31 生きて残った者
ここ何日かの間に、庭には緑の色がざわざわと広がり始めた。去年の秋以来、隠れていた光が再び広がっているのだ。乾いた地に新しい芽が出てくるのを見ると、本当に不思議なだけだ。何もないようにその痕跡を隠していたものが、いつの間にか時期に気がついて光を広げているのだ。
昨日は向かい側の村、ヤンケジャンから、鶏糞を買って、我が茶来軒の周りの花木に埋めてやった。むっとするような匂いが根を通って幹とつぼみに至れば、甘い5月の香りと変わるのだ。大地の調和に敬意を表さずにはいられない。新しい春の土の匂いをかぐと、生命の歓喜のようなものが胸いっぱいに膨れ上がってくる。はだしで踏む畑の土の感触、それは永遠な母性だ。
肥やしを埋めようと土を掘ると、ふと、生きて残っていると言う自任を意識した。私はまだ埋もれないで生き残っているなぁ、と言う思いがした。去年の冬、春川へ行ってきた時もそんなことを感じた。その時どうしたものか、一番後ろの席の非常口側が私の席だった。お墓がいっぱいに並んでいるマンウリ墓地の前を過ぎながら、ふと、私はまだ生きて残っていると言う思いがした。
あえて非常口を通して見た墓地でなくても、今、生存しているすべての隣人は「生きて残っている者たち」であることに違いない。ちょっと目をそらしたら走る車輪に残った命を捧げなければならない私たちの身の上。多くの病気、大量虐殺の戦争、突然の災難、そして自分自身との葛藤、そんな隙間から私たちは本当に上手に死なないで生き残った者たちだ。
死が私たちを悲しくさせるのは、永遠な別れを前にして、ただのひとつだけである命をなくすことだからだ。だから生命はそれ自体が尊い目的なのだ。よって生命を手段として扱う時、それは取り返すことのできない悪なのだ。どんな大義名分であっても戦争が許すことのできない悪であることは、ひとつしかない命を互いに何の呵責もなくただ殺しているからだ。
生き残っている者同士はもっと大切にし合い、互いに面倒を見合わなければならないのだ。いつ、どこで、どのように自身の順番が来るかわからない人生ではないか。生き残っている者である私たちは、ちゃんと生きていけなった隣人の分までも代わりに生きてやらなければならないようだ。だから、私の現存在が残った者としての言い訳にしているのではないか、いつも証明されなければならないのだ。
その日の仕事を終えて屋根の下の暖かさを求めて帰っていく夜の帰路で、人々の疲れた目と目があった。「今日一日も私たちは上手に生きて残ったんだなぁ」と言って挨拶を交わしたい。生き残った者が、零下の寒さにも死なないで生き残った花木に肥やしを埋めてやった。私たちは皆が同じ生き残った者達だ。(中央日報1972,4,3)
ここ何日かの間に、庭には緑の色がざわざわと広がり始めた。去年の秋以来、隠れていた光が再び広がっているのだ。乾いた地に新しい芽が出てくるのを見ると、本当に不思議なだけだ。何もないようにその痕跡を隠していたものが、いつの間にか時期に気がついて光を広げているのだ。
昨日は向かい側の村、ヤンケジャンから、鶏糞を買って、我が茶来軒の周りの花木に埋めてやった。むっとするような匂いが根を通って幹とつぼみに至れば、甘い5月の香りと変わるのだ。大地の調和に敬意を表さずにはいられない。新しい春の土の匂いをかぐと、生命の歓喜のようなものが胸いっぱいに膨れ上がってくる。はだしで踏む畑の土の感触、それは永遠な母性だ。
肥やしを埋めようと土を掘ると、ふと、生きて残っていると言う自任を意識した。私はまだ埋もれないで生き残っているなぁ、と言う思いがした。去年の冬、春川へ行ってきた時もそんなことを感じた。その時どうしたものか、一番後ろの席の非常口側が私の席だった。お墓がいっぱいに並んでいるマンウリ墓地の前を過ぎながら、ふと、私はまだ生きて残っていると言う思いがした。
あえて非常口を通して見た墓地でなくても、今、生存しているすべての隣人は「生きて残っている者たち」であることに違いない。ちょっと目をそらしたら走る車輪に残った命を捧げなければならない私たちの身の上。多くの病気、大量虐殺の戦争、突然の災難、そして自分自身との葛藤、そんな隙間から私たちは本当に上手に死なないで生き残った者たちだ。
死が私たちを悲しくさせるのは、永遠な別れを前にして、ただのひとつだけである命をなくすことだからだ。だから生命はそれ自体が尊い目的なのだ。よって生命を手段として扱う時、それは取り返すことのできない悪なのだ。どんな大義名分であっても戦争が許すことのできない悪であることは、ひとつしかない命を互いに何の呵責もなくただ殺しているからだ。
生き残っている者同士はもっと大切にし合い、互いに面倒を見合わなければならないのだ。いつ、どこで、どのように自身の順番が来るかわからない人生ではないか。生き残っている者である私たちは、ちゃんと生きていけなった隣人の分までも代わりに生きてやらなければならないようだ。だから、私の現存在が残った者としての言い訳にしているのではないか、いつも証明されなければならないのだ。
その日の仕事を終えて屋根の下の暖かさを求めて帰っていく夜の帰路で、人々の疲れた目と目があった。「今日一日も私たちは上手に生きて残ったんだなぁ」と言って挨拶を交わしたい。生き残った者が、零下の寒さにも死なないで生き残った花木に肥やしを埋めてやった。私たちは皆が同じ生き残った者達だ。(中央日報1972,4,3)