退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

法頂 無所有より

2013-01-04 11:30:41 | 韓で遊ぶ
30 対面

某誰それを知っているかと言うとき「おっ、あの人?知っているどころか、私とはすごく親しい仲さ。学校時代もそうだし、そんな友達だけど、、」といいながら、自分ほどにその人をよく知っている人はいないと言うように威張る人が時々いる。しかし、他人を理解すると言う事のように難しいことが他にあるだろうか。多様で微妙な心証を持った人間を、どうやってすべて理解することができると言うのか。だから人間はそれぞれ一人である。たとえ歯ブラシを一緒に使うくらい間違いのない仲だとしてもそれは他人なのだ。
だから、某誰それを知っているという時、私たちは表面に現れる一部しか知らないのだ。ところが、意外なところで出し抜けにその人と出くわす時がある。道端で無心に咲いている名も知らない草花が、時には私たちの足を止めるように。
筆者はチョギョン禅師に生前にお会いした事がない。筆者が入山する前に禅師はすでにこの世のとの因縁を終えた後だったからだ。施恩を軽くするためにいつもぼろぼろの服を引っ掛けて、生食をしていた禅師。一日に3時間しか眠らず、座禅だけしていた、そして、生涯、山門の外に出入りをしなかったと言うその人が、どんな方なのか、他人が伝える言葉だけを聞いて、どうしてもその像をつかむことができなかった。
そうしていたところ、その僧が暮らしていた庵に行った時だった。そこで私は意外にも禅師と出会ったのだ。一人の門徒が大切にしている遺物を見て。ふと、禅師の切々とした声を聞くことができた。寛大な目元、すらっとした体型までも歴々と見たのだった。このように禅師と対面することになったきっかけは、糸が擦り切れた琴と手垢のにじんだ笙によるものだった。
その時まで私は禅師を誤解していたのだ。水気のない古木のようにまっすぐな修道僧。人間的な弾力と言うものはほんの少しもない凛とした声、問題が生じても少しも妥協を知らない意地っ張りで融通の利かない人だったと思っていたが、庵の片隅に立ててあった琴とその上に掛けられた笙を見て、彼の人間的な余白と出会ったのだった。庵の傍の大きな石に座って休んでいた。松風の音に乗って想像の翼が広がった。清明な月夜、禅師は琴を持って出てきて禅悦に乗った。時には山葡萄酒の杯を傾ける。快活な声で会心の調べを選ぶ。石の上にするっとリスが上がってきた。色づいた葉が少しずつ散る。
彼は冷たい風が漂う律僧ではなかった。経典の句節とか座禅にだけ執着するつまらない道僧でもなかった。その日の対面により、私は生前に一面識もなかった禅師から暖かい親和力のようなものを感じさせられた。勿論私なりに知っている彼の一断面にしか過ぎないが、そうやって出会ったのだ。(京卿新聞1970,6,16)
コメント
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