退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

法頂 無所有より

2013-01-03 14:39:45 | 韓で遊ぶ
29 まだ私たちには

6月がバラの季節であるだけではない。いまだに深い傷跡に何も感じない私たちには。カインの後裔たちが狂って暴れた6月。言語と風習が同じ同族同士で戦って血を流した季節にも花は咲く。
年端の行かないままポトリポトリと散ってしまった若者たちが、その若い魂が眠っている川の向こうの村ドンジャク洞。そこへ行けば戦争が何であるかを骨にしみてわかるようになる。それも他人でない同族同士の戦い、主義や思想を問いただす前に同族の恥辱である。
しかし、生き残った人たちには、戦争の傷が川の向こうの村ほどに忘れられているようだ。6月がくると一日や二日くらい、ようやく年中行事として集まって散ってしまう軽い記憶。戦争で悔しく死んだ、本当に悔しくも死んでいったその人たちが残した最後の言葉が何だったのかを、私たちはすっかり忘れてしまっているのだ。今日のこの贅沢と虚栄と人の道に外れた行為と埋める術のない格差と断絶のためにその多くの若者が死んでいったのか。
国会議事堂と行政部署が時には国立墓地へ移動してきたら良いと思う時がある。なぜならば、国家の大事を処理する国会議員や高級官吏に戦争の意味を実感させ、生と死の観念的な距離を短縮させてやるため。こんな環境でならば、政治の仮面をかぶった駆け引きや陰謀が、腐敗や不正が、それでも体面を整えようとしないかと思う希望からだ。
何年か前、議事堂の中の風景の一こま。国外の戦争に軍隊を送るか否かという最も厳粛な決断の時に民意を代弁するという、ある「国会議員」たちがコクリコクリと居眠りをしていたのだ。いくら自分自身は戦争には行かないにしても、このようにおろそかな生命の管理がどこにあると言うのだ。それが仮に貧しい私たち立場では、パンと命を交換しなければならないような悲劇的な状況だったとしても。
少なくともその人達は不可を下す前に一度ぐらいはこの沈黙の村に来るべきだった。その多くの若者たちが血を流して命をなくしたとき叫んだ最後の言葉が何であるかに耳を傾け聞かなければならなかったのだ。
戦争が許せないことだと言うことは今さらながら人類史を紐解くまでもない。どんな名目があったとしても、生きようとする命を殺して平和的な秩序を踏みにじる戦争は悪だ。
野獣のように互いに噛んで咥えながら、血を探して発光する殺気を帯びた目が決して私たち人間の目ではないのだ。無数の花が咲くと言うのに、6月がバラの季節でだけあるはずがない。まだ、私たち祖国の山河には。(京卿新聞1970,6,12)

コメント (1)
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