10月2日(火)夕方 大学病院に入院したお袋を見舞った。
一旦外出して立ち食い蕎麦屋で酒飲んだ。
戻ると、お袋はまどろんでいた。
じっと寝顔を見続けた。
堪えきれずに声も出ずに涙が出た。
お袋の末期が悲しいのではなかった。
私とお袋は絶えず諍いをしていた。
7年前には親子の縁を切ると、絶縁状まで送ったのだ。
兄は「お袋のした事を許してあげてくれ、確かにお前にした行為は致命的だ」
「勘弁してあげてくれ」
実兄、実弟は「お前はお袋に可愛がられなかった」
妻も私が可愛がれなかったのを実感していた。
男兄弟3人の真ん中は家族関係では、はみ出してしまうのだ。
認められない事への鬱憤は16歳になると激しくなり
高校も一年落第した。
無頼の少年期で満たされない心の渇望を登山に向けた。
お袋に振り向いてもらいたい一心でヤバイこともした。
その度にお袋は泣いた。
ぐずでノロマでお人よし、頼まれれば懸命に尽くす。
でもいつも騙されてばかり、後始末に苦渋の思いを何度も味わった。
歩いてきた道を辿れば、自責と後悔の念で心身が潰れそうになる。
毎晩 酔いつぶれて野垂れ死願望に救いを求めたこともあった。
内心は焦燥し、ほとんど疲れ切っているにもかかわらず
背筋を伸ばして胸を張って歩いて見せる。
人に逢えば、にこやかに挨拶を交わし平然さを繕う
60歳過ぎて、
九段ススキ本店長野利男の私へした騙しは耐え難い屈辱。
学生時代同期の壮絶な癌死に立ち尽くし
妻の癌快復を願い、苦境の商売を息子にさせてたことへの苦悩。
30代の初め苦境を救った男から
「波乱万丈の人生ですね」
好き好んでそうなったのではないが
他人の苦労まで背負い込み訴訟まで起こされる。
お袋の寝顔を通して、私の愚かな人生が走馬灯のごとく
影絵となって蘇った。
私は目をつぶり泣いていたのだ。
その時、私の頬にお袋の干からびた手が触れた。
当惑と「どうしたの」とお袋の目は問いかけていた。
血管が黒く浮き出た手で、私の手を握り返した。
60過ぎの男が泣き顔をさらけ出せるのは
恩讐を越えた母親との繋がりなのだ。
お袋は声も出せないので私の顔を撫で続けた。
弟が来たので退室した。
喧騒と車のライトが行き交う246号線の緩い坂道を
渋谷駅まで歩いた。