との相関関係を言っているのだ。
内面的な欲求が、物とそれなりの調和が取れていれば人間は余裕のある背伸びをする。同時に、私たちが遭遇するあらゆる性質の苦痛は、この物から来ることも言うまでもない。その中でも、より苦しいのは物自体よりも、それ自体に対する所有観念のせいだ。自分が何かを盗まれたとか、なくしたりした時、つらいと思う。所有観念と言うものがどんなにひどい執着であるかをやっと体験するのだ。だから大概の人は、物をなくしたら心までなくして二重の損害を払わされるのだ。このような場合、執着の染みから抜け出すことを考え省みる回心の作業は、精神衛生上当然なければならないことだ。
問いただして見ると、本質的に自分の所有という物はない。自分が生まれた時から持ってきた物はないのだから、自分の物と言うものはない。何かの因縁で自分のところに来て、その因縁がなくなったから行ってしまったのだ。より極端に言うと、自分の実体もないので、その自分の外に所有がありうる訳がない。ただ、ひと時の間、自分が預かっただけだ。
垣根のない田舎の寺には時々泥棒が入る。ある日、人里はなれた庵に泥棒が来訪した。夜、よく眠れない老僧がトイレに行って来ると裏庭で人の気配がした。何者かが背負子を背負って、立とうとして立ち上がれず、立とうとして立ち上がれず、うんうんうめいていたのだった。米びつから米を一袋いっぱいに取り出しはしたものの、力の仏様が助けてくれなかったのだ。
老僧は背負子の後ろに回って泥棒がもう一度立ち上がろうとした時ゆっくりと押してやった。やっと立ち上がった泥棒がチラッと振り返った。
「何も言わないで背負って行きなさい」
老僧は泥棒にやや低い声で諭しました。2日目の朝、僧たちは夕べ泥棒が入ったと大騒ぎをしました。ですが、老僧は何も言いませんでした。彼にはなくしてしまった物がなかったからでした。
本来無一物。元々ひとつの物もないと言うこの言葉は、禅家で次元を異にして使うが、物に対する所有観念を表現する言葉でもある。後になってその泥棒が庵のまじめな信者になったと言う話だ。(京郷新聞1970,5,14)